戰國策 再54(皇紀弐千六百七十七年十二月二十七日 七)

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 今回も有名な斉の孟嘗君です。孟嘗君の食客の一人に「馮諼(ふうけん)」という男がいました。史記にも登場する男です。最後まで孟嘗君に従う男なのですが、その過程がとても面白いのです。しばらく、馮諼の話が続きます。
 斉の国に馮諼(ふうけん)という男がいました。貧乏で生活できないので、人に頼んで、孟嘗君の食客になろうとしました。
 孟嘗君がその紹介者に聞きました。

孟「そのかたは何を好みますか?」
紹「別にこれといって・・・」
孟「では、何が得意ですか?」
紹「それも別に・・・」
孟「まあ、いいでしょう(笑)」

 家臣たちは、主君が彼を軽んじているのをみて、粗末な野菜の食事をあてがいました。それからしばらくすると、馮諼は柱にもたれて、長剣をたたいて歌いました。

「長剣よ、帰ろうか。おれには魚を食わせない」

家臣たちが孟嘗君にその話をしました。

孟「食べさせてやりなさい」

馮諼は、魚つきの食客に昇格しました。

また暫くすると、馮諼は長剣をたたいて歌いました。

「長剣よ、帰ろうか、外に出るのに車もない」

家臣たちは笑って孟嘗君に取り次ぎました。

孟「車をやりなさい」

馮諼は、車つきになりました。

ところがまたしばらくすると、また、長剣をたたいてうたいました。

「長剣よ、帰ろうか。これでは母を養えぬ」

家臣たちは、なんと欲の深い奴だろうとそしりました。孟嘗君は、月々の費用を与えて暮らしに差し支えないようにしました。

 馮諼は、その後二度と歌を歌わなくなりました。

 さあ、この馮諼、最後には孟嘗君の窮地を救います。お楽しみにしてください。

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このページは、宝徳 健が2017年12月26日 23:26に書いたブログ記事です。

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