命の手紙 51(皇紀弐千六百七十七年九月十日 弐)

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□昔話
 のつづきです。
 私たちは、プロトニウムは極めて毒性が強いので気密室内で、遠隔操作で容器の蓋を開け閉めするため、気密性を求められて、粉末缶の溶接個所はみなX線検査をした。今回の事故でヘンだなあと思おうのは、新聞・テレビで図説しているように、プルトニウム容器を手で開けていることである。

 なぜ手で開けるのか。プルトニウム容器は、気密室の中で、遠隔操作で蓋の開け閉めをするのではなかったのか。  

 日本にプルトニウムが撒かれたのは、昭和20年8月9日。長崎。プルトニウムを用いた原子爆弾が8万余の命を奪った。※広島はウラン。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年9月10日 15:53に書いたブログ記事です。

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