天忍穂耳命(皇紀弐千六百七十七年十二月十八日)

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 天忍穂耳命のことを書くのに前囘、前置きが長いと思つた方もいらつしやったと思ひます。産經新聞に載っていた天孫降臨につながるこの話は、シラスといふ人間社會の奇跡である我が國體をしらなければ、理解ができないのです。

 古事記を讀むと、高天原の天照大神の部下たちが、大國主命に國譲りを迫るシーンがあります。私は、最初、せつかく大國主命が善政を敷いているのに、高天原一族はなんてひどいことをするんだらう??? と不思議でなりませんでした。 天照大神が、次々と送る使者は、大國主命によつて懐柔され帰つてきません。最後が建御雷命(タケミカヅチノミコト)です。茨城県の鹿島神宮に祀られてゐっます。

 しょせんは、大國主命も、人も物も我がものにする「ウシハク」でしかなかつたのです。古事記のこの記述は、「理想を實現するためには、きれいごとではダメだ。武力も必要だ」と遺言してゐます。しかし、我が國が行うのは、敗者への虐殺でも征服でもありません。平定です。その證拠? 出雲大社が殘つてゐるでせう?

 そして、國譲りがなつたとき、天照大神が云ひました。「豐蘆原(とよあしはら)の千秋の長五百秋(ながいほあき)の水穂の國(にほんのこと)は、我が御子正勝吾勝々速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)の知らす國」。
 天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)は、天照大神と素戔嗚尊が、高天原で「うけひ」をやつたときに生まれた子供です。まあ、天照大神の長男とご理解下さい。

 つまり、我が國は天忍穂耳命が統治する國であると宣言したのです。それも「知らす(シラス)」といふ統治形態で。この「知らす」といふ言葉が何より大切であり、ここに氣づかなければ、國譲りは理解できないのです。

 ここからが面白い。産經新聞よくやつた(私のここまでのくどい解説が書いていないことは片手落ちならず両手落ちですが)。

 天忍穂耳命は、では、行くかといふときに「地上を観たら騒がしいからいやだなあ」とおじけづきます。マザコンなんです。天照大神も子離れが出来ていないんです(笑)。
 
 あらまと思つた、天照大神がは、八百萬の神々を集めて、誰れを行かせやうかと協議します。

 私は、毎朝、大祓詞を唱和してゐます。

 ここまでの下りを紹介します。

「高天原に神留(かむづま)ります 皇親神漏岐(すめらがむつかむろぎ) 神漏美(かむろみ)の命(みこと)以(もち)て 八百萬の神等(やほよろずのかみたち)を神集(かむつど)へに集へ賜ひ 神議(はか)りに議り賜ひて 我が皇御孫命(すめみまのみこと)は 豐葦原水穂國(とよあしはらのみずほのくに 日本)を安國と平らけく知ろし食(め)せと・・・・」

 すまり、天忍穂耳命が嫌だと言つたので、神々で話し合って、孫を地上に遣はすことにした。と書いてあります。これが 天孫(天照大神の孫)である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が地上に降り立つ 天孫降臨のことです。 「平らけく」つまり、虐殺や征服はするなと。そして、「知ろし食めせ」です。ウシハクではなく、「シラス」で統治せよ・・・・。

 日本人なら絶對に知らなければならないことです。なぜなら、これが本來の意味の我が國の「憲法」であるからです。この憲法を表現した「憲法典」が必要だからです。

 そして、今囘の産經新聞の記事が優れてゐるのは、このあとなのです。明日に續きます。

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このページは、宝徳 健が2017年12月17日 15:46に書いたブログ記事です。

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