命の手紙 36(皇紀弐千六百七十七年七月二十九日)

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□昔話
□海軍の朝から晩まで
 のつづきです。

 掩体壕とはこういふものです。飛行機を隱す施設です。
「掩体壕 写真」の画像検索結果
 昭和20年5月4日。戦爆連合の米軍の攻撃を受けて松山海軍航空隊(松空 まつくう)は壊滅した。完膚なきまでに叩きのめされたといったほうがいいだろう。

 米軍機が松空の上空に来ているが、こちらは本土決戦に備えて戦闘機を掩体壕(えんたいごう)に隠していて飛び立たない。「鉄器は本体の上空にあり」と言っているだけである。

 防衛(反撃)は定員部隊が行う。定員とは砲術科の兵隊のことをいう。米軍戦闘機は口径20ミリの弾丸で撃ってくるのに、防衛するこちら側は口径7.7ミリで立ち向かっているから勝負にならない。

 爆撃よりも戦闘機の機銃掃射が怖かった。グラマン(米軍戦闘機)の操縦院の顔が見えるほどの低空で襲ってきた。逃げた。飛行兵は地上では無力だ。  つづく

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このページは、宝徳 健が2017年7月29日 10:47に書いたブログ記事です。

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