讀賣新聞つれづれ(皇紀弐千六百七十七年十二月六日)

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 もう、明日のブログです。仕事をしていて空いたタイミングを見計らって書いてゐます。この時間に書くと、朝が樂ですね~。朝は、朝のおつとめ(般若心經唱和、教育勅語唱和、神棚拝禮おy日大祓詞唱和、皇居遥拝、宗像大社遥拝、3分間の瞑想、30分の掃除)があり、軆體測定10個などがあるので、結構バタバタします。バタバタしてはいけない。中今もできないし、殘心もできない。だから、ブログをこの時間に書くととても朝がゆつたりできます(笑)。

 けふの讀賣新聞朝刊は、面白かつたなあ。私が、讀賣新聞を褒めるのはめずらしいでせう(笑)。

 政治や經濟欄は、稚拙すぎてどの新聞も辟易としてしまひます。そこではない。
 「酒造りの今 承継と開拓 1」 これはよかった。私は、外で、産經新聞を賈ひます。家にいるときは、定期購読してゐる讀賣新聞も讀みます。日經は、大きな経済記事が載つたときだけ。朝日と毎日は、こいつらが嫌がる、日本が素晴らしくなる出來事が起きたときに、どんな反應をするかを漫画のやうに樂しむために賈ひます。

 最近、ある北陸の街の酒蔵が倒産しました。 すると神事ができないんです。 まさに、中小企業とは地域の文化を担ってゐるのですね。

 今囘の記事もさうです。私の住んでゐる兵庫県西宮市から神戸市東部の約12㎞は、「灘五郷 なだごごう」と呼ばれ30近くの清酒会社が本社を構へます。

 酒蔵通りといふのがあつて、ここが歩くと面白い。

「酒蔵通り マップ」の画像検索結果

  酒造メーカーが、レストランや樣々な店を出してゐます。酒粕なんかも賈へます。

  かつては、我が國生産量の5割を超えてゐた灘五郷も今では3割(それでも3割)。清酒消費量はピークの三分の一ださうです。でも、この地域にある蔵元は、どんどん、世代交代をします。

 菊正宗酒造の加納治郎右衛門 42歳は、45年ぶりに加納家当主の名跡「治郎右衛門」を繼ぎました。

 創業300ねんの澤の鶴は33鰤の代替わりです。23年ぶりは剣菱酒造。大関は創業家出身の長部訓子さんが、1711年の創業以來、初の女性社長です。すごい!すごい!
 
 みなさんは、口を揃へて云ひます。「傳統とは革新の連續だ。新しいことは挑戦しなければ、古き良き傳統は守れない」。

 ちなみに、加納家は1659年に菊正宗を創業。創業358年。白鶴酒造の加納家は分家です。

 白鹿ブランドで有名な辰馬本家酒造は1662年創業。創業355年。

  ヨーロッパにエノキアン協會といふ創業200年以上の企業しか入れないクラブがあります。旧約聖書に「エノク」といふアブラハムからノアまでの間で、「死」が聖書に記述されていない人間がゐます。なので、その名にちなんで「エノキアン協會」です。ところが、我が國にはまつたくかなはないのです。我が國には、世界で200年以上續いてゐる企業の45%があると言はれています。3000社。100年以上だと10萬社。 エノキアンクラブの一番古い企業より古い企業が日本には200社あると言はれてゐます。

 すごいな~。おつと、書きすぎ。次のテーマが書けない。この話には つづき  があることにします。

パイロット養成 奨學金
 パイロット養成課程を持つ私立大学など民間6機關が、未來のパイロットに奨學金を出すとか。とても良いことだとは思ふのですが、自衛隊のパイロットが定年退職したら、民間航空會社に入るケースが多いのですが、あの優秀な腕を持った彼らを十分に活かしきれていない事實をご存じでせうか?その邊も考へたはうがいいですね。

地銀、低金利融資競う
 これは、昨日書いた産經新聞の記事とあはせてまた今度解説します。金融機関がいかに我が國經濟においてさぼってゐるか。このなまけもの業界を糾彈してみます。バーゼル3もあはせて。

資金供給量 伸び鈍化 日銀の國債購入方針影響
 このアホな記事の解説も後日。讀賣の金融・財政關係記事は、まつたくだめ。財務省の意向に逆らった記事を書けない體質になつてゐます。
 
 あ~ん、書ききれないよ! 続きは後日書きますね。かふいふ記事に触れられるから、新聞つて好きなんだよな~。

 あつ、さうだ。兵庫縣立博物館にエルミタージュが來てゐます。行きたいな~。

hermitagemuseum

 年末年始に行きます。レンブラントた觀たい。ルーベンスが觀たい。

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このページは、宝徳 健が2017年12月 5日 22:20に書いたブログ記事です。

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