戰國策 再14(皇紀弐千六百七十七年七月二十八日 五)

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 大臣の甘茂(かんぼう)が、秦の武王を絶妙に動かします。企業における上司の使い方ですね。企業において、仕事のできない人は、上司の言いつけど おりにやって、環境の変化が起きて上司が考え方を変えたことに気づかず「この前、そうおっしゃたではないですか」と言います。上司の戦略性を常に頭におい て仕事をすることが大切です。
 韓の国を攻略することを命じられた甘茂は、王のお気に入りの向寿(しょうじゅ)を副官にして出か けます。その途中、甘茂は、向寿にこういいます。「さきに帰って、王に「魏は甘茂の申し入れを聞きました。しかしまだ韓を攻めぬうように」と申し上げてほ しい。この仕事が成功すれば、手柄は全部あなたに進呈するから」

 向寿は帰国してそのように王に言上しました。王は息壌まで甘茂を呼び戻し、さっそくそのわけを尋ねました。

 甘茂はこう答えました。

「韓の宜陽(ぎよう)は大県です。むかしから、上党(じょうとう)、南陽の富を集めて、県とはいえ郡に匹敵します。しかも宜陽に入るには多くの難所 を越えなければなりません。容易ならないことです。
 かつて張儀は、先代の恵王にお仕えして、西は巴蜀(はしょく)を併合し、北は黄河以西、南は上庸(じょうよう)まで攻略しました。しかし人々は、張儀を ほめずに、張儀を信任した恵王の明をたたえたといいます。
 また、魏の文侯(ぶんこう)が楽羊(がくよう)に中山(国名)を攻めさせたときのこと。楽羊は三年でこれを攻略し、帰国して自分の手柄を自慢しました。 そのとき文侯は、彼を非難した群臣の手紙一箱を示しました。楽羊は額を床にこすりつけ、「私の手柄ではありません。ひとえに王のご威光によるものです」と 言ったと聞いています。
 ところでわたしは何と申しましても外様の家臣であります。もし王の側近が、韓の肩をもって攻撃をやめるように進言すれば、あなたはきっと二人の言うとお りになさるでしょう。それでは同盟国の魏を裏切ることになります。また韓の宰相からは、さては甘茂の一存の出兵であったか、とわたしだけが怨まれます。」

 まだまだ続きます。明日のお楽しみに。

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このページは、宝徳 健が2017年7月28日 08:18に書いたブログ記事です。

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