清める(皇紀弐千六百七十七年十二月十一日 弐)

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 我が國が、屈辱を味わつた昭和二十年八月。
 
 出光興産㈱は、敗戰前、(當時の)日本石油にいじめられて、國内では思ふやうに事業を展開することができませんでした。故出光佐三店主は、海外に活路を求めました。國内で調達した資金を海外で運用したのです。

 そして、敗戰。すべての海外資産を失ひました。殘つたのは、國内の借金だけです。今のお金にして、いくらになるのでせうか。膨大な借金だけが殘りました。

 海外から社員が引き揚げてきます。役員は揃つて「引き揚げてきた社員は解雇すべきだ」と主張しました。佐三店主は、言ひました。「企業の最大の資産である人をなぜ首にしなければいけないのか!」。そして、三つの言葉を仰いました。

①愚痴を云ふな
②今から建設に取り掛かれ
③日本の三千年の歴史を見直せ

 この時、佐三店主は六十歳です。來年の私の年です。くやしいなあ。
 
 その後の出光興産㈱と社員がなめた辛酸は、筆舌に盡しがたいものがあります。
 印刷工など石油以外の事業を社員が營となみました。またいつか石油に戻れることを夢見て。狭い家に、何家族も住みました。はつきり言つて、社員が會社を食わせてゐたのです。

 そんな社員に恩を受けてゐるとき、ある營業所が、ずさんな売掛金の囘集をやつてゐました。佐三店主は、激怒します。出光の仕事の仕方に泥を塗るなと。

 これが理念なんです。これが經營者なんです。まつたく、私は恥ずかしい(どころではない)。來年、還暦を迎へます。そのために今囘の事件が起きた。さあ、寳德、何をする。どうやつて。誰を幸せにする。できるのか。今回の事件で、天がそれを私に問ひました。わかつてゐるやうで、全くダメでした。まだ結論は出てゐません。情けないからな、整へる作業をやり直してゐます。

 企業の不祥事が多すぎる。今の代企業の經營陣は、ちやうと昭和二けた以降生まれ。今の、汚れた教育のスタートの年代です。

 大林よ、お前もか。東芝、シャープ、ソニー、神戸製鋼所・・・・。枚挙に暇がありません。

 明治の精神を引き継ぐ時ですね。

 福澤諭吉先生の言葉です。

國を支へて、國を頼らず
一軆獨立して、一國獨立す

教育勅語を讀みませう。

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このページは、宝徳 健が2017年12月11日 04:01に書いたブログ記事です。

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