どの本よりわかりやすい南総里見八犬伝 再27(皇紀弐千六百七十七年六月十九日 弐)

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 信乃のところに亀篠があわただしくやってきたところまででした。
 「信乃や、糠助のじじいがもう、長くないよ。今日、明日の命だよ。お前に一度会いたいと言っているが、どうせ、葬式代の工面とかろくな話じゃないよ。行く行かないはお前の勝手。伝えたからね」

 なんとも相変わらず意地悪な強欲ババアです。信乃はすぐに糠助の家に行きました。糠助は起きようとしますが、もう、ままなりません。息も苦しげに、信乃にこう伝えました。

「死んでゆくこの身に心がかりなのは、今まで誰にも告げたことがない、わが子玄吉のことだけでございます。私はもともと安房の国洲崎の近くの者で、百姓と漁師をかねて何とか暮らしていました。男の子が生まれた翌年、女房をなくしたのです。二歳の幼子をかかえ、畑にも海にも出られず、暮らしにつまって、殺生禁断の海で魚を盗みました。それで、召し取られ、死罪になるところでした。おりよく、里見家のお殿様の伏姫さまの三回忌で、大赦が行われ死罪を免れました。そこで、幼い玄吉と一緒に上総から下総まで下っていったもの、飢えと疲れで歩くのも困難。道端に行き倒れて生き恥をさらすより、親子もろとも身投げをしようと、橋の欄干に足をかけて飛び込もうとしたおり、あるお武家様に止められました。『私は、鎌倉殿の身内だが、四十過ぎまで何人も子をもうけながら一人も育たなかった。ところがおまえは、一人の子をもてあまして、親子とも死のうとしている。どうだ、その子を私に譲ってくれぬか』とおっしゃったので、玄吉をもらっていただきました。」

 糠助の話はまだまだ続きます。つづく。

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このページは、宝徳 健が2017年6月19日 03:09に書いたブログ記事です。

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