命の手紙 27(皇紀弐千六百七十七年六月一日 弐)

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 父と金亨貞さんのやりとりが續きます。太字は父です。しかし、きれいな日本語ですね。今の日本人は恥ずかしい。
―プサン(釜山)発―

 いろいろな事情で釜山に引っ越したこと、貴兄とMr.姜だけには知らせるが精神的に追い回されて通知が遅れたこと、同級生には知らせないで・・、とある。

 彼との交信は二十数通に及ぶ。最後に奥様(金福淑さん)がハングルで書き、金亨貞が翻訳してくれた手紙を紹介する。


宝徳ご夫妻様したね。
歳月とは早いものです。

1年と反箇月も前、遠い成田空港まで御見送りくださったご夫妻に對して改めて深く感謝いたします。考えれば考える程夢の様な3箇月が今でも深く脳裏に刻まれて、忘れ難い追憶としてなつかしく思われる時も度々あります。

 其の間、御夫妻様を始め御子様も相変わらずお元気ですか?

 特に奥様の体調は遠く離れてはいますが、いつも案じています。ご不自由ながら何回も病院を訪れてくださいまして本當に有難うございました。

 病室が暑いからと、買ってくださった薄いふとんは、持ち歸って此の頃は家で有用に使いながら、奥様の御温情に對して再三感謝しています。 つづく

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このページは、宝徳 健が2017年6月 1日 09:02に書いたブログ記事です。

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