命の手紙 50(皇紀弐千六百七十七年九月九日 參)

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□昔話
 のつづきです。

 以前にもお話したが、動力炉核燃料開発事業団(動燃 どうねん と略)の競争入札に勝って、ボクは日本最初のプルトニウム収納容器(粉末缶)を造った。

 ウラニム(ウラン)は何となく知っていたが、プルトニウムのことはわからないので「プルトニウムの恐怖‐高木仁三郎著 岩波新書」で勉強した。

 プルトニウムは原始地球には存在したが、今は大気中には存在せず、原子力発電でウランを燃やせば、必ず副産物としてプルトニウムが生成する。

 この話はまだつづきます。次回へ。

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このページは、宝徳 健が2017年9月 9日 09:41に書いたブログ記事です。

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