ルクセンブルグ(皇紀弐千六百七十七年十二月壱日 弐)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 倉山満氏の著書に「日本人だけが知らない『本当の世界史』」があります。一度、別の題名で出版されたのですが、あまりにも眞理・眞實・事實を書いてゐたので、何かの壓力でもかかつたのでせう。一時、その前の著作が出なくなりました。そして、同じ内容で出てきたのがこの本です。

前表紙
 倉山氏は、一次資料を読み込み、そして、文章を構築していくので、誰も歯が立ちません。私は、倉山氏などの、二次・三次資料を讀んでゐることになります(最近、私も一次資料を讀み始めましたが)。

 この本の中で、ルクセンブルグについて書かれたところがあります。

 (原文ママ)「歴史認識を考えるうえで、ヨーロッパ人の凄まじい歴史を知ることの意義がそろそろわかっていただけただろうか。戦慄すべき人々である。その戦慄すべき人々が喧伝する歴史をわれわれ日本人がいかに鵜呑みにしてきたか。しかも肝心の部分については何も知ろうとすらしなかったのだ。だから歴史歪曲や歴史抹消について、甘い民族になってしまうのである。

 映画化もされて話題となった『ダ・ヴィンチ・コード』という作品がある。「キリストにはマグダラのマリアとの間に息子がいた」など、秘密結社 シオン修道会の教義を盛り込んだ問題作であるが、こうした考えは現在もルクセンブルグ大公国で受け継がれている。敬虔なカトリック国であるルクエんブルグは表向きは決して公表しないが、公然の秘密でもある。

 また、日本人が関心を持つことはないが、ルクセンブルグ家は百年の間に三代、神聖ローマ皇帝を輩出したヨーロッパ随意の名門である。だから貴族の所領ほどの面積しかない国が、独立国としていまも存立しているのである。歴史というものが国家の存立において重要な武器であると、日本人は瞑目すbきである」

 たかだか、ルクセンブルグの歴史でこうなのです。では、我が皇室はどうなるか。一體いつから續いてゐるかわからない我が國 皇室と、そして、その皇室と一體となつた我が國體。キリストの子供どころがいるかどうかといふ問題どころではない、言はば、キリストの子孫が延々と國を統治してゐることになります。いや、それどころではない。とにかく、皇紀弐千六百七十七年なんて云ふものではなく、いつから續いてゐるかわからない。
 
 私たち臣民がしつかりとそれを自覺したとき、我が國は、光り輝くでせう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7239

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年12月 1日 07:29に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「経営と管理、政治と行政(皇紀弐千六百七十七年十二月壱日)」です。

次のブログ記事は「福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十七年十二月壱日 參)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。