2018年12月アーカイブ

 この記事を以て今年のブログの打ち止めとします。このブログでは761通書きました。HPブログと併せると801通。來年は1,000通に挑戦します。

 元々このブログは、人に讀んでもらう目的ではなく、その時点で自分が何を考へてゐたかを遺すために書き始めました。平成十七年九月三十日(2005年)から始めました。

 だから、内容はかなりわたしのわがままです。讀みにくいところもあるでせうが、徐々に讀者の方も増えてきました。感謝合掌。

 本年一年大変お世話になりました。みなさん、良いお年をお迎へください。
 源氏物語 青表紙本と河内本の違いをみてゐます。

 青表紙本では、「花にも喩へられないからこそ、桐壺の更衣の美しさは楊貴妃よりも素晴らしい」と表現したかった紫式部の意図をあらはしてゐます。

 ところが、先日、ご紹介した河内本の表現では、「女郎花や撫子に寄りかかってゐる」表現です。身も蓋もない自己矛盾です。

 中世においては、當初は、河内本が優勢であるぐらいに、青表紙本と河内本は並び立つたさうです。でも、時代の流れがおのずと淘汰して、江戸時代からあ、青表紙本一邊倒になつたさうな。

 藤原定家の見識と鑑識眼の勝ち~。

 もし、紫式部の原本が残つてゐたら、世紀の大發見ですね。そうしたら、原本と青表紙本との違ひがわかりますね。ドキドキ。でも、青表紙本があるから、私達は今、いろんなパターンの源氏物語と触れることができます。

 さて、本文のつづきです。三位の中將(頭の中將 とうのちゅうじょう)が須磨に遊びに来てくれました。亡くなつた光源氏の正妻 葵の上の兄であり、左大臣の息子でもあります。光源氏の大親友です。

 光源氏は精一杯のもてなしをしますが、この大親友さえ、世評を恐れて長く滞在はしませんでした。

 さあ、いよいよ第十三帖「明石」です。新年は明石から書きませう。
 私は年間二百二十冊以上の本を讀みます。ジャンルは多岐にわたりますが、歴史や古典の占める割合がかなり多くなつてゐます。これを十五年以上続けてゐますので、三千冊は讀んでゐます。だけど、これまで、「邪馬台國」といふ言葉に出逢つたことはありませんし、邪馬台國の論爭誌以外には、「邪馬台國」なんて云ふ字さえみたことがありません。

なんでみんな邪馬台國のことを騒ぐんだらう??? おかしいなあ。

とずつと思つてきました。まあ、あまり騒ぐ必要もない事なので、この好奇心旺盛男がそれについて調べたことのないし、調べる必要性もあまり感じてゐませんでした。

 今囘、ある一冊の本が上梓されました。
 昨日の讀賣新聞の記事はひどいですね。これを何も考へずに讀んでしまふ人は、我が國のことがわかつてゐない人です。非立憲です。


 繰り返し書いてきましたが、憲法とは「国柄・歴史・文化・文明・風俗・習慣」です。その國が培ってきたものです。それを文章化したものが「憲法典」です。つまり日本國憲法は憲法典です。では、この憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法「典」は、本來の意味の憲法をあらはしてゐるのでせうか?答えははつきりしてゐます。

NO!!!

です。 つまり、邪教 日本國憲法「典」自身が立憲主義に違反しゐるのです。憲法違反なのです。