中今を意識する(皇紀弐千六百七十七年十二月二日 弐)

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 先日、「マインドフルネス」といふ心理學用語のことを書きました。「今この瞬間の自分の立ち位置を知る」ことです。自分の立ち位置を知らなくて何かをやろうとしても、長期的には決してうまくいきません(つまり、先ほどの戰闘ではうまくいっても、戦略や戦術を果たすことはできないこと)。

 どの本だつたか、讀んでゐたら、神道にも同じ言葉があるとか。「中今 なかいま」です。「今を生き切るこそ大切」といふ意味です。まさにマインドフルネス。マインドフルネスとは、言ひ換へると、「本來の自分を取り戻す」ことです。とすれば、神道にある「中今」とは、本來の日本人の心を取り戻すことになるのですね。
 人は、毎日のあわただしい生活の中で、どこか自分を抑制し、本當の自分をひた隠しにしながら生きています。周囲の評価も氣にしがちです。

 そんな状態が續くと自分が疲れてゐることすら忘れます。無理を續けると心軆にも不調を覺へ、病氣になります。まさに、今の私です。自分の心軆を開放しないとね。

 仕事を實現するのに、そんな悠長なことを言っていいの? 

 と、私の心が叫んでいます(笑)。

 宇佐美の親父はどうだっけ? 仕事中でもいつもリラックスしてゐた親父さんの姿を思ひだします。ルーティンを落ち着いて確実にやつてゐました。「今ここ」に集中してゐました。良いことも惡いことも樂しんでゐました。いつも、最小限で最大の成果を擧げることを自然にやつてゐました。つまり、無駄をしない。

 うんうん。まだ出來ないれど、目指せばできさうですね。また親父さんに助けられました。

 故出光佐三店主、故宇佐美の親父、モスバーガーの故櫻田會長・・・・。素晴らしい方々にお逢いしてきました。若い時、「あ~あ、自分はこんな素晴らしい方々のやうになれるんだらうか」と惱んだときもありました。あるとき「できるかどうかより目指せばいいんだ」と思ひ氣が樂になりました。でも、そのときは「どうやつて目指すのか」と云ふ答へがなかつたやうな氣がします。

 あれから三十年ぐらいたつたのですね(笑)。やうやくみつかりました。感謝合唱。

困難が 身を襲いし時 その時が 己見直す 中今の時

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このページは、宝徳 健が2017年12月 2日 05:47に書いたブログ記事です。

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