戰國策 再49(皇紀弐千六百七十七年十二月十日 四)

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 陛下の譲位の話をなぜ書かないか(退位ではない!)と聞かれますが、冗談じゃない。書くと、あばれまくりさうですので。。。

 さて、本題。

 引き続き、斉の孟嘗君のお話です。孟嘗君の話は史記にもたくさん出てきます。孟嘗君は、靖郭君の妾腹の子供です。五月五日生まれです。中国の古代では「五月五日に生れた子は父を殺す」と言われていたため、靖郭君は、孟嘗君が生れたときに、殺すように命じました。孟嘗君の母は、隠れて育てました。成長してから父の靖郭君に会ったとき、靖郭君は烈火のごとく怒ります。でも、孟嘗君はそんな父をやりこめてしまいました。

 さて、今日は「頼み方の秘訣」です。
 孟嘗君が領地の薛(せつ)にいたころ、楚がこれを攻めました。たまたま斉から楚に使いしたある有力な先生が、帰路、薛を通りました。孟嘗君は、鄭重に郊外まで出迎えました。

孟「今、薛は楚の攻撃を受けていますが、ひとつ力になってほしい。さもないと先生との付き合いももはやこれまでのことです」
先生「承知しました」

 先生は、都に帰って、まず使いの用向きを報告しました。それが終わってから、斉王が尋ねました。

王「楚で何を見てきたか」
先生「楚はわからずやで困りますが、薛も身の程を知りません」
王「というと?」
先生「薛は自分の力も考えずに、ご先代を祀った廟を立てました。楚はこれを攻めています。廟もどうなるかわかりません。薛は身の程知らずで、楚やわからずやと申し上げたのはこのことです」
王「そうか、そうか。先代の廟があったのか」

 斉王は、すぐさま、薛へ兵を差し向けました。

 あわてふためき、はいつくばって頼み込んでも、効果は知れています。すぐれた説客は、物事の趨勢と方向を述べるだけで、相手はすぐさま応じます。やたら騒ぎ回りしたりはしません。絶妙ですね。

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このページは、宝徳 健が2017年12月 9日 23:57に書いたブログ記事です。

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