つれづれなるままに 3(皇紀弐千六百七十七年九月二十六日 七)

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 九月二十日はブログ十二周年でした。平成五年九月二十日。續いたもんだなあ。一時、ブログが壊れて、復活していない記事もたくさんあります。まあ、これは時間がかかるので仕事を引退したらゆっくり復活させます。

 このブログは、私が考へたことを書き留めるために始めました。當初は人に讀んでいただくことは想定してゐませんでした。まあ、こんなブログですから期待できませんよね(笑)。でも、それなりに讀んでいただける人が増えてきました。

 何をやつても續かない私が、「継続」といふことを覺へたのもこのブログのおかげです。

 アウンサンスーチーがメディアで叩かれまくつてゐます。眞實を知る人間からすれば、いまさら何をといふ感じです。メディアの不勉強さにはあきれます。それに騙される國民にも。
 英國は、ビルマ(本當はこの名前)を支配するときに、ビルマ族を奴隷に叩き落としました。國民の少數民族及び周辺國の少數民族を連れてきてビルマ族を支配させました。王樣も例外ではありません。王妃・王女は、自分の慰み者にするか、少数民族に払い下げるか奴隷として賣り飛ばすか。

 この苛烈な英國の植民地支配に對して、敢然と反旗を翻して戰つたのがアウンサン將軍です。スーチーのお父さんです。英國は、彼をも殺し、スーチーを英國に連れていきました。英國人と結婚させ、戰後は、自分たちの植民地支配を覆い隠すために、民主主義の騎士としてスーチーを送り込みました。
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 一方、ビルマが解放された後、のさばつてゐたのが、支那人です。ビルマ人は支那人を追い出すために、わざと貧乏な國になりました。金儲けができない支那人は出ていきました。でもまだ、その状況を打破するためには軍事政權にならざるを得なかったのです。戰後も歐米人は、軍事政權だ!といつて、ビルマに經濟封鎖をかけ続けました。それでも優しいビルマ人は、自分たちをつらい目に合わせた少數民族を國外追放にはしませんでした。そこに歸つてきたのがスーチー。軍事政權とは何事だ、民主主義にせよと。英國じこみで。

 今、話題になつてゐる「ロヒンギャ」の祖先は、英國がビルマを植民地支配するために、隣の英國インド領、ベンガル地方(バングラディッシュ)から連れてきた人々です。英國植民地支配のころには、虎の威を借りる狐状態で、ビルマ人の土地を奪い、強奪、強姦当たり前。

 まあ、日本がどこかの國に支配され、支那人が暴れまくり、獨立が囘復したあと、その支那人を許せよといふことと同じです。ビルマ人もどうしてもロヒンギャを許すことはできません。それを「國際世論」だとかいつてゐます。

 さあ、ビルマ(ミャンマーと呼ぶのはやめやう)が獨立しました。英國は自分たちの悪行をばらされてはたまりません。

 まずはスーチーを送り込みました。スーチーが偉くなりました。スーチーハ眞實を知つたのでせう。今度は、スーチーが邪魔になります。BBCが吠えました。吠えてゐるBBCの發言をうのみにしてゐるのが日本のメディアです。何が知る權利だい。

 スーチーは實は惡だったのだ!

と。いまさら何を。一番惡いのは英國だらうが。歐米諸國はこぞつて黙認。だつて自分たちも同じやうなことをやつたんだから。

 だから、歐米は、日本は侵略戦争をやつたんだ。植民地支配をやつたんだ。南京大虐殺をやつたんだと、矛先を、我が國に向けます。世界とはこんなところなんです。何が小學校から英語だ! なにがすぐに「かはいさう」だ! こんな甘やかされた國民が、こんなすさまじい世界で戰つていけるのでせうか? 情けない。世界では弱いやつ、謝る奴は、惡ひ奴なんです。

 支那と朝鮮を除いて、アジアは日本が大好きです。なのに、日本自身が、自虐的なことをいつたら、彼らの頭は????? になります。もうそろそろ目を覺ましませんか???

 閑話休題。こんなに素晴らしい我が國がおかしな國と呼ばれてゐるもうひとつのことがあります。G7の中で共産党があるのは、我が日本とフランスだけです。でも、フランス共産党は、母國を愛してゐます。日本共産党は、我が国を潰そうとしています。それに投票するバカがゐる國。

 共産主義とは

世界中の政府を轉覆させ、金持ちをぶち殺せば、人々は幸せになる

といふとんでもない考へ方なのです。こんな政党つぶそうよ。それと組もうとしてゐる民進党がゐる。よくあんな政党に一時的にでも、政權をとらせたよ。あのとき民主党に投票した人間は萬死に値しませう。

 最後によい話。東西南北

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 毎朝、お日様が昇つてきますね。お日様が姿をあらはす方向を、何千年物昔から我が國では「日頭(ヒガシラ)」と云ひました。「東」の語源です。

 どんどんどんどんお日様が昇つてすべての物を明るく照らしだします。「皆が物を見ることができる」ので、その方角を「皆見(ミナミ)」と云ひました。「南」の語源です。だから神棚は南向きです。神社もみな南向きです。

 南を過ぎてだんだん落ちていつたお日様は、燃えたぎるやうに煮え沈んでいきます。「煮え沈む(ニえシズム)」が「西」の語源です。

 南向きの神社の後ろは、夜、お日様が地面の裏側「東(キ)の左(タ)」を通ってゐるのでこれが北の語源になります。

 ねっ、これが何千年も前、いつかわからないぐらいずっとずっと昔からある日本語なんです。

 何が世界四大文明だい。あんなの嘘ですし、大陸から文化が来たなんてのも大嘘です。少しは自分の國のことを知りませうね。もうそろそろ目を覺しませう。

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このページは、宝徳 健が2017年9月26日 15:39に書いたブログ記事です。

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