命の手紙 71(皇紀弐千六百七十七年十二月二十九日 參)

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 九十歳になる父が送ってくれる手紙を遺してゐます。それにしても、九十歳になってもよく小學校の担任の先生を覺へてゐるものです。私もさすがに小學校四年生以降は覺へてゐます。特に、小學校四年生の担任 髙橋一三先生と中學校一年生の担任 原田先生は私の人生の救済者です。このお二方がいらっしゃらなければ、私の人生はでたらめになつてゐたでせう。

 父の手紙のつづきです。
 3~4年は齋藤六三郎先生。

 京城(けいじょう いまのソウル)師範学校(先生になるための学校)を出たばかりのパリパリの先生で音楽が専門だった。

 何かの行事(学芸会など)があるたびに指名されて歌っていたのは、級長だったからで単なるひいきだと思う。
 
 4年の2学期を終えたとき父が転勤。4年の3学期から、咸興公立尋常高等小学校に転校。北朝鮮は寒いので冬やすいが長く、夏休みがく、3学期は形ばかりなので、実質的に5年の1学期から咸興小学校の一員となる。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年12月28日 20:45に書いたブログ記事です。

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