暗誦と瞑想の効用(皇紀弐千六百七十七年十二月二十六日 六)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 朝のおとつめで、毎日、般若心經、教育勅語、大祓詞(おおはらえのことば)を暗誦してゐます(大學もやりたいがまだ完全に暗唱しきつていない)。 「朝のおつとめ」をやつてゐるといふと、「寳德さんは、お坊さんですか?」とよく聞かれます。名前からしてさういふ感じですものね? 遠い昔の祖先は知りませんが、私が把握している五代前までの寳德家は、商賣人で、出家した人はいません(笑)。

 言葉の意味が間違つてましたね。

 唱和:誰から最初を唱へ、他の人が續いて讀むこと
 暗誦:暗記したことを口に出して 唱えること

 私のやつてゐることは暗誦です。ルーティンを書き換えました。「來年」のですよ。

 
 まず、暗誦は、學習方法としては右腦を鍛へるのに最髙です。そして、不思議なことに、これだけ毎日やつてゐても、同じ暗誦は絶對にできません。自分のその時の精神状態、體調などにより、毎日全く違ふ暗誦となります。心が曇つてゐたり、要らないことを考へてゐると、これだけ毎日暗誦してゐるのに、時々、忘れて言葉が出なくなるときもあります。人間とは勝手なものですね。普段から、こうやつて自己都合で生きてゐるのでせう。ただ「暗誦をする」ということだけでも、自分の心に何かがあるとそれが正しい姿で出來なくなる。

掃けば散り 祓へばまたも 散り積もる 庭の落葉も 己が心も

 ある年の母の法要のとき、和尚さんが教えてくださつた歌です。まさにその通りですね。

 瞑想も同じです。心がグラついてゐると正しい瞑想ができない。たつた3分間なのに。瞑想とは、自分の純粋なエネルギーを大宇宙に放出すること。そして、大宇宙からエネルギーをもらふことです。つまり大宇宙との會話です。でも、心が曇つてゐたり、他に何か別のことをしていたりしたら、そんなエネルギーのやり取りなんてできません。一瞬も。たつた3分間、心を虚しくすることさへできません。

 大和民族とは「大いなる宇宙の大原則に和していく民族」といふ意味です。昔の人は平氣で、それができたのでせう。

 私の生きる唯一の目的と目標は、本來の立派な日本人になることです。つづけていきます。

 暗誦も瞑想もル-ティンとしてはそんなに時間はかからないのですが、本當に貴重な時間です。お坊さんがなぜ坐禅を組むかがよくわかります。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7326

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年12月26日 05:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「我が國を詠んだ和歌(皇紀弐千六百七十七年十二月二十六日 五)」です。

次のブログ記事は「目標を設定してゐない理由(皇紀弐千六百七十七年十二月二十六日 七)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。