どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再51(皇紀弐千六百七十七年九月十二日 四

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 どうですか? このシリーズ。 日本という国は鎖国をしていても、世界に匹敵する文化を持っていたのです。江戸時代に開国し、明治初期に、外国のことをどんどん受け入れていきました。特に、科学技術と政治システムです(ただ、数学は日本の方が発達していて、何も学ぶことがなかったそうですが)。科学技術は、欧米列強の恐怖から逃れるため。政治システムは国際社会の仲間入りをするためです。まあ、それは当然のことです。でも、よく考えてみてください。国際的な政治システムがなくても、日本は、平和で、民の知力は高く、文化は発達していたのです。伊能忠敬の地図など、イギリスは驚嘆したそうです。そうです、そんな複雑な政治システムがなくても、日本は国家と国民が一体に国を運営する力を持っていたのです。考えようによっては、この方がすごいですよね。

 まあ、そんなことはいいとして。どこまでだっか。そうだ、信乃が旅籠屋の主人に助けられて話していたら、見八が、大塚村で自分の隣に住んでいた糠助の子供だということがわかったところまででした。

※お斷り
 このシリーズは、今から八年前に書かれてゐます。私の認識不足のところがありますので、修正しておきます。鎖國ではありません。カトリック教會主義の排除です。では、引き續きお樂しみください。
 旅籠屋「そうなんです。その飛脚が仕事が終わるまで預かってくれということで、見八(けんぱち)どのを預かりました。うちの女房の乳も飲ませました。一ヶ月ほどして飛脚が受け取りに来ましたが、その後ずっと親しくお付き合いをしておりました。どうやら、見八どのは死んでしまったようです。でも、事情をうかがうと、あなたは悪心から見八どのを殺したのではないわけですから、罪はありません。どこかへ姿を隠しなさい」

信乃「あなたのお話から、見八は糠助の子であることが判明しました。せっかく糠助に頼まれたのに、その見八を殺してしまったとは。故郷の大塚村にも古河にも行くあてもない身ゆえ、この見は地の刀を借りて自殺をしよう。そうすれば、糠助にも申し訳がたとう」

信乃が旅籠屋の主人が止めるのを押し切って、刀を腹につきたてようとしたとたん、死んだと思った見八が、体を起こして、信乃の手を止めて言いました。

見八「待ちたまえ、犬塚氏、はやりたもうな」

 見八はさきほど正気に戻って二人の話を聞いていたのでした。見八は、父を失ったのち、古河班の実力者に役目をつけられましたが、それを断ったため、獄につながれました。それが今回の事件で信乃と遭うことができたのです。ふたりは痣と玉を見せ合って、感激しあいました。

 そして、そして、そして・・・。この旅籠屋の親父もからんで、話はこれまた意外な展開になります。つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年9月12日 00:39に書いたブログ記事です。

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