命の手紙 31(皇紀弐千六百七十七年六月十四日 四)

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 これやらなきゃ。忘れてた。親父と息子と三人で寳德家のルーツを探らうと言つてゐたのに。

 昨年7月19日に、この手紙が父から来ました。

 ご參考までに我が家を遡るとかうなります。

寳德 真大(まさひろ:息子)
寳德 健(私)
寳德 佳男(父)
寳德 義一(ぎいち:祖父、祖母はツイ)
寳德 寳四朗(ほうしろう:妻は、つる)
寳德 惣四朗(そうしろう:妻は、かの)

 寳四朗までは、今の本籍 福井県丹生郡越前町玉川でわかるのですが、惣四朗からは、苫前に行つて、原戸籍をとらないと遡ることができません。
健へ
寳德寳四四郎を戸主とする「戸籍謄本」を送る。

寳四郎は苫前村から、福井県敦賀郡敦賀町津内184号15番地に本籍を構えた。この戸籍は古いが、苫前町で原戸籍を請求するときは(記載事項が)苫前村となっているので問題はない。

この戸籍謄本の写しと、寳德佳男(父です)の身分を証明するもの(健康保険証など)を示せば「寳德惣四郎以前の原戸籍」は苫前町で交付される。

ただ、お父さんと違い、健も〇〇(息子の名前)も仕事を持っている身だから「仕事優先」である。

仕事で手が抜けないようなときには
健が敦賀市に仕事で行ったとき、敦賀市役所で、
寳德寳四郎を戸主とする新しい「戸籍謄本」の交付を受け、
苫前町に原戸籍を請求する方法もある

用件のみ
7月19日
父より

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このページは、宝徳 健が2017年6月14日 17:10に書いたブログ記事です。

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