腐草爲蛍(皇紀弐千六百七十七年六月十日)

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 今日から、二十四節氣 芒種 末候 腐草爲蛍です。「くされたるくさほたるとなる」と讀みます。

 かつての日本人はすごいですね~。この意味は、「ホタルが暗闇に光を放ちながら、飛び交う頃」です。きれいな水邊に住んでゐると思はれがちですが、野原でも蒸れ 腐りかけた草の下で、明かりを灯し始めます。きれいにきれいに自然を見つめ、そして、自然と共生し、人間社會の奇跡を築きあげたのが我が國 日本です。それを、今の日本人は忘れてゐますが。

 蛍つて、まだまだたくさんの言葉があることをご存知ですか?
「蛍 写真」の画像検索結果
 螢の語源については、「火垂る」と「星垂る」のふた通りの解釈がつたさうです。

 貝原益軒の『大和本草』(1709年)の中で、「ホは、火なり、タルは、垂なり」とあります。螢は「火垂る」「火を垂れる虫」と書かれています。

 小野蘭山という人が書いた『本草記聞』という文献には、「星が垂れる」という言葉の起源が述べられています。

 特にこの言葉に出逢つたときに、納得しました。小学校三年生から五年生まで、静岡縣駿東郡裾野町で育ちました。毎日、それはそれは素晴らしい富士山を眺め育ちました。遠足には水筒をもつていきません。あちらこちらに富士山の惠みである湧水が流れてゐるからです。

 そして、この時期になると、そこいら中の河原に、それはそれは美しい蛍が飛び交います。大量に。初めて觀たときには、「これはこの世のものなのか」と思ひました。かつての日本人は、それを星が降りてきた「星垂る」と表現したのです。さらに云ふと螢が星の生まれ変わりと想像した人たちがなんです。
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 『日本書紀』には、「彼地多有螢火之光神」(その国、螢火の輝く神に有り)とあります。古代の神々のまはりを螢が亂舞する光景は、まさに幻想の世界です。

 でも、こんな風景は、かつての日本では当たり前だつたのです。長い笹竹を振りかざしながら螢の光を追いかけました。覺へてゐませんか「こっちのみ~ずはあ~まいぞ あっちのみ~ずはか~らいぞ」。

 最近忙しくて蛍も觀にいけませんが、今年は行きたいな~。

 神は、天は、私たちくだらない人間に、何を思つて、星垂るをつかはしたのでせう。

星垂れる 光とともに 垂れるのは 神がつかはし 人への問ひかけ 

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このページは、宝徳 健が2017年6月10日 04:42に書いたブログ記事です。

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