目標を設定してゐない理由(皇紀弐千六百七十七年十二月二十六日 七)

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 來年の目的・目標・ルーティン・期日目標において、まだ目標を設定してゐません。「遅くとも平成三十一年(ご譲位があるので平成ではなくなりますが)十二月三十一日までに設定」となつてゐます。

 別に、仕事の目的・目標がないわけではありません。申し上げたいのは、「今後二十年の仕事人生の覚悟と三十年の人生の樂しみ」といふ觀點からといふことです。

 平成二十八年一月六日に易經のことを書いてゐますね。毎年、正月には同じことを考へるんだ~。心臓の手術の後も同じことを考へてゐたのに、ないがしろにした自分の愚かさ。猛省どころではありません。それを實行できない愚か者がここにゐます(笑)。 でも、天が私に下した鉄槌の事故を經て、今囘は、何かが違ふ。自分の中の何かが・・・。だから、それが見つかるまで目標を設定しないのです。歯の修復には一年以上の苦痛が伴ふでせう。神天がこの苦痛期間を與へてくれました。最後の警告として。この易經の記事を紹介しておきます。ものすごく恥づかしい。

(平成二十八年一月六日ブログ記事 未だ潜龍なり)

 支那の古典の中で、一番信じられて、一番素晴らしいなあと思ふのが、「易經」です。いくら嘘つき支那人と云へども、よくぞこんなすごいことを考へついたなあと。

 おそらく四書五經の中で詩經と並んで最も古く、そして、大宇宙の摂理を明らかにしたものでせう。元々、どんな民族でも、大宇宙との摂理を生活の中に組み込み存在してゐました。男と女を陰陽とし、そして、すべてのモノとコトが、陰陽で區別され、秩序を保つてゐると云ふ古代文化がありました。歐州は、それをカトリック教會主義が、むちゃくちゃにしてしまひました。

 支那は、あんなに素晴らしいことを考へながら、人間の慾望が先に來る「ウシハク(すべて支配者の所有物にする支配形態)」をしてしまひ、でたらめな國になりました。人間とは出發點は一緒なのに、そこに存在するリーダーにより、むちゃくちゃになるのです。我が國だけが、「シラス」の國體を創り上げ、そして、それを維持するために、とことん戰ひ抜く、「皇(すめらぎ)」がおはしました。

 日本ほど幸せな國はありません。おつとまたやつてしまつた。

 易経は、六十四卦の物語で大宇宙を語り、そして、その六十四の物語で、大宇宙と人の調和を(つまり生き方)を示してゐます。その六十四の中で、リーダー論である「乾為天(けんいてん)」は、龍の物語で、人間を戒めてゐます。ただし、易經を單なる占ひととらへる風潮がありますが、ご注意を。易經の奥は深く、占ひ師ごときが扱へるものではありません(もちろんこの私も)。
 人間は、龍と同じやうにの成長物語を歩みます。

潜龍せんりゅう)→見龍(けんりゅう)→君子終日乾乾(くんししゅうじつけんけんし)→躍龍(やくりゅう)→飛龍(ひりゅう)→亢龍(こうりゅう)の順序です。

 今日は、易經の講座ではないので、簡單に云ふと、潜龍といふ、修業時代を十分せずに、成長してはならない、そして、成長しても、驕つてはならない、驕ると、絶頂の時に叩き落される(亢龍)となるよといふ内容です。

 こんなことを知つてゐながら、いつも同じ失敗をしてゐるのが私です。少し良くなると調子に乘る。そして、せつかく飛龍になつたのに、亢龍となり、またやり直し。

 先日のブログにも書きましたが、軆・氣・腦のバランスがとれてきてゐます(手術後)。でも、今、いきなり、見龍や君子終日乾乾燥や、躍龍にいこうとしてはダメなのです。今の私は、潜龍のやり直しです。それを

潜龍用ふるなかれ

 と云ひます。潜龍の時に、どれだけの修業をし、そして、どれだけ大きな志を溜め込むかがその後の人生を決めます。これを

確乎不抜の志(かつこふばつのこころざし)

と云ひます。「確乎としてそれ抜くべからざるは潜龍なり」といふ表現です。

 手術と云ふ大事業を經て、關係者の役に立つために、今は、潜龍の時代を踏んでゐます。

 士魂商才をもう少しお待ちください。そして、今年一年は、この確乎不抜の志を溜め込み、今後十年の礎を築き、來年から、一気に見龍→君子終日乾乾燥→躍龍→飛龍と駆け上がります。

 二度と亢龍にはなりません。この年で、もう一度亢龍になるともうだめでせう(笑)。どんなに偉さうにふるまっても、どんなにお金持ちになっても、すべて大宇宙の原則に則つてゐるのが人生です。きちんとこれまで勉強してきたことを振り返ります。

この時に 潜み溜め込む 志を 後に活かして しらすに近づく


 そうだ岐阜に潜龍といふ抜群においしい料亭があります。なんと粋な命名なのでせう。

 あ~、行きたくなつてきた。

我いまだ潜龍なり

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このページは、宝徳 健が2017年12月26日 05:30に書いたブログ記事です。

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