2017年12月アーカイブ

 先日發表した来年の目標を分析してみました。一日当たりです。

☆朝ルーティン  計 130分(つまり朝、2時間が取れるかどうか) 
 〇顔刺激 20分 
 〇計測   10分 
 〇その他  10分
 〇學習   90分

☆夜(つまり夜、最低2時間の時間が取れるかどうか) 仕事と人生のための時間を日に最低5時間取れるかどうか
 〇ブログ  1時間
 〇手紙   1時間
 〇その他やり残したこと 1時間

☆読書&学習の不足分 2時間(電車の中)

 睡眠6時間 残り13時間が仕事(情報収集時間も含めて)

 今日から、七十二候 冬至 末候 「雪下出麦」です。「ゆきくだりてむぎのびる」と讀みます。

 降り積もつた雪の下で、麦が芽を出しはじめる頃です。重い雪の下で、暖かい春をじつと待つてゐます。

 易經に陰と陽があります。陰は、暗いといふことではなく、次の陽に向けてじつと、志を溜めてゐる時期です。森羅万象、どんな生物もこの大宇宙の法則には逆らふことができません。陰の次には必ず陽が來て、陽の次には必ず陰が來ます。 陰の時期を嫌がりやたらなげく人がゐます。かういふ人は損をします。陽に向けて自分を身が中井からです。「落ち込んでゐる」と表現する人がゐます。「暇な人だなあ」といつも思ひます。「落ち込むことを考へる????」意味不明です。

 みなさん、今年一年お世話になりました。ブログはこの記事で目標達成です。流れの中で、今日、もう少し書くかもしれませんが。

 來年もどうかよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎へください。感謝合掌。
 少し人生をさぼつていたら、世の中がこんなに面白くなつてゐたのですね。でも、やろうと思つても續かないと何にもならないので、學習については、ひとつひとつの項目の時間短くして、項目數を増やします。
 千葉家の家老に監禁状態におかれた、悌の玉を持つ小文吾でした。


仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 今囘は、安河内A君。A君が孝徳くんだったかなあ。信二はBくんだよね~。いまだにはつきり認識してゐないダメキャプテンです。野村さん、そんなに怖かったかなあ。確かに、野村さんがいらっしゃると、走る練習が極端に増えました。でも、いやと云ふほどでは(笑)。

 私たちがインターハイに行つた昭和五十二年當時の髙校生です。
 十二月二十七日の新聞各社朝刊に「えびすタワー運転再開」の記事が載つてゐました。

ドンキホーテ観覧車

 笑ふでせう(笑)。こんなんするの關西だけや。觀覧車がついとる!!!
 中小零細企業事業承繼における經營者の年齢問題からです。
 ちよつと休憩。まだ「カ」行。

 息子が歸つてきてブロックチェーンと今後の世界の話をするのですが、私にはまだイメージがつきません。ブロックチェーンそのものについては、だいぶんわかるやうになりましたが、それが、中小零細企業の經營にどうリスクとチャンスをもたらすかのイメージがわきません。自分でやればいいのでせうが、イメージができないことをやることほど恐ろしいものはありません。懸命に學習します。彼が帰省でいる間にとことん聞いてみます。

 この本面白さうです。
 ブログはあと8通で目標達成です。

 それはいいとして年賀状を出そうと思つて、過去の筆まめを調べたら、なんと、過去データが消えてゐるではありませんか(涙)。まあ、バージョンが古すぎるから・・・・・・。

 データはエクセルに残してあるのでいいのですが、印刷用と今後のために住所録の入力し直し。仕事もたくさんあるのに~。本もたくさん讀みたいのに~。豫定が大きく狂ひましたが、そんなリスクを想定もせず言ひ譯にしやうとしてゐる自分が惡い。入力の合間にブログを書きますが、たいそうな記事は書け中も(悲)。

 晩御飯を食べながらテレビを觀てゐたら、アナウンサーの卵が出てきました。「あの⤴」「それで⤴」「私は⤴」。話のプロですよね? すみません、吐き氣がしてきました。

 政治家もメディアも官僚も・・・・「この國」と云ひます。覺めた第三者のやうに愛する祖國を表現します。
 
 サラリーマンが、自分の會社を、「この會社」と表現したら、それは、あぶない會社です。

 「スーパーの女」といふ映画がありました。従業員が、自分が働いているスーパーで、自分の賈物をしません。つぶれかかったそのスーパーを宮本信子さんが、立て直します。
 
 今、読売新聞の今日の朝刊を讀んでゐます。ある作家の偉さうな記事が。高橋源一郎といふ人です。私はこの人は知りません。その人が最近上梓したのが「僕たちはこの国をこんなふうに愛することに決めた」だそうです。 くだらない記事です。左翼發想です。

 司馬遼太郎の著作にも「この国のかたち」といふものがあります。・・・・・・・言葉から直そう。治そう。
 平成二十二年(2010年)二月二十二日のこのブログでこんなことを書いてゐます。

昨日、ふとある文章を思い出して、「小さな人生論」の①~④の中から探しました。それがなかなか見つからないのです。結局、①~④をもう一度読むことになりました。最初は見つからないからイライラしましたが、「あ~、神様が、最近、あなたは心学的なものへの触れ方が少ないから、そのチャンスをあげるわ」と導いてくださっているんだなあと考えて、じっくり読みました。いいですねぇ。心が洗われます。

 探していたお別れの言葉は、吉田歩未ちゃんという六歳の女の子が書いたものです。素晴らしい幼稚園の園長先生がいました。園長先生は、幼児に古典や歴史などを教えていたのです。その園長先生が亡くなった時、歩未ちゃんが、お葬式で自らが書いた「お別れの言葉」を読みました。掲載します。
 昨日、三十年目標などと云ふバカなことをやり始めました。あながちバカなことではなささうです。

 作っていて思ひました。

 30年×365日=10,950日
 つまり、一日に一囘何かをつても、10,950囘しかできないこと。1日に1冊本を讀んでも、10,950冊しか讀むめない。

 1年に1囘何かをやつても30囘しかできないこと。たとへば、1年に1囘ずつ旅に出ても30囘しかできない。1年に1つ、何かを暗唱しても30個しか暗誦できない。

 まだまだ若いつもりです。でも、どんな人間にでも共通してゐるのは、時間で、どんな人間でも絶對に避けられないのが命の終焉です。

 未来を創造するといふことと、人間の限界に近づくといふことは同じことなのですね。さぼれないや。一日の積み重ねをもつと意識して。

年立つや 元の愚がまた 愚にかへる(小林一茶)
我未だ潜龍なり
確乎としてそれ抜くべからずは潜龍なり(確乎不抜の志)
潜龍用ふるべからず
掃けば散り 積もればまたも 散り積もる 庭の落葉も 己が心も
 三十年後。つまり、私の命が盡きるまでに達成する目標を創り始めます。すぐに創るのではありません。「命が盡きるときにこんなことができてゐたらいいなあ」「命が盡きるまでに〇〇を何囘ぐらいやりたいなあ」といふもの。決めたことはすぐにやり始めますが、最終的に三十年目標(と呼びます)が決まるのは、三年後か五年後になるでせう。ランダムに書いていつて、最終的に確定したらカテゴリーわかなどをします。

【暗誦できるようになりたいもの】
大學、中庸、孝經、觀音經

【讀みたい本、二回目以上も含む】 本はまたゆっくり書きます。
ホツマツタヱ、江戸時代(大石三郎 中公新書)、昭和二十年(鳥居民)、数量經濟學の原点(西川俊作慶應義塾大學出版會)、ギリシャ人の物語(塩野七海 新潮社)、小説ラストポロフ事件、赤い国からきたスパイ(三好徹 講談社文庫)、紫禁城の黄昏、マオ、日本日記、西洋の没落(シュペングラー)、歴史の研究(トインビー)、文明の衝突(ハンチントン)、英国憲政史、英国憲政論(バジョット)、憲法序説(ダイシー)、外交余禄(石井菊次郎)、外交随想(石井菊次郎)、英国憲政史、帝国憲法義解(伊藤博文)、立憲非立憲(佐々木惣一)、祖国をソ連に売った36人の日本人(檜山良昭 サンケイ出版)、香港領事館(佐々淳行 文春文庫)、戰爭の犬たち、第四の角(フレデリック・フォーサイス 角川文庫)、持黑警察署物語(佐々淳行 文春文庫)、読後償却 続智慧との戦い(佐々淳行 日刊労働通信社) また後で書きます。

【定量目標】 これはカウントダウン開始~。
①手紙10,000通
②本6,000冊
③ブログ30,000通
④旅行150囘

 また、アホなことを始めましたが、かういふ思考は楽しい。
 今回も斉の孟嘗君の食客のひとり馮諼(ふうけん)の逸話を紹介します。本当にスケールが大きくユニークな人物です。今の、こっけいなほどに不埒な中国とはまったく違いますね。
 九十歳になる父が送ってくれる手紙を遺してゐます。それにしても、九十歳になってもよく小學校の担任の先生を覺へてゐるものです。私もさすがに小學校四年生以降は覺へてゐます。特に、小學校四年生の担任 髙橋一三先生と中學校一年生の担任 原田先生は私の人生の救済者です。このお二方がいらっしゃらなければ、私の人生はでたらめになつてゐたでせう。

 父の手紙のつづきです。
 平成二十九年十二月二十六日の讀賣新聞の記事のつづきです。先ほどの記事と關係しますが、「酒造りの今 承継と開拓 4」です。昨日は、白鹿で知られる辰馬酒造を紹介しました。

 今日は宝酒造です。ここのタカラカンチューハイはうまいですよね~。それとここの「焼酎ハイボール」は絶品ですね。私は特にドライが好きです。
(宝酒造HPより)

その1:元祖焼酎ハイボールの味わいを追求。その2:アルコール7%の飲みごたえある辛口チューハイ!その3:<ドライ><レモン><梅干割り><グレープフルーツ>甘味料ゼロ!(※1) 糖質ゼロ!(※2)プリン体ゼロmg(※3)その4:<ドライ><レモン><梅干割り><グレープフルーツ>以外の商品甘味料ゼロ!(※1) 糖質80%オフ!(※2)プリン体ゼロmg(※3)
 ここから明日のブログです。何か忘れてゐるなあと思つてゐましたが、この記事の續きを書くのを忘れてゐましたね。

 平成二十九年十一月十九日の産經新聞 日曜講座 少子高齢化時代です。論説委員の河合雅司氏が書いてゐます。

 東京商工リサーチの「休廃業・解散企業動向調査」(2016)によれば、中小企業の倒産件数が2008年の15,646件をピークに下降線を描く一方で、休廢業や解散は増加傾向となってきたそうです。

 なんと2016年は29,583件で、2000年の16,110件の倍近い水準です。サービス業と建設業で半数を占めてゐます。
 私には、この個人ブログの他に會社のHPのブログがあります。コンサルや仕事や仕事關連情報などは、そこに書くことにしてゐるのですが、全く書けてゐません。元旦から復活します。字は、現代假名遣ひですし、感じも常用漢字です。やわらかい話題も載せますが、基本的にコンサル會社のHPですから、以下のことを中心にしていきます。

http://soepark.com

年立つや 元の愚がまた 愚にかへる

 小林一茶の句です。う~。

 ルーティンなどを決めてゐますが、一茶に笑はれないやうにできうだらうか?

 「醫心方 いしんぼう」の中で紹介されてゐる、支那の「延壽赤書」といふ書物にある言葉。

「八節の日は、心を清淨にし、言葉をおろそかにせず、必ず善いことをせよ。身を愼み、激怒したり威(おど)したり、刑を行ってはならない」
 
 八節とは、立春(昔は元旦が立春)、春分、立秋、秋分、立冬、冬至です。つまり、節目には軆を愼めと。へーーー、かつては支那にも、節を考へる正しい心があつたのですね。

 立春の「おめでたう」つて良い言葉ですよね。「お」「愛(め)で」「たう」。つまり「愛でる」がおめでたうの意味です。私は、愛でるといふ言葉が大好きです。

 「愛づる めづる」。「愛すること」「いとほしむこと」。だから「めでたい」は、「愛で」「たい」。「愛したい」です。愛(かな)しみ、慈しむこと。慶(よろこ)び、祝ふこと。

 生きて入れば、いろいろなことがあります。むしろ自分に都合の惡いことや、苦しいことが多い。でも、天は、どんな時にでも、どんな空間にでも、愛でる氣持ちを忘れないやうに、私たちに「おめでたう」と云ふ言葉をプレゼントしてくださったのですね。感謝合掌。

時を愛で 時の流れを またも愛で 人を愛でるが 愛でたい心

 せめて元旦をさういふ氣持ちで迎へ、そして、一茶に笑はれないやう、一日でも長く多く、この氣持ちを維持します。朝から、美しい日本語に出會へると幸せです。
 あっ、讀書の年間目標220冊は今日(? 28日)に達成します。入院したり自宅療養したりしたから時間もありましたしね。

 明日は、治療で病院に行きます。たくさ~ン、抜けた歯。入れ歯を入れて正常に噛めるやうにするとか。その後、1年かけてインプラントとかで治すそうです。長いけど、自分の戒めを忘れないように天が與へてくれたので大切な1年にします。

 さて、本の話。本當は、今、一番欲しいのが塩野七海さんの「ギリシャ人の物語 Ⅰ Ⅱ Ⅲ」です。でも、一冊が髙い!!! 「どうしやうかなあ。高いなあ。單行本が出てからでいいかなあ」と・・・。でも、次々と他の本を賈ふので、そのぐらいの金額には・・・。バカですね~。









 參冊賈ふと1萬圓を超えます。あ~、讀みたいなあ。塩野先生は八十歳なのですね。すごいな~。
 経営というものは、もちろんテクニックやスキルも必要です。でも、最近の企業に力が無いのは、人間的な情緒が薄れているからです。情緒豊かな日本の文化もたまには感じてください。

 さて、船虫のたくらみをみごとに交わした小文吾です。船虫が兵隊に捕まったところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 今囘は、ツバメ返しこと寺田君です。

 だっちんとは小田君のことです。
 来年の一月七日から産經新聞で「私の拉致取材 40年の検証」が始まります。

 當時の福田首相が「人命は地球より重い」と、過激派の要求を聞き入れ、収監されてゐる過激派を釈放してしまひました。それを見た北朝鮮は、「日本人には何をしても大丈夫」と、拉致が始まりました。拉致被害者の家族が、政治家に訴へても「あの地上の樂園がそんなことをするわけがない」と無視です。それどころか鼻でせせら笑ひました。官僚はわかつてゐながら、見て見ぬふり。新聞は取材する氣もありません。
 
 政治家で一番ひどかつたのが、社会党の土井たか子です。まあ、本人があちらの人ですが。

 そんななか、産經新聞社 阿部雅美記者が、鹿児島アベック3組やめぐみちゃんの失跡を北朝鮮による拉致だとあぶりだしました。昭和五十五年一月七日 我が國の新聞に初めて拉致事件の記事が載りました。三十七年前です。

 ペルーのフジモリ大統領が恩赦で釈放されさうです。

アルベルト・フジモリ

 日本大使館人質事件の時は素晴らしいリーダーシップでした。かつての日本人です。
 昨日の讀賣新聞夕刊の記事の續きです。なんか見学ツアーがあるみたいですね。それが紹介されてゐました。

 東大阪といへば、東京都大田区と並ぶ中小製造業の街です。



 こんなツアーあるんですね。3つのタイプ。さういへば、iPS細胞の山中教授も東大阪出身ですね。



 今回も有名な斉の孟嘗君です。孟嘗君の食客の一人に「馮諼(ふうけん)」という男がいました。史記にも登場する男です。最後まで孟嘗君に従う男なのですが、その過程がとても面白いのです。しばらく、馮諼の話が続きます。
 九十歳の親父から送られてくる手紙です。つづきです。よく、小學校の担任の先生の名前を九十歳になつても覺へてゐますね。(笑)。
 ここいらで整理。あと、4日。 家でゆつくりしてゐるからたくさんできるわい。手紙以外・・・。來年の課題です。

本    目標220冊  現在215冊  これは達成できます。
手紙   目標1000通 現在473通  年賀状を入れても×
ブログ  目標720通  現在694通  ちょっときついけど大丈夫です。


 新聞にもネットのニュースにもでかでかとでてゐました。「護衛艦「いずも(本當は、いづも)」空母化」(笑)。 もともとそのつもりで建造したんでせう。かが もできるのではないかなあ?

 ステルス戦闘機H35Bライトニングエースをつめます(Bは垂直離着陸機)。これをつめば、我が國防空圏は、萬全となります。段々充實してきましたね。



170322 kaga 01


 家で飯を食ふやうになつてからは、夕刊をポストから取るのは私の仕事になりました。かみさんに任せてゐると、朝まで夕刊を取りません。なので、夕刊が第二の朝刊のやうな位置づけになります(笑)。

 私は、夕刊が好きなのです。面白い記事がたくさん。今日の讀賣新聞夕刊も面白い。ブログに紹介したいものばかりです。

 まずは、お坊さんでもあり歌人でもある大下一真(おおしたいっしん)先生の記事。うまい文章ですね~。賈云ふ文章を書ける人には敬意を表します。大下先生の、紀行文や和歌は素敵なんです。

鵯(ひよ)の声 聞かぬと見上ぐる 空高し さえぎるものなく 寒さは降るか
除夜の鐘 撞き終え音立て 蕎麦すする 僧形この身も 寒さは寒し
天窓に 白き光を 運ばすは どなたぞ人の 世は朝となる
かそかなる 音の軋みて 霧動く 夏の暁闇 明けんとしつつ
水色の 羅の袈裟まとえば おのずから 風立つ心に 晩の経誦す

 さて、記事です。これは、思はずすべてを放り投げて大分旅行に行きたくなります。私なりに解説します。
 今日から、今年最後の七十二候 冬至 次候 「麋角解」です。「さわしかつのおる」と讀みます。

 
さわじかの角が生え變はる頃です。枝分かれした大きな角が抜け落ち、春にまた新しい角が生え始めます。
 この記事から明日のルーティンブログです。

 家に歸つて夕刊を取りにいつたら、McDeliveryの廣告がポストにはいつてゐました。へー。知らなかつた。 私たちの學生の頃は、まだモスバーガーがほとんどありませんでした。だから、マクドがおいしいと思つてゐました。モスが出來たときは、衝撃でした。「これは、ファーストフードではない」と。

 今でも、時間がない時以外、マクドには行きません。でも、企業の努力は素直に評價したい。マーケティングの勉強にもなりますしね。世の中には、勉強材料がいくらでも揃つてゐます。だいたい、あの安いマクドが、配達をして採算に合ふのだらうか?

 さあ、研究します。
 私は、日ハムの大谷選手が大好きなのですが、昨日の會見で、「ここまでやってこれました」と・・・・・・。涙が出るぐらい悲しかった。美しいものを汚すのは支那人だけで結構です。

 私は男女は平等だと思つてゐません。だからといつて男女差別を肯定することは絶對にありませんし、我が國は、世界一男女差別が永い永い歴史上にもない國です。男女は機能が違ふのです。そして、その機能をきちんと區別した男女區別の歴史を持つのは我が國だけです。

 では、男子がはたすべき機能、つまり一生涯における唯一の使命とは何か。それは、自分より腕力が弱い、女性と子供を命を懸けて護ることです。

 だから男は働く。だから男は体を鍛える。だから男は學習する・・・・・。すべては女性と子供を護るために。

 なのに、なんですか、あんな小さな子供を殺して!!! あんな不細工な男と女が!!!許せない。

 個性個性と間違つた個性の意味を植ゑ付ける今の我が國の桁外れに誤つた教育がこんな結果を生みます。

 もう一度云ひます。

男子一生唯一の使命は女性と子供を護ることだ!

 男が世の中の役に立とうとしたらそれしかできない。

子供を殺すな!!!
 H醫大病院に入院したとき、前に服用していた藥(心臓病等)を全部「破棄」だと云はれました。これは、よくあることです。入院中だけは全體管理をするため、その病院で治療する以外の藥も入院中は処方します。また、それに伴って病院の醫者と藥剤師が自分が考へる藥に置き換へる。でも、私は、退院してしばらくも捨てずにゐます。
 
 先日のブログでも書きましたが、この前H醫大病院に行ったとき「もう、ここでは心臓病の藥は挿しませんから、元の病院でもらつてください」。全く患者の子とは考へてゐません。「病氣だけ「見」て、患者「觀」ず」です。

 まあ、そんなことで逆らつても仕方がありません(他の業界でこんなことをやつたらひどいことになります)から、藥を出してもらいに元の病院と連携して心臓病を診ていただいている私の大好きなクリニックに行きました。薬を処方してもらい、調剤薬局へ行きました。藥剤師さん曰はく

「寳德さん、つらくなかつた? 以前、こちらのクリニックで診てもらっているときより、今囘のH醫大病院では、利尿剤の量を倍出してゐたよ。これでは、たまらないよね」。「・・・・・・」。心臓病(もう、BNPも髙くないので、心臓病とは云へませんが、藥を飲んでゐるので)では、心臓に負担を書けないために、尿の量を増やす利尿藥が出ます。でも、倍とは・・・・。心臓病素人のH醫大病院医師(口腔外科ではありません。この口腔外科の医師は素晴らしい)が出したのでせうが、おクスリ手帳をみてほしい。

 利尿剤を半分にしました。樂です(笑)。 醫療とは恐ろしいですね。みなさん、信用できる醫者とクリニックを持ちませう。
 來年の目的・目標・ルーティン・期日目標において、まだ目標を設定してゐません。「遅くとも平成三十一年(ご譲位があるので平成ではなくなりますが)十二月三十一日までに設定」となつてゐます。

 別に、仕事の目的・目標がないわけではありません。申し上げたいのは、「今後二十年の仕事人生の覚悟と三十年の人生の樂しみ」といふ觀點からといふことです。

 平成二十八年一月六日に易經のことを書いてゐますね。毎年、正月には同じことを考へるんだ~。心臓の手術の後も同じことを考へてゐたのに、ないがしろにした自分の愚かさ。猛省どころではありません。それを實行できない愚か者がここにゐます(笑)。 でも、天が私に下した鉄槌の事故を經て、今囘は、何かが違ふ。自分の中の何かが・・・。だから、それが見つかるまで目標を設定しないのです。歯の修復には一年以上の苦痛が伴ふでせう。神天がこの苦痛期間を與へてくれました。最後の警告として。この易經の記事を紹介しておきます。ものすごく恥づかしい。

(平成二十八年一月六日ブログ記事 未だ潜龍なり)

 支那の古典の中で、一番信じられて、一番素晴らしいなあと思ふのが、「易經」です。いくら嘘つき支那人と云へども、よくぞこんなすごいことを考へついたなあと。

 おそらく四書五經の中で詩經と並んで最も古く、そして、大宇宙の摂理を明らかにしたものでせう。元々、どんな民族でも、大宇宙との摂理を生活の中に組み込み存在してゐました。男と女を陰陽とし、そして、すべてのモノとコトが、陰陽で區別され、秩序を保つてゐると云ふ古代文化がありました。歐州は、それをカトリック教會主義が、むちゃくちゃにしてしまひました。

 支那は、あんなに素晴らしいことを考へながら、人間の慾望が先に來る「ウシハク(すべて支配者の所有物にする支配形態)」をしてしまひ、でたらめな國になりました。人間とは出發點は一緒なのに、そこに存在するリーダーにより、むちゃくちゃになるのです。我が國だけが、「シラス」の國體を創り上げ、そして、それを維持するために、とことん戰ひ抜く、「皇(すめらぎ)」がおはしました。

 日本ほど幸せな國はありません。おつとまたやつてしまつた。

 易経は、六十四卦の物語で大宇宙を語り、そして、その六十四の物語で、大宇宙と人の調和を(つまり生き方)を示してゐます。その六十四の中で、リーダー論である「乾為天(けんいてん)」は、龍の物語で、人間を戒めてゐます。ただし、易經を單なる占ひととらへる風潮がありますが、ご注意を。易經の奥は深く、占ひ師ごときが扱へるものではありません(もちろんこの私も)。
 朝のおとつめで、毎日、般若心經、教育勅語、大祓詞(おおはらえのことば)を暗誦してゐます(大學もやりたいがまだ完全に暗唱しきつていない)。 「朝のおつとめ」をやつてゐるといふと、「寳德さんは、お坊さんですか?」とよく聞かれます。名前からしてさういふ感じですものね? 遠い昔の祖先は知りませんが、私が把握している五代前までの寳德家は、商賣人で、出家した人はいません(笑)。

 言葉の意味が間違つてましたね。

 唱和:誰から最初を唱へ、他の人が續いて讀むこと
 暗誦:暗記したことを口に出して 唱えること

 私のやつてゐることは暗誦です。ルーティンを書き換えました。「來年」のですよ。

 源氏物語は、正月の落ち着いゐるときに復活しますね。

 少しずつ、確認しながら覺へていきます。一日三~五つかな。

敷島の 大和の国は 言霊の 幸はふ国ぞ 真幸くありこそ(柿本人麻呂)

敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂う 山桜花(本居宣長)

かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂(吉田松陰)

身はたとへ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも とどめおかまし大和魂(吉田松陰)
 悌の玉を持つ犬田小文吾が兵隊に捕まったところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 なんだこの眠たさは。規則正しい生活を續けると夜になると段々眠くなる。当たり前や~!!! 

 「醫心方」といふ古代の健康法があります。天皇皇后両陛下も實践されてゐるとか。ものすごいボリュームの本なので、私たちが手に入れることはほぼ不可能だと思ひますが。古代から積み重ねられた智慧なのでせう。あっ「いしんぼう」と讀みます。

 私が持ってゐる「醫心方」の本は、いろいろな人が書いた何冊かの要約本です。その本に冬の養生法が書いてありました。冬の日に順應するには石や裸樹のやうに氣を内に収めるのが良いさうです。古代支那では、これを「養蔵の道」と云つたさうです。すなはち、志を深く内に秘めて熟成させ、德を己の中に備へるのんださうです。なるほど、易經の潜龍と一緒ですね。我、未だ潜龍なり。潜龍用ふるべからず。確乎としてそれ抜かざるは潜龍なり(確乎不抜の志)。

 いくつか具體的に書いてあるので、紹介しますね。
 今囘は、小田君です。最後の言葉がわかりませんね(笑)。入江って女の子???

 OBの野村さんがいらしていますね。私たちの代に一番よくしていただいた先輩です。本當にかはいがつてゐただきました。なんせ、體力、運動能力、運動神經が抜群です。當時は大學生でした。

 よく走るのなんの。 私が卒業したときは社會人になられてゐました。 高知や山梨に試合に一緒に出たりして優勝とかもしてゐました。そうだ、生まれて初めてビーフステーキを食べさせていただきました。うまかつたな~。またお会いしたいなあ。

 ここから明日のブログです。

 ルーティンは、かなり意識するようになりました。物理的に特定のルーティンができないときもこれからはありますが、しょっちゅう確認してゐるので、出來てゐないことを積極的に認識(變な言ひ方:笑)してゐます。

 問題は期日目標。これは週間計画をいかに綿密に組むかですね。前の週の土曜日の使い方ですね。

 話は變はりますが、教育についての政治家の論點があますぎます。誰の言葉でしたっけ「教育は溶鉱炉であれ!」。確かにさうだと思ひます。金がなかつたら自分で工夫するぐらいの覺悟がないと、身に着きません。教育の無償化・・・・・・・。 現代は、すぐ「かはいさう」と云ひます。 そこに國民が甘えます。

國を支へて、國を頼らず

 明治の男たちの氣概です。その氣概が未曽有の國難から我が國を救ひました。

 昔は金がなくても受けられる教育がありました。書生です。でも、今は、金持ちまで憎む風潮があります。ひがみですね。こんなことをやつてゐたら、國家豫算がいくらあつても足りません。
たった5分で体が変わる すごい熱刺激

 ルーティンの中に熱刺激の項目を3つ設定してゐます。私をよくご存じの方はおわかりだと思ひますが、以前の私なら、かういふものは馬鹿にして一切手を付けませんでした。かみさんに言はれて、いやいややり始めたら、結構効果があるんですね。
 
 手術で、右目の端からメスを入れて頬の骨折を修繕(笑)しました。右目には直接影響がないのですが、術後、どうしても右目に目ヤニがつきます。いやだなあ、と思ひながら、この熱刺激をやりました。するとどうでせう。きちんと熱刺激をやつた次の朝は、目ヤニがたまりません。

 右親指の付け根も少し捻挫をした状態になつてゐましたが、熱刺激をやるとそれがどんどん和らぎます。

 顔面の9時間の手術だつたので、ほんの少し、左唇が顔面神經麻痺になつてゐます。これも熱刺激でどんどんよくなつてゐます。

 さすがに、折れた歯までは治りませんが(笑)。

ほんの少し 工夫をすれば 生活の 習慣變はり 軆體も變はる
 考へたことを書き留めておかないと忘れる性質(たち)なので。來年最も困難なルーティンだと思ひます。「私は毎日、妻へ手紙を書きます」。續かないかもしれません。續いても實施率がものすごく低いかも(笑)。

 繰り返し書きますが、今囘の事故で私は、今後二十年の仕事人生と三十年の人生をすべて見直す必要性を痛感しました。そのためには仕事習慣と生活習慣を、今の年齢に合つたものに變へてゐく必要があります。ルーティンをきちんとこなす必要があります。

 退院後、家とIKさんの會社を中心に仕事と生活を切り替へてゐる最中です。

 その時、とても重要なのがかみさんの存在です。若い時のやうに惚れた腫れたではありません。今後、どちらかが相手を看取る時が來て、そのために相手をどれだけ尊重できるかが強く求められます。そのために、手紙を毎日書こうと決めたのですが、私は、これまでかみさんを大切にしてきませんでした。もし、私が死んで、彼女が喪主になり、私のことを話したら、このままなら、何を話されるか・・・・・・・・(涙)と(笑)。ぞっとします。三十年以上も一緒にいて、そんなことしか私は出來てゐません。

 だから、いざ、書こうとすると何を書いてよいか全くわかりません。だから、日々、かみさんが、私にしてくれたことを書き留める、メモS(と名付けました)を創つて、手帳と一緒に常に持ち歩くことにしました。

 昨日、紹介した「妻に捧げた1778話」と云ふ本で、著者の眉村さんが、話を書くときに決めたルールがあります。

①長いものを書かない
②エッセイにはしない。必ずお話にする
③内輪のお話にしない。一遍一遍、商業誌に載つてもおかしくないレベルを保持する。

 私は、作家ではないからそのまま眞似はできません。私のルールです。

①長いものは書かない。ハガキ一枚だけにする。そして複寫ハガキの控えに書き跡に遺す。
②愚痴や文句は云はない。どんなにひどい喧嘩をしても感謝の言葉とする。
③抽象的なことは書かない。日々、私のためにやつてくれたことを具体的に表現する。

 よし、これで行こう。さあ、來年の今頃は、ブログでなんて書いてゐるでせう(笑)。みなさんにお詫びしてゐるのか・・・・・。でも、實施率は別として、出來てゐるイメージがあるんですよね(笑)。

うっへ~ 全世界にスゴイ約束をしてしまつた
 これ書いたかもしれませんが、もう一度。忘れそうになるから。

 故平尾誠二氏と山中先生の對談集 「友情」に書かれていた、平尾氏の二つの言葉。
 これは、私たちの仕事において最も氣をつけなくてはならないことです。また、リーダーと呼ばれる人たちに必要な考へです。

 入院をしていたとき、初めは、藥を看護婦さんが持つてきてくれました。朝食が終わつたら朝食後の藥といつたやうにです。何日かすると、「寳德さん、明日からは、自分で藥を管理してね」と云はれました。「はい、大丈夫です」と、素直な私。「えつと、この薬が朝昼晩で・・・・」マネジメントを始めました。

 ある日「あれっ?この藥はあと2日したらなくなるぞ」と思ひ看護婦さんに「この藥が明後日でなくなるので、お願いします」と頼みました。「はい」と返事をいただいた私は安心しました。昼食の時、看護婦さんが替わってゐました。大丈夫かなと思い「明後日なくなる藥があるので、朝、明日までにくださるよう頼んだのですが大丈夫ですか?」「えっ?そうなの?確認しますね」と。

 「なんだい、傳はつてないやんか。藥を管理しろと言ったのに」←これは不満です。この状態が二日續きました。
 今回も斉の孟嘗君です。

 テーマは「諫言して儲けた男」です。この君主を諌めるということはとても価値があることだったのですね。
 前囘のつづきです。父の小學生の頃です。
 一年か二年前に、このブログで、日本海側のどこかの原發について、假処分か何かの判決が下りました。今囘も、四國の原發で。三權分立の本當の意味は先日書きました。それ以外に共通點が。
 とてもたくさん仕事をいただいてゐるので、もう、明日のブログに移りますね。明日の朝はおそらく書けません。

 司馬遼太郎、山崎豊子、城山三郎、吉村昭、半藤一利、阿川弘之などといふ作家に、若い時、騙された私です。これは、彼らが惡いのではなく、その判斷基準を持たなかつた自分に原因があります。彼らに騙されるほど、今の學校教育は腐ってゐます。だから、自分で勉強するしかない。といふか、官立學校はすべて廢止すればいい。國家の事業として國家百年の体系には教育は欠かせません。しかし、不埒な左翼である日教組や自分たちの狭い世界がすべてと思ひ込んでゐる官僚の意図的な教育と國家の教育とは違ひます。國家は、教育の環境整備をすればいい。

 前述した作家のおかげで、私は、今、何か本を讀むと疑つて裏をとる癖がついてしまひました。すべて讀んだ本の裏を取ることは時間的には無理ですから、う~ん、と思ひながらそのまにしてゐることもあります。

 この本もその一つです。
 今囘は、岡村君です。しんぼう強い人でした。なにかユニークで(笑)。
 笛の袋を船虫が出て行ってからそっと小棚に返した小文吾でした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 広辞苑が新しくなつたさうな。問題になつてゐますね。臺灣は支那共産党だと書いてあるとかないとか・・・。ひとつの中国などと云ひますが、支那といふ土地に今あるのは、國家ではなく、支那共産党です。共産党に國家などない。なのに、なぜ臺灣を「ひとつの國」と云ふのか。それを、広辞苑は堂々と書いてゐる。臺灣が抗議をしたら、岩波は、「間違いでなない」と。

「岩波書店の国語辞典「広辞苑」で台湾が中華人民共和国の一部として表記されている問題で、岩波書店は23日までに「誤りとは考えていない」との見解を発表した。これを受け、台北駐日経済文化代表処(在日大使館に相当)は「遺憾」の意を表明した。台湾の中央通信社が伝えた」。ネット記事です。

 まあ、岩波書店と云ふのは左翼のるつぼですからね~。支那寄りの。支那共産党から金でも貰つてゐるのでせうか?

 「紫禁城の黄昏」といふ名著があります。愛新覚羅溥儀の家庭教師をしてゐた、ジョンストンが英國に歸つた後に書いたものです。





 今は祥伝社から出ています。まともです。これがかつて岩波書店から出ていた時には、日本に都合がよく、支那等に都合が惡い部分が、ごつそり消されて出版されてゐました。岩波なんてい讀んではいけない。頭がおかしくなります。
 
 今、ネットでこの本を檢索したら305圓で賈へるのですね!!! 絶對に賈つて讀んだはうがいい。


 エルミタージュのチケットをもらひました。うれしい~!うれしい!うれしい~!
 昨日から、二十四節氣 冬至です。柚子油につかり、南瓜は食されたでせうか? 私? しなかつた(涙)。 七十二候は 冬至 初候 「乃東生」です。「なつかれぐさしょうず」です。なつかれぐさはあまりなじみがありませんね。

乃東生(なつかれくさしょうず)イメージ

 こんなやつです(二十四節氣と七十二候 暦生活より)。別名うつぼ草です。
 昨日は、ブログを書かずにすみません。昨日は、天長節でした。天皇陛下 天長節をお迎へになられたことを心からお祝ひ申し上げます。

 天皇誕生日と天長節では意味がまつたく違ひます。
メディアが「天皇誕生日」と書いてゐるのを見ると腹が立ちます。陛下はご自分の誕生日が嬉しいなどとは思つていらっしゃいません。それに、これを知らないと、我が國の歴史を否定することになります。本來の意味の憲法を否定する事になります。
 來年のルーティンを一つ追加し、二つ變更します。

 「妻に捧げた1778話」といふ本があります。



 著者の奥様が癌になり、餘命一年と宣告されました(それでも5年御存命でしたが)。妻に何ができるかといふことを考へた、作家である著者は、毎日、短編の物語を妻に送ることを決めました。

 私たちの年代になつてくると、若い時のやうに、惚れた腫れたの感覺はなくなつてきますが、パートナーとしては、これから數十年を生きていく上でなくてはならない存在です。また、男としての責任もあります。

 「私は毎日、妻に手紙を書きます」をルーティンに加えます。

 さあ、できるかな(笑)。まあ、一番難題のルーティンになるでせうけど(笑)。昔、かみさんと子供に手紙を書いてゐましたが、かみさんは「要らない」と云ひました(涙)。でも、自分の心がけ次第ですものね。このルーティンは途中で消えるかも・・・・。
 今日は、診察と検診日~。まだ少し時間があります。

 これだけは、絶對に絶對に諦めない。今までは、夢を破る人生でした(人生初の夢は、小さい時に「世界で一番喧嘩の強い男になる」。すぐに敗れました)。はつきりとイメージすらできてゐませんでした。今回の夢も、まだ目標もイメージもできていませんが、かなりドキドキしてゐます。この夢をあと20年の仕事人生で實現して、仕事を引退したら、その後10年、實現した企業を尋ね歩き、餘生を樂しみます。せつかく、事故で今後の人生のために軆體を直してくれた天への恩返しです。できるのかって(笑)? 酒を減らせばできるんです(笑)。人生で語る最後の夢とし、人生で實現する最初の夢とします。
 今回も斉の孟嘗君の話です。孟嘗君は史記にもたくさん出てきます。鶏鳴狗盗でも有名な人ですね。今回のテーマは「人にはそれぞれれ得手不得手です。
 入院してゐるとき、だいたい遅くても朝四時になると、もう、そわそわ。參階にあつたコンビニに新聞が来るのがだいたい五時半。もう、いらいら(笑)。昔、新聞配達少年をしていたとき、六時に朝刊を配つても、もう玄関の前にで新聞を待つてゐる人が何人もいました。そして、言われました。「遅い!夕刊か!」と。うるせえ、親父だなあと思ひながら毎日皮肉を言はれてゐましたが、今は、その親父さんの氣持ちがよくわかります。

 十一月十九日(日)の産經新聞の朝刊を參考に何囘かに分けて記事を書きます。まだ、入院中ですね。五時半を待ちきれず、コンビニの前で新聞が來るのを待つて賈つたのですね・・・。

 今朝から、髙校のグループラインで、大騒ぎのラインが飛び交つてゐます。
 昭和三十九年十月十日の話はをはりです。今囘から、父の子供の頃の話です。A4縦二段で、3ページ(笑)。なげ~。何囘かに分けますが、どこで區切らうかなあ(笑)。
 そうだ!忘れてた!橿原神宮に振り込まないと。

 私は、いくつの神社の會員になつてゐるのだらう。宗像大社は當然です。伊勢神宮、靖國神宮、橿原神宮・・・。五つだ。

 この中で、橿原神宮が一番素敵です。靖國神宮は、少し金儲け主義かな。伊勢神宮と宗像大社は、お參りするだけで軆が引き締まります。宗像大社の近くには、月に一度仕事で行くので、よくお參に行きます。といつても、宗像大社は、天照大神と素戔嗚尊が、うけひといふ神事をしたときに、生まれた三人のお姫様が祀られてゐます。

 邊津宮 市杵島姫命(いちきしまひめのかみ)
 中津宮 湍津姫命(たぎつひめのかみ)
 沖津宮 田心姫命(たごりひめのかみ)

各宮の地図

 ちなみに、広島の嚴島神社は、市杵島姫命(いちきしまひめのかみ)が祀られてゐます。「いちきしま」がなまつて「いつくしま」となりました。なので、嚴島神社は、宗像大社の分社となります。
 泊めてもらった家の主が小文吾を殺そうとしたところを返り討ちにした小文吾でした。
 このおっさん、變人だけどすごいですね(笑)。ただものではないことは確かです。書いている間は、素直に耳を傾けます。けふはひとつだけ。

 またまた浅っちん、こと、浅川君の日誌の続きです。
 教育の無償化? 何を意味するか分かりませんが・・・・。しんどい思ひをしないと勉學なんかできない。苦しい思ひをするから學ばうとするのです。意味なし~。それなら、官立學校をすべて廃止して、そのお金で、条件付き給付型奨学金を増やせばいい。勉強したい奴だけしろつて。東大をはじめとした菅律の權威が我が國をだめにしてゐます。憲法學の宮澤俊義なんてその最たるものです。

 それに私立助成は 憲法典 日本國憲法に反してゐるではないですか?かういふときは、憲法(典)
学者はさわがないのかしら(笑)。左翼はいつも自己都合。

 今日の産經新聞朝刊に、小豆島 お肉の山下屋の「くるくる煮豚棒」が紹介されてゐました。


 うまそーーーー。

 うまく貼り付けられなかった。でも、地方創成。いいですね~。











 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の最終囘です。

 人間社會の奇跡 我が國體 シラスのことはお分かりいただけたでせうか? そして、これこそが我が國の憲法だといふことを。なので、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法と云ふ「憲法典」は、憲法違反なのです。

 このシリーズの本題は、實はそこではなく、天忍穂耳命ではなく、降臨したのは 天孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)であるといふことです。私は、長らく、天忍穂耳命がマザコンだから降臨しなかつたとばかり思つてゐました。それを産經新聞が目を覺ましてくれました。くやしいやらうれしいやら(笑)。

 もちろんマザコンだと云ふ理由もあるのですが、それだけではなかつたのです。
 今回も斉の孟嘗君(もうしょうくん)の話です。タイトルは「味なはからい」です。

 孟嘗君の食客に、孟嘗君の妾と密通している者がいました。これを知った、食客の一人が、孟嘗君に言いました。「食客ふぜいで、ご主君の女と密通するとはもってのほか。即刻お手打ちなさるべきかと思います」
 九十歳の父が送ってくれる手紙を遺してゐます。さて、今囘の昭和三十九年十月十日はなんでせう?
 朝日新聞と毎日新聞に掲載されていたかは知りませんが、各紙、来年度の政府の税収予測が59.1兆圓といふ報道をしてゐました。

 民主党政權時が約37兆圓でしたから、20兆圓以上アップしたことになります。このうち消費税増税(消費増税は誤つた言葉の使ひ方)4兆圓ぐらいなものでせう。言葉を換へると、消費税増税3%をやつていなければ、税収は持つと伸びたでせう(GDPも)。なんでもバブル期以上の税収だとか。
 先ほどの記事から明日のブログにはいつてゐます。ルーティンをきつちり本氣でやるとやることの前倒しが出來てきますね。

 たまには、コンサルらしい記事を(コンサル關係記事は、今、準備してゐます。準備が整つたら、このブログではなく弊社ホームページに掲載します。おそらく年明けからです。http://soepark.com/)

 私は、税務の専門家でも法務の専門家でもありません。なので、税務・法務を實務でやるときは、専門家の方のサポートを得ます。しかし、企業を丸ごと觀てきちんとマネジメントをしてあげないと、その「税務」「法務」に陥り、全體戦略と整合性が取れないときが多々あります。これは私の仕事です。

 後見人の相談もよく受けます。年を取ると認知症による判断能力の衰へが心配になります。そのとき、今すぐ後見人をといふと嫌がる方がたくさんゐます。
 天忍穂耳命のことを書くのに前囘、前置きが長いと思つた方もいらつしやったと思ひます。産經新聞に載っていた天孫降臨につながるこの話は、シラスといふ人間社會の奇跡である我が國體をしらなければ、理解ができないのです。

 古事記を讀むと、高天原の天照大神の部下たちが、大國主命に國譲りを迫るシーンがあります。私は、最初、せつかく大國主命が善政を敷いているのに、高天原一族はなんてひどいことをするんだらう??? と不思議でなりませんでした。 天照大神が、次々と送る使者は、大國主命によつて懐柔され帰つてきません。最後が建御雷命(タケミカヅチノミコト)です。茨城県の鹿島神宮に祀られてゐっます。

 しょせんは、大國主命も、人も物も我がものにする「ウシハク」でしかなかつたのです。古事記のこの記述は、「理想を實現するためには、きれいごとではダメだ。武力も必要だ」と遺言してゐます。しかし、我が國が行うのは、敗者への虐殺でも征服でもありません。平定です。その證拠? 出雲大社が殘つてゐるでせう?

 そして、國譲りがなつたとき、天照大神が云ひました。「豐蘆原(とよあしはら)の千秋の長五百秋(ながいほあき)の水穂の國(にほんのこと)は、我が御子正勝吾勝々速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の知らす國」。
 夜中に自分を殺そうとした泥棒をやっつけて、その家の主の妻 船虫を呼んだ、悌の玉を持つ犬田小文吾(いぬたのこぶんご)でした。


仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 今日(17日 まだ少し早いですが)から、七十二候 大雪 末候 鱖魚群です。「さけのうおむらがる」と讀みます。

 鮭が川を遡上する頃です。海で育つた鮭は、産卵のために自分の生まれた川へと里歸りをします。北國では、冬を代表する光景です。

 サラリーマン新入社員の時、福島県浜通りを担當しました。木戸川がありました。本當かどうかは調べたことはありませんが、木戸川が鮭の南限だとお客様から教へていただきました。そこで、鮭定食を御馳走になりました。うまかつたのなんの(水野南北に怒られさう(笑))。


 なんでも水野南北は左手の小指をろうそくで焼いたそうな。菩提心を求めるために。おかしいなあ。釈尊は、苦行を否定したんだけどなあ。
 
 最後まで學んでからいろいろ考へることにします。けふは二つ。

 今日の産經新聞の一面「ヒメたちの見た神と王の物語・神話」は素晴らしい内容でした。

 大國主命が地上を支配してゐました。(このことは新聞に書いてゐない。これがわからないとこの話はとてもつまらないものになります)しかし、しょせん、「ウシハク」んでした。つまり、物も人も我がものにして試合するといふ形態です。これは、いつから始まったかわからない我が國の統治形態「シラス」を望む高天原には許せません。そこで、シラス(支配するのではなく、治める。知る。臣民を我が子のやうに愛する統治形態「ウシハク」の支配は統治形態ではない)に戻すために、大國主命に國譲りを迫ります。

 この「シラス」と「ウシハク」の違ひがわからないと日本人として悲しいのです。なぜなら「シラス」が我が國體であるかからです。學者も官僚も政治家もメディアも多くの國民もほとんど知らない。

 井上毅は、教育勅語と大日本帝國憲法を創るときに、徹底的に我が國の歴史を學びます。寢食を忘れて。そして、この「シラス」を發見します。

 なので、大日本帝國憲法第一条の井上毅の原案は

大日本帝國は、萬世一系の天皇の治(し)らすところなり。

でした。ところが、法律らしい表現ではないとして、

大日本帝國は、萬世一系の天皇がこれを統治す

となりました。つまり、シラス=統治で、ウシハク(支配)は統治ではありません。

 ちなみに、學生時代に社會のときに習つた嘘をひとつ。

君臨すれども統治せず

と習ひましたよね。頭がいたくなります。

統治すれども支配せず

です。

 今日の産經新聞の記事は素晴らしいのですが、このことが書かれてゐないのが至極残念です。でないと記事全體の意味が通らないのです。
 今日は、參つたなあ。琵琶湖線が事故で一時運休。困つたなあ、と思つてゐたら、運転再開したとの情報。運転が再開した後にもう走ってしまつてゐる電車は、少しの遅れになるのですが、後になればなるほど、停車時間が多くてどのくらい遅れるか予測もつきません。停車したまま閉じ込められることもしばしば。琵琶湖線はすぐにこれです。

 十七日のブログを書きます。 

 家に戻ったら、顧問税理士のSさんから退院祝いの贈り物がきてゐました。私の大好きな會社の商品です。これまでにも、弊社の創立記念日とか私の誕生日とかにこの會社の商品をいただいてゐます。

 岩手県一関市の酒蔵です。みごとです。
 昨日までの格闘(笑)疲れでかなり眠たい。ブログは本日は打ち止め。ほったらかしのシリーズもの(源氏物語など)がたくさんあるな~。これほど、わがままなブログもめずらしいでせう(笑)?繁體字だし、歴史的假名遣ひだし。シリーズは途中でどこかに行くし・・・。一貫してゐるのは、保守ド本流であること。保守とは何か。

國體を破壊する狂氣に對抗する力

です。

 閑話休題。今度の事故で、特にお世話になったといふより命を救つていただいたMさんへの第一段階のお禮を、かみさんに、二つ賈つてきてもらひました。
 
 ひとつは、私がまつたく知らない物です。バトンドール。前は梅田阪急にしか賣つてなかつたみたいですが、今は、全國數か所で販賣してゐるさうな(といふか、調べてゐませんので、このことに關する私の情報は信じないでください)。

 かみさんから薦められました。ポッキーの髙級版?

バトンドールのロゴ

バターをふんだんに練り込んだ生地をじっくりと焼き上げ、澄ましバターとシュガーのシャワーをくぐらせて創り上げたバターリッチなプレッツェル。ミルク、ストロベリー、宇治抹茶など、それぞれに個性ある味わいのチョコレートをコーティングしました。(グリコHPより)。

 まあ、興味がある人はHPをご覧ください。賈のに長蛇の列です。1時間以上並んだとか。また、かみさんに頭があがらなくなりました(笑)。

https://www.glico.com/assets/images/small/larecolte_1680.jpg

 次は、私は知つてはいたのですが、賈つたことも食べたこともありません。Mさんの奥様が好物だと聞いたので。
 この人は面白い人ですね~(笑)。はやり變人が世の中を創るのでせうか?

 水野南北の軆體には、刀疵の他に焼け戸の跡が弐か所あつたさうです。修行中の火傷だとか。

 人にいろいろ教へてゐますが。孝經の「身体髪膚これを父母に受くあへて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」に反してゐますよね(爆笑)

 おつと、眞面目に學ばないと。今日は、長いからひとつだけ。
 今回も斉の孟嘗君の話です。テーマは「悪口の効用」です。

 孟嘗君は、ある食客に対し、馬四頭と百人扶持を与えて、厚く遇しました。ところがその食客はいつも孟嘗君の悪口ばかり言っていました。それをある人が孟嘗君に知らせました。孟嘗君は、「いや、かまわん。ほおっておきなさい」と言いました。
 別の食客がいつも悪口を言っている食客に問いただしました。答えはこうでした。


 私のことではないですよ(笑)。私は、きわめて正常です。

 ロリータ・コンプレックスの言葉の由來はご存知ですか?

 キーワードは「ウラジーミル・ナボコフ」です。

 自分が9歳から14歳の少女に抑えがたい慾求を抱いており、その根源が悲劇的な結末に終はつた少年期の初戀にあることを自覺している中年男性が、少女(14歳)に道ならぬ戀をしてしまひ、結ばれ別れて破滅していく樣を描いた物語があります。その少女の名前が「ロリータ」。そして、その物語を書いたのが「ウラジーミル・ナボコフ」です。



 本當は、ロリータ・コンプレックス」といふ言葉は、「ロリータ」の側の心理を説明するためでした。
年上の男性に惹かれる思春期女性の心理を、不在の父親に対する固着として説明しました。

 今では、恐ろしい言葉になってゐますが。

 フロイトのエディプス・コンプレックスと似てゐますね。子供はまず、異性の方の親を好きになります。女の子であれば父親、男の子であれば母親。そして、(例えば女の子であれば)自分が好きになつた父を母が愛してゐるのをみて、ものすごいやきもちを焼きます。でも、成長するにつれて、自分が好きな母の魅力に氣づき、自分も母のようになろうと云ふ氣持ちになります。これが正常な成長の仕方なのですが、この環境が整はないと、子供は曲がって成長してしまひます。

 まあいいや。心理學の講義ではない。

 ウラジーミル・ナボコフが最近見直されてきてゐます。
 九十歳の親父がくれる手紙を廣く殘すためにブログに書き綴つてゐます。昭和三十九年十月十日に思ひ出があるのでせう(笑)。昭和三十九年十月十日シリーズです。我が國の經濟的復興が本格的に始まった頃です。うれしいのでせうね~、父の世代からしたら。自分たちが戰爭で負けてしまったことで我が國に負担を與へてゐると責任を感じてゐる世代です。復興を何よりも喜んだのは昭和一けた世代ではないでせうか。
 さういへば、十二月十二日に書かなかつたけれど、十二日は、バッテリーの日です。「1番ピッチャー2番キャッチャー」が重なるからださうです。では十二月十四日は。忠臣蔵の日ですね~。昔は、十二月十四日になると、忠臣蔵の番組ばかりでした。だから、毎年この日になるとにはか忠臣蔵博士がたくさん(笑)。

 東京在住の時は、毎年、泉岳寺にお參りに行つてゐました。煙がすごいのなんの。終はつたら、近くの蕎麦屋さんで一杯!伊勢久!泉岳寺驛のすぐそば。おつと、食べ物のことばなり云ふと南北に怒られる(笑)。 東京は、蕎麦屋で一杯がいいですね~。

伊勢久_そば(蕎麦)_13775283

 さて、水野南北の三囘目です。

 南北の修行がどれほど凄惨であつたかは、南北の軆體に殘る傷跡が物語つてゐるさうです。刀疵が左右の肘に二か所、左は若年放蕩無頼の折、喧嘩で受けたものです。右は相法修行中、相論激高の末、相手に切りつけたとき、受けたたちの跡・・・・。すげえや。生い立ちはまたにして、今日も3つ紹介します。と思つたけど、頭の上がらないガミさんの夕食の配膳を手傳はないと。ふたつにします。
 もう、明日のブログにしてください。やっと戰ひがをはりました。長い格闘でした。勝利といへるのかどうか。きつかった。出張に出るとなりやすいですね。きつと食生活のバランスが家にいるときと違ふのでせう。氣をつけないと。それと、藥の多さ。早くよくなって藥を減らさないと。いろいろやることがあるなあ。きつと、これもあと二十年の仕事、三十年の人生にとつて、考へることなのでせう。ありがたい。

 さて、けふの讀賣新聞夕刊に和歌山県新宮市の鹿六といふ鰻屋さんが紹介されてゐました。和歌山県新宮市立佐藤春夫記念館 館長 辻本雄一氏が投稿された記事です。

Imgp1839
Imgp1841













 うまそ。鰻大好き。最近食べてな~い。新宮には友人がいるので、數年前によく行きました。遠い遠い。大阪から行くと南紀白浜がちやうど中間ぐらいです(笑)。でも、觀光客に侵されてゐないので、食いものがうまい!

 「紀州の新宮市に鹿六といふ市に名代の鰻屋があつて(中略)蓋をあけると先ず香氣が鼻を打ち(中略)食慾をそそつた」と詩人 佐藤春夫が1956年4月發行の料理雑誌に載せた随筆があるさうです。

 佐藤春夫がこの店の2囘8畳間で寢そべつてゐるとき出版社から電話があると「おらんと言ってくれ」と。 いいですね~。かういふ情緒がまう一度必要な時が必ずやつてきます。

 同じ夕刊にまたとんでもない記事が。
 入院から退院してからも・・・。私は、これまでの人生で、頭痛と便秘には、記憶にないぐらいなつたことがありません。頭痛は、數年前に一度だけなりました。「あれ、なんで、頭が痛いの?」と誰と一緒の時だったかなあ。「それが頭痛です」と云はれました。

 便秘は、2年前に心臓病で入院してゐるときだけです。

 今囘、藥が大量に出されました。食事内容も大幅に變はりました。體調は、ものすごくいいのですが、退院してから2囘便秘になりました。それも半端ない。極端な話,浣腸を使っても手ごわい。下腹部から臀部にかけてがいたくて歩くのもままなりません。昨日から格闘してゐます。

 病気や怪我よりつらい。ならないためにはどうすればいいか・・・。考へます。

 仕事を休んでご迷惑をおかけしている方々にお詫びを申し上げます。情けない男です。
 十二月十一日~十五日は、七十二候 大雪 次候 熊蟄穴です。「くまあなにこもる」と讀みます。

 熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃です。春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。冬眠ですね。
 初めて知る水野南北について書いてゐます。どんな人なんだろう?



 水野南北は、三年間、散髪屋の小僧になつて、頭の相を研究し、三年間、風呂屋の三助をして、死者の骨相を徹底的に究めるなど、東西の相法を研究するのみではなく、實地についても深く研究を積み重ね、百發百中當たらざるなsんひといはれた古今東西、類をみない權威者で、門弟が六百人もいたさうな。へ~。けふも三つ紹介します。
 悌の玉を持つ、犬田小文吾(いぬたのこぶんご)が、猪をやっつけたお礼に、ある男から一夜の宿を借りることになりました。男は、村長の家に用事があるので、小文吾はひとりでその男の家に向かいました。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠: 犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、 信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶ んご) 行徳の旅籠屋の息子
 ごめんなさい。この前の記事、浅っちん、こと、浅川君の日誌につづきがありました(つまり、抜けて  書き忘れて・・・いました)。これまた長い。こんな時間があつたら勉強しろよ(笑)。

 長いので弐囘にわけます。

 野球狂の詩は、水島新司氏の漫画ですね。ドガベンを書いた人です。それが映画化されて、木之内みどりさんが主役でした。水原勇気といふ女性ピッチャーがプロ野球選手になるといふストーリーです。

 スマッシュ!!は、意味がわからん。

 もうすぐ新一年生が入ってきて部誌を引き継ぐので、彼らにとつては書き納めなのでせう。
 我が國が、屈辱を味わつた昭和二十年八月。
 
 出光興産㈱は、敗戰前、(當時の)日本石油にいじめられて、國内では思ふやうに事業を展開することができませんでした。故出光佐三店主は、海外に活路を求めました。國内で調達した資金を海外で運用したのです。

 そして、敗戰。すべての海外資産を失ひました。殘つたのは、國内の借金だけです。今のお金にして、いくらになるのでせうか。膨大な借金だけが殘りました。

 海外から社員が引き揚げてきます。役員は揃つて「引き揚げてきた社員は解雇すべきだ」と主張しました。佐三店主は、言ひました。「企業の最大の資産である人をなぜ首にしなければいけないのか!」。そして、三つの言葉を仰いました。

①愚痴を云ふな
②今から建設に取り掛かれ
③日本の三千年の歴史を見直せ

 この時、佐三店主は六十歳です。來年の私の年です。くやしいなあ。
 
 その後の出光興産㈱と社員がなめた辛酸は、筆舌に盡しがたいものがあります。
 初めて知りました。あまりにも私にいろいろなことが起きるので、心配したF夫人(髙校の同級生、御主人も髙校の同級生)が、一冊の本をくれました。「水野南北 開運の極意 万に一の誤り無し」。サブタイトルが「運命を変え 世界を変える 水野南北の食革命」。タイトルは興味がありますね~(笑)。

 少し長いシリーズになります。

 なんでも水野南北は、江戸の中頃京都に住み、聖德太子を教祖として尊(たつと)び、更に神道、儒教、佛教の三道を深く研究したさうです。紹介は追々するとして。今日は三つ紹介。
 陛下の譲位の話をなぜ書かないか(退位ではない!)と聞かれますが、冗談じゃない。書くと、あばれまくりさうですので。。。

 さて、本題。

 引き続き、斉の孟嘗君のお話です。孟嘗君の話は史記にもたくさん出てきます。孟嘗君は、靖郭君の妾腹の子供です。五月五日生まれです。中国の古代では「五月五日に生れた子は父を殺す」と言われていたため、靖郭君は、孟嘗君が生れたときに、殺すように命じました。孟嘗君の母は、隠れて育てました。成長してから父の靖郭君に会ったとき、靖郭君は烈火のごとく怒ります。でも、孟嘗君はそんな父をやりこめてしまいました。

 さて、今日は「頼み方の秘訣」です。
 王樣バンザーイで始まった フランス革命が、最後に王樣をギロチンにかける。今でも王制を好きな人がたくさんいる。フランス人とは意味不明です。國歌 ラ・マルセイエーズは革命歌(笑)。



 不可解を楽しめる本です。アマゾンで1圓です(笑)。こんな良い本が・・・。私としては助かりますが。
 九十歳になる父がよく送ってくる手紙を紹介してゐます。まるで何かを遺したいやうに。さういへば、最近、こないなあ。

 もう、明日のルーティンです。十二月五日の讀賣新聞朝刊の素敵な記事紹介のつづきです。

 灘五郷の記事の中で、日本酒の「甘口」と「辛口」の違ひが書かれてゐました。酒は好きだけど、あまり詳しく知らないや。
 甘口は糖分量が多いさうです。辛口と言つても辛い味はないと。へ~。糖分量は水の比重と比較した「日本酒度」と云ふ尺度で示され、糖分が多いほどマイナス、少ないほどプラスになるさうです。

 國税庁によると、2015年度に市販された純米酒の日本酒度の全国平均は10年前と比べて1.0上がって、4.4と書いてあります。辛口が好まれるのですね。なるほど。

 えつと、次は・・・・・・・。
 十二月七日から、二十四節季 大寒です。そして、七十二候は、大寒 初候 「閉塞成冬」です。「そらさむくふゆとなる」と讀みます。

 天地の氣が塞がれ、冬がおとづれる頃です。空は重い雲に覆はれ、生き物はじtと氣をひそめてゐます。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でもあります。


 今年は寒くなるのが早いですね。
 兵庫縣は廣いからな~。今日の讀賣新聞朝刊に紹介されてゐました。かういふマチネタはいいなあ。心が落ち着きます。

 兵庫縣多可町です。兵庫縣に住みながら行ったことないや。
MAP

兵庫縣のほぼ眞ん中です。2005年に3つの町が合併して誕生しました。人口約21,400人(平成29年11月1日現在)。敬老の日發祥の地ださうです。へ~。

 ここになんと、1日1500本の巻きずしを販売し、年商約1億5,000萬圓の店があるとか。すごいすごい。
 今日のブログはこれだけです。昨日は、時間の使い方を間違へました。

 今、NHKで憲法(典)のことをやってゐます。憲法學者が市民に憲法(典)の講義をしてゐるとか。國家破壊行爲ですね。まずは憲法と憲法典の違ひを國民レベルでしっかり知ること。憲法學者は、憲法典學者ばかりです。ダイシーもバジョットも讀んでゐません。さう、國民レベルでも、吉野作造、佐々木惣一、帝国憲法義解(井上毅)、ダイシー、バジョットは讀んだはうがいい。でないと身近に迫った憲法(典)改正論議が國民レベルでできません。

画像検索結果
画像検索結果


イギリス憲政論(中公クラシックス)
    




 難しいのが嫌な人は、倉山満のこの本が最適です。

 閑話休題。阿川三部作と云はれるものがあります。「山本五十六」「米内光正」「井上成美」です。よくもまあ、この三人の戰犯をここまで美化できるものです。この阿川三部作に騙されてゐる人が、今でもかなりいます。

 今日は、大東亞戰爭の開戦日です。「ニイタカヤマニノボレ」の指令で、眞珠彎を攻撃しました。「トラトラトラ」が成功の打電です。
 小文吾が、猪に倒された男を救ったところまででした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 今囘は、浅川君です。
 
 みんな、學校一嚴しい部活と勉強の両立に惱みます。でも、やめていつても戻ってくる後輩もゐました。今囘、名前が紹介される森君もさうです。彼がやめてからしばらくたつて、私が一人で部室にいたときです。彼がどこからともなく現れました。目に涙をいっぱいためて「キャプテン、もう一度、部に復帰してもいいですか?」と。もう、うれしくてうれしくて。でも、あからさまいそのうれしさを表現するのがなぜか恥ずかしかったのです(私が)。「はよ、着替えて、練習に出やい」と。彼が行ったあと、うれしくて涙が溢れました。彼は私の次のキャプテンです。京都大学に進学しました。たいしたものです。

 おつと、主役は浅川君だ。

 川鍋さんがいらっしゃってゐますね。大先輩ですが、本当にかはいがつていただきました。しょっちゅう練習に來てくださいました。監督もコーチもゐない私たちにとって、先輩方と練習ができることほど心強いことはありませんでした。

 毎日少年少女は、毎日新聞主催のジュニアの大會です。だいたい3月頃に行はれます。
 昨日、灘五郷を紹介しました。といふか、中途半端でしたね。あのつづきは少し待ってくださいね。

 それと關連してですが、灘五郷にある、酒蔵の一つ 白鶴酒造が神戸大學と共同開発してこの10月1日に發賣した「神のまにまに」といふお酒があるさうです。

 今日の産経新聞朝刊に載つてゐました。

 うっへ~、もうこんな時間だ~。早くブログを書いて寢ないと。あ、今日は、姉貴の誕生日だ。朝起きたらメッセージを送らないと。

 (まだ今日ですね)産經新聞朝刊に正論大賞が發表されてゐました。新保祐司が受賞。出光興産㈱本社時代に一緒に仕事をしたことがあります。よくかはいがつていただいたなあ。

「新保祐司 写真」の画像検索結果

 まあ、一般人とは頭の構造が違ふ人でした。
 もう、明日のブログです。仕事をしていて空いたタイミングを見計らって書いてゐます。この時間に書くと、朝が樂ですね~。朝は、朝のおつとめ(般若心經唱和、教育勅語唱和、神棚拝禮おy日大祓詞唱和、皇居遥拝、宗像大社遥拝、3分間の瞑想、30分の掃除)があり、軆體測定10個などがあるので、結構バタバタします。バタバタしてはいけない。中今もできないし、殘心もできない。だから、ブログをこの時間に書くととても朝がゆつたりできます(笑)。

 けふの讀賣新聞朝刊は、面白かつたなあ。私が、讀賣新聞を褒めるのはめずらしいでせう(笑)。

 政治や經濟欄は、稚拙すぎてどの新聞も辟易としてしまひます。そこではない。
 今日から斉の孟嘗君(もうしょうくん)の話です。斉の宰相です。この人も人材を好み、「食客数千人、名声諸侯に聞こゆ」と言われた人です。ちなみに、戦国四君といわれた、有名な人がいました。それが、斉の孟嘗君、魏の信陵君、楚の春申君、趙の平原君です。
 今まで、家でもポケットWi-Fiを使っていましたが、仕事に復帰したときにすぐに外を駆け囘ることはできないので、在宅勤務用に、家用のWi-Fiを設置しました。やはり便利ですね~。ポケットWi-Fiのやうな限度を氣にしなくて使へます。

 さて、九十歳の父からの手紙の續きです。
 髙校時代の同級生のTさんからの贈り物です。



  うっまそ~。酒はかなり控えてゐますが、全く飲まないと云ふわけではありません。むしろ、バカのみをしていたときより、味わって飲むことができます。

 この酒造すごいんです。明石にも太陽酒造と云ふ素敵な素敵な小さな酒蔵がありますが、この酒造もすごい。焼酎です。

 
 別に与謝野晶子に續く才能ではなくていいので、何か詠んで、應募しよっと。
 もう、明日のブログです。歯が惡くなると(なくなる。噛む力が弱い)、ものを食べるとき、姿勢が正しくなります。でないと、食べられないのです。軆體が不都合になるといふことは、いろいろ勉強になりますねえ(笑)。そりゃあ、できればこんな目には遭はないはうがいい。でも、かうでないと知ることができないこともある。

 食事は、もう、お粥以外は、普通食を食べてゐます。でも、手術からしばらくは「流動食」。退院を控えてからは「三分菜食」「五分菜食」といふ「やわらか食」でした。「あ~あ、歯がきちんと入るまではこんな、やわらか食を食べないとだめなのかなあ」と思つてゐましたが、普通食も大丈夫になりました。
 
 その過程で、やわらか食にも、本當にいろいろな種類があることを知りました。やはりどんな状態でも、人には「食べる樂しみ」が必要なんですね。

 閑話休題。私が、最も苦手としてゐることは、「片付け」と「掃除」でした。いろいろな指導書などで、「掃除が基本」なんてありますが・・・・・。

 その原因がわかりました(笑)。
 敵の囲みを突破していくうちにバラバラになった五八犬士でした。

仁:犬江親兵衛(いぬえしんべえ) 犬田小文吾の妹ぬいの子供
義:犬川荘助(いぬかわそうすけ) 大塚村で蟇六・亀篠夫婦に雇われていた額蔵


忠:犬山道節(いぬやまどうせつ) 浜路の兄。不思議な行者。
信:犬飼現八(いぬかいげんぱち) 大塚村の信乃の隣に住んでいた糠助の子供。古河で、信乃と対決して一緒に行徳に流れていった。
孝:犬塚信乃(いぬづかしの) 大塚村の番作の子供 浜路の許婚
悌:犬田小文吾(いぬたのこぶんご) 行徳の旅籠屋の息子
 私は、人から「歩くのが速い」「食べるのが早い」「しゃべるのが早い」と云はれてきました。気ぜわしいんですよね(笑)。

 怪我をしてから、ゆつくり歩くやうにしてゐます。景色の見え方が違ひますね(笑)。
 かつて、平日も面白かつた日經新聞は、日曜日が抜群に面白かつたのです。經濟教室みたいなのや文化欄や・・・・。今は、なんと情けない新聞になつてしまつたのか。讀賣も最近まで日曜日が面白かつたのに、今は、だめですね~。

 産經新聞の日曜版は面白い。「日曜經濟講座」を田村秀男氏が書いた時などはいいですね~(全面的に賛成してゐるわけではない)。今日は、産經新聞の經濟本部長 吉田憲司氏が書いてゐました。この内容は少し檢證する必要があります。讀み込んでから後日書きますね。

 その他の記事も今日は、また特に面白かつた。
 もう、四日のルーティンにしますね(笑)。

 忘れないうちに、復帰したとしたらの今後の仕事のパターンを。帰宅中心です(笑)。

第一パターン:家ー明石パターン(これは家-津パターンも同様) 月半分以上はこのパターン、但し、夜に神戸の仕事が2日はいるときは例外とする。なお、怪我が治ってからも同様。
朝:家で食事をしてから、クライアントへ。夕方:夕食までに歸える。20時まで食事と風呂を済ませて、0時まで仕事。1時までブログ。讀書と手紙とアウトプットは仕事の休憩時間と移動時間に。

第二パターン:北陸パターン 月5日ほど。北陸は、空き時間が比較的あるので、作業時間にあてる。一番さぼりやすい時間と空間なので、前の日と、その日の朝にしっかりとイメージと時間割を作り消し込む。ただし、極力歸宅する予定を組む。

第三パターン:出張パターン 月4日ほど(東京・福岡) 移動時間に読書と構想。ホテルにて手紙とアウトプット

第四パターン:在宅勤務パターン 主に週末月5日は在宅勤務をする。もちろんその週に出来なかった仕事は片づけるが、極力、仕事をしない。伝票整理・会計処理・計画の検証と計画づく、手紙、読書、会うトップっと など、「緊急ではないが重要なこと」をやる時間に充てる。

第五パターン:予測不能パターン 在宅勤務の際に、次の週の想定外對應を考察しておく。含む飲み會。飲み會のときは、その時間をリカバーすることを必ず考へること。

 ブログはまた後で、飯を食います。
 斉の国の公子(皇族の一族)靖郭君(せいかくくん)の話です。この頃のお金持ちは、家に「食客」を寄宿させていました。ランクはあるのですが、食客に衣食住を保証し、その代わり、食客は、一旦有事の際には、命を投げ出して活躍することが求められます。有名な孟嘗君(もうしょうくん)などは、3000人もの食客を抱えていたといわれています。まあ、中国は、白髪3千畳などの大げさな表現をしますので、真偽は定かではありませんが。

 さて、今日のお話です。この戦国策に載っている話は、絶妙なかけひきがあります。
 昭和五十二年に私たち福化高校テニス部は、インターハイに出場しました。監督はいません。部長はいないも同然。コーチなんて望むべくもない。豫算はありません。何があつたか。未来に対する意思です。インターハイに「行きたい」とは一度も言ったことはありません。「インターハイに行く」です。最初から決意していました。ルーティンをやりました。OBの援助が欲しくて手紙も書きまくりました。

 明らかに今よりも純粋で今よりも未来への意思がありました。
 
 今後二十年、仕事を成就させていくうえで、(體力はもう眞似できまえんが)あの頃の純粋さを取り戻していきます。熱い情熱といふよりも純粋さを。この部誌は、とてもよい教材です。

 今囘は、藤くんです。
 日露戰爭 日本海海戰で、我が聯合艦隊がバルチック艦隊を打ち破りました。世界は、驚くなんてものではありません。信じられませんでした。我が聯合艦隊には外國武官が殆ど乘つていなかつたと云ひます。敗けて當然だとどの國の軍隊も思つていたからでせう。

 バルチック艦隊を打ちやぶった、我が聯合艦隊の旗艦は三笠です。外國の記者が、戰闘が終はつたばかりの、三笠に取材のために乘船をしました。

 あれだけの戰闘だつたのに、三笠の艦内は、戰闘がなかったやうに通常勤務が行はれてゐたさうです。
「戦艦三笠 写真」の画像検索結果
              旗艦 三笠


敷島の 大和心を 人問はば 佐久間大尉の 遺書を示さん

といふ歌をご存知ですか?

 まだ、二日ですがお許しを。少し、多めに寝たいので、ブログを書いたらそうします。

 今日から、七十二候 小雪 末候 橘始黄です。「たちばなはじめてきばむ」と讀みます。

 橘の實が黄色くなつていく頃です。橘とは柑橘のことで、古くから日本に自生してゐました。常緑植物であることから「永遠」を意味するとされ、不老不死の實だといわれていたようです。


「柑橘 写真」の画像検索結果
幻の本がつひにやつてきました。療養してゐるときにじつくり讀みます。ああ~、幸せ。ああ~、エクスタシー。







 犬山道節が、たくさんの敵の兵に囲まれて万事休すになったところまででした。
 九十歳の親父が、頻繁にくれる手紙を紹介してゐます。今回は苦言です(笑)。
 先日、「マインドフルネス」といふ心理學用語のことを書きました。「今この瞬間の自分の立ち位置を知る」ことです。自分の立ち位置を知らなくて何かをやろうとしても、長期的には決してうまくいきません(つまり、先ほどの戰闘ではうまくいっても、戦略や戦術を果たすことはできないこと)。

 どの本だつたか、讀んでゐたら、神道にも同じ言葉があるとか。「中今 なかいま」です。「今を生き切るこそ大切」といふ意味です。まさにマインドフルネス。マインドフルネスとは、言ひ換へると、「本來の自分を取り戻す」ことです。とすれば、神道にある「中今」とは、本來の日本人の心を取り戻すことになるのですね。
 かの大戰を、侵略戰爭などといふことがいかに愚かかと云ふことは、我が國の歴史をきちんと學んでゐれば議論の餘地もありません。しかし、戦略・戦術についてはあまりにもおそまつ。

 クラウゼヴィッツも言っています。「作戰の失敗を戰闘の成功で取り戻すことは難しい」と。

 開戰どころか、支那事變(あれは日中戰爭ではない。戰爭とした方が支那共産黨が都合がよいからそう言はされてゐる)から開戰の処理がおそまつだった、周りの側近がソ連のスパイだらけだつた近衛文麿の責任です。そして、開戰後は、山本五十六の愚かさです。なぜ、世間が山本五十六を評價するかがわからない。

 帝國海軍の基本的な作戰は、潮減激撃作戦です。日露戰爭 日本海海戰で我が連合艦隊がバルッチク艦隊を迎へ撃つたときもさうでした。
 中国の春秋戦国時代の逸話を載せた「戦国策」を紹介しています。今日の話も外交の冥利です。突拍子も無いことを言って相手の気を引き、十分関心を よんだところで、本題に入って行く。このように「相手が負けざるを得ない状態をつくる」のが外交なのでしょう。マネジメントも同じですね。  テーマは「三字の諫言」です。靖郭君とは、斉の国で特別な扱いを受けていた有力者です。当時の有力者が、何かのときのために才能ある者を囲っており、その囲われていた人を食客といいます。
 なんか日付が飛んでます(笑)。今回は、安河内Bこと 安河内信二です。
 倉山満氏の著書に「日本人だけが知らない『本当の世界史』」があります。一度、別の題名で出版されたのですが、あまりにも眞理・眞實・事實を書いてゐたので、何かの壓力でもかかつたのでせう。一時、その前の著作が出なくなりました。そして、同じ内容で出てきたのがこの本です。

前表紙
 かつて、國民の愚により、民主黨などといふ政黨に政権權を國民が委ねた時がありました。その時、外務副大臣をやつたのが私の後輩です。

 同窓會であつたときに、彼は、外務省のマネジメント改革の話を語つてゐました。私は心の中で、「それは官僚の仕事だろう。政治の仕事と行政の仕事は違ふ!」と叫びました。

 政治とは、未來への意思です。その意思と意思の闘爭が政黨間の闘爭です。なのに、今の國會・・・特に野黨はなんですか!これだけ國家安全保障が求められる時代に、また、グローバルな經濟に對應しなければならない時代に、地政學を考慮した國益を熟慮しなければならない時代に、今後の我が國がどうあるかといふ國體を考えなければならない時代に・・・。國會議員のあのレベルの低さはどうだろう?そして、そんな政治家を選ぶ國民のレベルはどうなんだろう????

 政治家は行政ではなく、つまり、官僚の仕事ではなく、政治家の仕事をして慾しい。

 經營も同樣です。

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2017年12月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2017年11月です。

次のアーカイブは2018年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。