戰國策 再48(皇紀弐千六百七十七年十二月五日 五)

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 今日から斉の孟嘗君(もうしょうくん)の話です。斉の宰相です。この人も人材を好み、「食客数千人、名声諸侯に聞こゆ」と言われた人です。ちなみに、戦国四君といわれた、有名な人がいました。それが、斉の孟嘗君、魏の信陵君、楚の春申君、趙の平原君です。
  孟嘗君は、招かれて秦の国に行こうとしました。大勢の人から止められましたが、聞きませんでした。蘇代という人が止めにやってくると、こういう会話がはじまりました。

孟「この世の話なら聞き飽きた。あの世の話なら聞いてもよい」
蘇「むろんこの世の話などするつもりはありません。あの世の話をしにまいりました」
蘇「いましがた、ある川のほとりを通ったときのこと、泥人形とデク(木彫り人形)が言い争っておりました。デクが泥人形にこういうのです。『おまえは、もとはといえば西岸の泥。こねられて人の形になったのだ。八月の雨で川が氾濫すれば、おだぶつだな』。泥人形も負けずに言い返します。『とんでもない。いかにもおれは西岸の泥だ。だから西岸に帰るだけのこと。そこへいくとお前は東国生まれのデクだ。人の形に彫られているが、雨で川が氾濫すれば、どこまで押し流されるか知れたものではない』。
 ところで、あなたの行こうとしている秦は、秘密主義の国で、危険この上もない土地柄。一度入ったら、帰ってこられるかどうかわかりませんぞ」

 孟嘗君は秦に行くのを見合わせました。

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このページは、宝徳 健が2017年12月 4日 23:56に書いたブログ記事です。

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