殘心(皇紀弐千六百七十七年十二月三日 弐)

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 日露戰爭 日本海海戰で、我が聯合艦隊がバルチック艦隊を打ち破りました。世界は、驚くなんてものではありません。信じられませんでした。我が聯合艦隊には外國武官が殆ど乘つていなかつたと云ひます。敗けて當然だとどの國の軍隊も思つていたからでせう。

 バルチック艦隊を打ちやぶった、我が聯合艦隊の旗艦は三笠です。外國の記者が、戰闘が終はつたばかりの、三笠に取材のために乘船をしました。

 あれだけの戰闘だつたのに、三笠の艦内は、戰闘がなかったやうに通常勤務が行はれてゐたさうです。
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              旗艦 三笠


敷島の 大和心を 人問はば 佐久間大尉の 遺書を示さん

といふ歌をご存知ですか?

 佐久間大尉が艦長の潜水艦が故障して浮上できなくなりました。つまり、沈没です。佐久間艦長は、苦しい中で、部下はみんな勇敢だるといふ遺書をしたためました。

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   苦しい息の中で書かれた遺書
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     佐久間大尉

 沈没した潜水艦を引き揚げてみると、兵士は、みな、持ち場をしつかり守りながら持ち場で亡くなつてゐたさうです。
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 外國の潜水艦が沈没をして、それを引き揚げると、出口のところで我先に助からんと人が殺到してゐるさうです。

 昔の日本人はすごいですね。私たち今の日本人は我が國有史以來、最低の日本社會を作ってしまつてゐます。教育が違ひます。

 「それが終はつた後、力をゆるめ、あるいはくつろぎながらも、まだしつかりと注意を祓つてゐる状態」を「殘心 ざんしん」と云ひます。氣持ちが途切れていない状態です。かつての日本人の所作です。

 飯を食ったら、すぐに仕事をしに行く。そして、焦って、ドアを必要以上に強く閉める。仕事に移るのに、ドタバタ歩く。必要以上な早飯。私です。バカですね・・・。

 全く「今、ここ」に集中していません。中今ではありません。

 さういふ所作は美しくない。

 宇佐美の親父さんと接しているとき、いつも思つたことがありました。「この人は、怖い物が何もないんだらうなあ」と。お世辞にもきれいな恰好をしてゐるとは云へません。おしゃれなんか無縁です。でも、美しいんです。所作が。

 一緒に居ると安心できるんです。どんなに、出光と宇佐美がもめていても。

 一緒に居たくなるです。いつも。

 今ここに集中し(中今)、氣持ちが途切れない状態を創る。生きる達人ですね。

 あ~、宝徳、お前、ドタバタするなよ。何のために、一生のうちで、天が宇佐美の親父さんに逢わせてくれたか考へろよ。逢わせてくれただけではなく、あんなにかはいがつてくれたぢやあないか。

 これから二十年仕事を仕上げていく中で、大切なことがたくさんあります。

 もちろんスキルも磨きます。でも、人間としての基本ができていないと、今後二十年の、熟年らしからぬスキルの提供になるでせう。

 惱みはしません。なんか樂しくなるさうですが、それを忘れないことができるかどうか(笑)。ブログとルーティンで繰り返し我が身に刷り込むしかないですね。

今ここに 心を殘す 途切れずに それでいながら 力をゆるめ

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このページは、宝徳 健が2017年12月 2日 23:56に書いたブログ記事です。

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