どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再52(皇紀弐千六百七十七年九月二十六日 參)

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 信乃と見八(けんぱち)が、痣と玉を持つ同じ運命であることを感激をもって話し合っていたところまででした。
 それを横で見ていた旗小屋の主人がびっくりして二人に言いました。

「いやあ、見八どのに痣があり不思議な玉を持っているということは知っていましたが、信乃様までもとは。実は、自分の子供も一粒の玉を持っていいまして、あなた方の玉とそっくりなのです。玉の文字は「悌」です。その玉は息子がお食い初めをするとき、膳に並べた赤飯の中から出てきたものです。守り袋に入れても足せてあります。息子は武芸を好み、相撲も熱心に取り組みました。八歳の頃、十五歳になる男の子を相撲をとり、相手を投げ飛ばした弾みに自分もすべって、近くにあった石に尻をぶつけて大きな痣をこしらえました。何年たってもその痣は消えず、濃くなるばかりです。形は牡丹の花に似ています」。

 いろんないきさつがあって(こんがらがるのであえて書きません)決まった、その子の名前は「犬田小文吾(いぬたのこぶんご)」と言います。

 さてさて、読者のためにまとめておきましょう。八犬士の文字は次の八つです。今、現れている名前と一緒に掲載しておきます。メモをするか、2月7日のひづけを覚えてこのブログで確認するようにしてください。



義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼見八(いぬかいけんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。いずれ犬飼現八(いぬかいげんぱち)となる。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子

 あと三人ですね。では、つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年9月26日 03:42に書いたブログ記事です。

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