戰國策 再29(皇紀弐千六百七十七年九月十一日 五)

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 秦の昭王は、武安君の諫言を聞かず、自ら趙を攻めて惨敗します。武安君は「だから言わないことではない」と言います。起こった昭王は、武安君のも とを訪れ、無理やり病床から起こして言います。
   「病中であろうが、寝ながらでも良いから指揮をとれ。殊勲をたてれば恩賞を与える。拒むなら、このままではすまさんぞ」

 武安君は平伏し、述べました。

「命令を聞けば、手柄をたてなくても罪を免れ、拒めば、罪を犯さなくても誅を受けます。それを承知しながら申し上げるのですが、どうか趙を討つのは おやめになって、人民を休養させ、諸侯の出方をごらんください。恐れ入って来る者は手なずけ、驕れる者は討ち、無道な者はほろぼすのです。そのうえで、諸 侯に号令すれば、天下を平定することができます。必ずしも急いで趙を討つ必要はありません。"臣に屈して天下に勝つ"とはこれをいうのです。もし私の意見 を聞かずに、あくまでも趙を討ち、私を罪に陥れるつもりなら、それは"臣に勝って天下に敗れる"こと。臣に勝って威厳を示すのと、天下に勝って声威を高め るのと、いずれがまさっておりましょうか。明君は国を愛し、忠臣は名を愛す。敗れた国はもどらず、死せる兵卒は生き返らぬと申します。敗軍の将たるより は、むしろ誅に伏して殺されるほうがましです。どうかわたしの意とするところをご推察いただきたい」

 昭王はものも言わずに立ち去りました。


 でも、この後、この命令に逆らったことで、武安君は死を賜ります。君子が諫言を聴くということが、どれほど大切かを示した話ですね。

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このページは、宝徳 健が2017年9月11日 04:54に書いたブログ記事です。

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