ああ、本よ 3(皇紀弐千六百七十七年六月十八日 參)

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我が國では、「シビリアン・コントロール」が間違つて使はれてゐます。ボジティブリストとネガティブリストの違ひは、これまでも繰り返し述べてきました。従來の軍隊は、「これだけはやるな」と云ふものを定めて、あとは國際法に違反していなかつたら、自由に戰へるといふネガティブリストが常識です。自衞隊は、「これこれだけはやつていい」といふポジティブリストです。これは、軍人に「死ね」と言つてゐるやうなものです。平和安全法制の時に、「自衞隊員の命」を叫んでいた野黨の連中は、いつたいこrをどう考えていのでせうか?

 それと、企業でも、よく間違えられつのですが、コントロールとマネジメントは違ひます。制服組の防衛省は、自衞隊をマネジメントしやうとします。軍事の素人にこんなことをやられたら危險が増すだけです。

 全体の方向性だけを示す、コントロールでいいのです。

 さあ、樋口恒晴先生の時代です。「一國平和主義の錯覚」の著者です。この本、中古市場で8,000ぐらいします。
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 髙いので、新版で出た。「平和という病」


 これなら1,188圓で賈へます。

 そして、「幻の防衛道路」。これも必讀の書です。

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 單に防衞道路に關はることのみならず、我が國の安全保障政策の歪をあぶりだしていてゐます

 大正8年に作られた舊道路法には以下の規定がありました。

 [第十条 国道ノ路線ハ左ノ路線ニ就キ主務大臣之ヲ認定ス
  一 東京市ヨリ神宮、府県庁所在地、師団司令部所在地、鎮守府所在地又ハ枢要ノ開港ニ達スル路線二 主トシテ軍事ノ目的ヲ有スル路線 ]


 國道を、東京と伊勢神宮・府県庁所在地・軍事・海事の拠点を結ぶ路線や、その他の主として軍事の目的を有する路線とする規定です。

 ところが、昭和27年に作られた新道路法では、軍事的色彩は一切排除されてゐます。それどころか、同法案を提出した議員の一人である田中角栄は、衆院建設委員会で「・・・・師団司令部と師団司令部をつなぐ道路を国道となすというのが、現行憲法のもとでは非常にふとどきである・・・」とまで述べており、道路政策に安全保障の観点を持ち込むことを完全に忌避しました。こんな男を英雄視する石原慎太郎の頭の中がみてみたい。


 防衞道路計画が胡散霧消してしまった理由は政治家が消極的だったことに加えて、道路行政を差配する建設省も予算を握る大蔵省もこの計画に極めて消極的だったためです。消極的どころか「ふとどき」とさえ考へていたと思はれます。

 樋口先生は、大蔵省が「拒否権集団化」したことが同書の指摘する問題の「大構造」である、と述べてゐます。

 我が國が人間社會の奇跡である歴史のとぎれがないことを實現したのは、常に、侵略はしないけれども、軍事大國であり續けたからです。武装中立。我が國の防衞の在り方はこうかもしれません。

 宮澤俊義といふ、おろかな東大教授に國を蹂躙されてきた敗戰後の醜い姿を繼承する愚かな憲法學者たちなんかもう日本に不要です。樋口先生のやうな安全保障の専門家がもつと重用されるべきです。

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このページは、宝徳 健が2017年6月18日 09:25に書いたブログ記事です。

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