2018年12月アーカイブ

 この記事を以て今年のブログの打ち止めとします。このブログでは761通書きました。HPブログと併せると801通。來年は1,000通に挑戦します。

 元々このブログは、人に讀んでもらう目的ではなく、その時点で自分が何を考へてゐたかを遺すために書き始めました。平成十七年九月三十日(2005年)から始めました。

 だから、内容はかなりわたしのわがままです。讀みにくいところもあるでせうが、徐々に讀者の方も増えてきました。感謝合掌。

 本年一年大変お世話になりました。みなさん、良いお年をお迎へください。
 源氏物語 青表紙本と河内本の違いをみてゐます。

 青表紙本では、「花にも喩へられないからこそ、桐壺の更衣の美しさは楊貴妃よりも素晴らしい」と表現したかった紫式部の意図をあらはしてゐます。

 ところが、先日、ご紹介した河内本の表現では、「女郎花や撫子に寄りかかってゐる」表現です。身も蓋もない自己矛盾です。

 中世においては、當初は、河内本が優勢であるぐらいに、青表紙本と河内本は並び立つたさうです。でも、時代の流れがおのずと淘汰して、江戸時代からあ、青表紙本一邊倒になつたさうな。

 藤原定家の見識と鑑識眼の勝ち~。

 もし、紫式部の原本が残つてゐたら、世紀の大發見ですね。そうしたら、原本と青表紙本との違ひがわかりますね。ドキドキ。でも、青表紙本があるから、私達は今、いろんなパターンの源氏物語と触れることができます。

 さて、本文のつづきです。三位の中將(頭の中將 とうのちゅうじょう)が須磨に遊びに来てくれました。亡くなつた光源氏の正妻 葵の上の兄であり、左大臣の息子でもあります。光源氏の大親友です。

 光源氏は精一杯のもてなしをしますが、この大親友さえ、世評を恐れて長く滞在はしませんでした。

 さあ、いよいよ第十三帖「明石」です。新年は明石から書きませう。
 私は年間二百二十冊以上の本を讀みます。ジャンルは多岐にわたりますが、歴史や古典の占める割合がかなり多くなつてゐます。これを十五年以上続けてゐますので、三千冊は讀んでゐます。だけど、これまで、「邪馬台國」といふ言葉に出逢つたことはありませんし、邪馬台國の論爭誌以外には、「邪馬台國」なんて云ふ字さえみたことがありません。

なんでみんな邪馬台國のことを騒ぐんだらう??? おかしいなあ。

とずつと思つてきました。まあ、あまり騒ぐ必要もない事なので、この好奇心旺盛男がそれについて調べたことのないし、調べる必要性もあまり感じてゐませんでした。

 今囘、ある一冊の本が上梓されました。
 昨日の讀賣新聞の記事はひどいですね。これを何も考へずに讀んでしまふ人は、我が國のことがわかつてゐない人です。非立憲です。


 繰り返し書いてきましたが、憲法とは「国柄・歴史・文化・文明・風俗・習慣」です。その國が培ってきたものです。それを文章化したものが「憲法典」です。つまり日本國憲法は憲法典です。では、この憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法「典」は、本來の意味の憲法をあらはしてゐるのでせうか?答えははつきりしてゐます。

NO!!!

です。 つまり、邪教 日本國憲法「典」自身が立憲主義に違反しゐるのです。憲法違反なのです。


 下関にある、長門國の一宮 住吉神社です(正式名称 住吉坐荒御魂神社(すみのえのにますあらみたまじんじゃ)。きれいな神社ですね~。

「我が荒魂(あらみたま)は、穴門(あなと)の山田邑に祭らしめよ」(日本書記)

 新羅親征を果たした神功皇后に荒魂を長門(穴門)に祭るやうに住吉三神が告げました。

「和魂(にしきみたま)は王身(おほみみ)に服(したが)ひて壽命(みいのし)を守り荒魂は先鋒(みさき)として師船(いくさぶね)を導む」

 住吉三神は、神功皇后の親征でこう告げ、和魂と荒魂の両面で守ってきました。荒魂とは「勇猛果敢で窮地に陥ったときに發動される神魂です。つまり、新羅の侵攻に備え、西を睨む要との位置づけ」です。

 わかりますよね? 國防がないと國を護れないのです。そして、日本書記の記述にご注意ください。「和魂」「荒魂」と「和魂」が咲きに來てゐます。

 つまり、平和が先に来る記述。武力はどうしてもしかたがないときにしか使はないといふ我が國傳統的な考へ方です。

 イザナギノミコトが、黄泉の國から歸つてきたとき禊をします(住吉三神もそれで生まれた)。そのときに、左眼を洗つたときに生まれたのが天照大御神です。右目が須佐之男命、鼻が月讀命です。

 最高神が左眼から生まれてゐます。他の國では、「左」は不淨とされます。右の方が強いからです。つまり、武力を好みます。我が國は、左。つまり、弱い方を重んじると言ふか、強い方を後囘しにする。これが神話の世界からつづいてゐます。歐米などに云はれたくない。

 それに、こんな太古からシリビアン・コントロールがあるのです。

 宮中では、右大臣より左大臣の方が位が上です。同じ意味です。

 ひとつひとつみていくと、我が國のすばらしさがわかります。 つづく。
管見妄語(かんけんもうご)
 週刊新潮を時々購読します。讀みたい記事はふたつだけ。高山正之先生の「変見自在」と藤原正彦先生の「管見妄語」です。この二つの記事が週刊新潮になかつたら、私は購読しないでせう。ところが、この前久しぶりに週刊新潮を賈つたら、なんと、藤原正彦先生の 「管見妄語」がない!!!! 體調でも崩されたかなあと思つて、二、三週あけて賈つてみたらまたない。

ショック!!!!

 これは・・・。
 
 私が中小企業診斷士試験のために勉強してゐるとき、企業統治がテーマで強く上がつてゐました。「企業は株主のものである」です。出光興産で育つた私は、この考へ方に強く反發しました。まあ、試験對應として、模試や本番の試験ではそれを書きましたが。この考へ方はおかしいとずつと思つてきました。
 
 経営者、從業員、取引先(仕入れ先・売り先)・地域社會などと共生しながら經營していくのが我が國の傳統です。文化です。文明です。このやうな歐米の考へかたでは我が國が壊れてしまひます。

 「故(かれ)つぶさに教へを覺(さと)しの如く、軍(いくさ)を整へ、船を双(な)め、度(わた)り幸(い)でます時に、海原(うなはら)の魚、大き小さきを問はず、悉(ことごと)く御船(みふね)を負ひて渡る」

 神功皇后が住吉三神の教へ通り、軍勢を整へ、船を並べて渡海すると、すべての魚が船を背負つて進んだ、です。

 追い風が吹き起り、船は並に乘つて大波は新羅の国土の半ばまで來ました。
 青表紙本と河内本の違ひをみてゐます。青表紙本で前囘お示しした桐壺のところの表現が、河内本ではどうなつてゐるか。違ひは、太字とアンダーラインのところです。

「繪に描ける楊貴妃の容貌(かたち)は、いみじき(腕の良い)繪師と雖(いへど)も、筆限りありければ、いと匂日少なし。太液(たいえき)の芙蓉、未央(びあう)の柳も、げに通ひたりし(楊貴妃の)容貌を、唐(
から)のいたる装ひは麗はしう。清(けう)らにこそありけめ、(桐壺の更衣)懐かしう臈(らう)たげなりし有様(ありさま)は、女郎花(おみなえし)の風に靡(たなび)きたるよりもなよび、撫子の露に濡れたるよりも臈(らう)たく、懐かしかりし容貌(かたち)、氣配を思(おぼ)し出づるに、花鳥(はなとり)の色にも音(ね)にも比(よそ)ふべき方ぞなき。

「今は亡き更衣(桐壺の更衣)は、女郎花よりもなよなよしていて、撫子よりもいじらしかった」です。これは面白くないですね~。青表紙本よりも詳しいし、わかりやすいのですが、くどいのです。待つ芭蕉も「言ひ仰せて何かある」です。「それを言つたからとしてどうなんだ」です。つづく

 では、本文のつづきです。
 もうすぐ除夜の鐘。ゴーン、ゴーン。

 なんて洒落を言つてゐる場合ではない。

 カルロス・ゴーンの件、どつちがいいか惡いかではなく、なんか意地とプライドなどなどのバトルロイヤルになつてゐますね。

 私は、檢察といふのは正義の味方で、みんな清廉潔白の人ばかりと學生時代は思つてゐました。「総理大臣を檢擧するなんて日本の司法はすごい」などとも。完全な誤りです。
 五世紀ぐらいのことでせうか。支那大陸に 梁といふ國があり、そこに武帝といふ王がゐました(皇帝ではない)。

 支那大陸の歴史の中で、一番仏教を信仰した人と云はれてもゐます。

 そこに、禅宗の始祖 達磨大師がやつてきました。
 平成二十七年六月まで、毎月、弊社月刊誌 士魂商才を作成して關係者に送っていました。平成二十七年九月に心臓バイパス手術をしてから作成していません。もう三年間も。八十七號でストップしています。 來年からそれを復活しやうと思つてゐるのですが、どうも、決斷が鈍つてゐました。作成するのに徹夜を二囘ぐらいしていたからです。

 テーマは、「立派な日本人になる」です。ですから、一般受けするものではなく、かなりマニアックな内容でした。どういう風に書くかはまだ決めていません。毎月70pものボリュームを書けるわけがありません(今は)。だから、スタイルと内容を大幅に變える必要があります。その考へ方が整ひしだい、再開します。

 あと、仕事ができるのは二十年しかないんですものね。まずは、士魂商才100號までの作戦を練ります。
 今日の産經新聞朝刊から。

天長節 一般參賀
 お願いだから「天皇誕生日」なんて云はないで。そんな日本語はありません。それにしても、すごい。やはり我が国は、世界で唯一の國民國家です。何千年と云ふ歴史に裏付けられた。世界で唯一歴史が連續した人間社會の奇跡の國 我が國日本。 何度も何度も、陛下のお言葉を聞きました。涙があふれてとまりません。


 今年九十一歳になる父が、自分の人生や考えてゐることを手紙で送つてくれます。ワード文書にして(笑)。しばらく書かないうちに三通來ました。ブログに載せるのが追い付きません( ;∀;)。

 さて、今囘のテーマはカッターナイフ。
 神功皇后の紹介を終はりました。福岡縣に宇美といふ土地があります。神宮皇后が、應神天皇を産んだところです。宇美八幡宮があります。産んだから「宇美 うみ」です。


 なぜ八幡宮か。應神天皇は、八幡神(はちまんかみ)といつて、八幡樣そのものだからです。

 さて、いよいよ住吉っさん。全國各地にある住吉神社です。

「是(こ)は天照大神の御心ぞ。また底筒男(そこつつのを)、中筒男(なかつつのを)、上筒男(うえつつのを)三柱の大神ぞ」。

 この三柱が住吉の神です。イザナギノミコトの禊の際に生まれました。
 青表紙本と河内本でどのくらい表現が違ふかのテーマに戻します。

 まずは桐壺を例に。

「繪に描ける楊貴妃の容貌(かたち)は、いみじき(腕の良い)繪師と雖(いへど)も、筆限りありければ、いと匂日少なし。太液(たいえき)の芙蓉、未央(びあう)の柳も、げに通ひたりし(楊貴妃の)容貌を、唐(
から)のいたる装ひは麗はしうこそありけめ、(桐壺の更衣)懐かしう臈(らう)たげなりしを(帝が)思(おぼ)し出づるに、(桐壺の更衣は)花鳥の色にも音にも比(よそ)ふべき方なき(實際には源氏物語は平假名ばかりですが、わかりやすいやうに)」。

 意味は、「芙蓉(=蓮の花)や柳に喩えることのできる楊貴妃の美貌は二流である。それに對して、美しい花の色にも喩えられない美貌と、美しい鳥の聲にも喩えられない美聲を持つてゐた桐壺更衣の美しさは一流である」です。

 さて、これが河内本になるとどうでせうか。次囘ね。

 さあ、物語は、いよいよ明石の君に近づいてきます。
 昨夜のつづき。それにしても、PHP研究所といふのはもつたいない會社です。かなり優秀な編集者と営業マンがいます。だからとても良い本をプロデュースします。編集者と云ふのは、著者にただ本を書く依頼をするのではありません。テーマを以て著者と内容を檢討します。そのテーマが強烈であればあるほど、良い本が出來ます。コンセプトでもいふのでせうか。

 そして、PHPに優秀な編集者がいる證拠に、例えば、樋口恒春先生の「一国平和主義の錯覚」。安全保障のお手本です。今でも中古本市場で15,000圓はします。
 この記事から明日のルーティンです。

韓國軍の今
 レーダー照射が問題になつてゐます。もちどん由々しき事態ですが、もつと事は深刻です。元々
政治レベルで日韓がぎくしゃくしても、軍隊レベルでは自衛隊と韓國軍は親密でした。でも、今、韓國で起きてゐることは、軍から、その親日が粛清され、アカが軍を支配しつつあるのです。

 朝鮮半島は、嚴密に言ふと、北と南は民族が違ひます。北はどちらかといふと騎馬民族系で、南を支配に來た人間たちの子孫です。だから、戰ふことやずるさにはとても長けてゐます。朝鮮半島といふのは、その土地自身はなんの價値もないのですが、地政學上、どうしても必要です。あそこに軍事的空白が出來ると、我が國はもちろんたまりませんが、世界に及ぼす影響が大です。農耕民族の南朝鮮はそのことに氣づかないので、北にやられっぱなしです。

昭和三十三年
 私の生まれた年です。この年はいろいろあつたんです。我が國が髙度經濟成長に向けてスタートを切り始めた頃です。「東京タワーが還暦」と云ふ記事がありました。そうです。東京タワーが出来た。當時は、世界一の髙さの建造物です(フランスのエッフェル塔を超えて)。一萬円札が出来た。長嶋茂雄が巨人軍に入った。今上天皇陛下と皇后さまのご婚約が調った。などなど。そして昭和三十九年。東京オリンピック、東海道新幹線開通(夢の超特急ひかり號)。この時期に幼少を過ごした私は「日本はすごいなあ」と思ひながら育ちました。

PHP三部作
 PHPがすごい本を三冊出しました。


 仕立て屋夫婦がせむし男に魚を無理やり食べさせました。男は魚の骨がのどにつまり死んでしまひました。困った夫婦は、醫者の家に投げ込みましたが、醫者は男に躓いて、男が会談から転げ落ちたのをみにいったら「あっ、死んでゐる」と自分が殺したとまたまた勘違ひ。 まででした。
 年賀状を私にまだ出されていない方は、自宅住所でお願いします。事務所の移転や廃止などで、大阪事務所に手紙が届きにくくなっています。
〒663-8184 西宮市鳴尾町3-16-22-301です。申し訳ございません。


常盤もの
 十一月十七日の産經新聞朝刊に 「魚の国 宝の国」といふ記事が載つてゐました。常盤(じょうばん)は福島縣の東です。未だに、風評被害があるさうですね。バカみたい。

 紹介されていた最初の物は「常盤もの丼」。福島縣相馬市です。なつかしいなあ。昭和五十八年(1983年)に出光興産株式会社に入つた私の新入社員赴任地は福島縣郡山出張所でした。新入社員ではじめて出張所配属になりました。實驗だつたのですね。郡山駅で降りて事務所を探すと、小さなガソリンスタンド(出光直營)の二階でした。ほんの少しだけ、「ああ、同期で商社に入つた奴や、銀行に入つた奴は綺麗なオフィスで仕事をしてゐるんだらうなあ」と思いましたが、働いてみると樂しい、樂しい。たかだか新入社員にも與へられてゐる責任と権限は絶大でした。そして、營業担當が、相双地区(相馬と双葉)です。ちやうど、風評被害(原發被害とは分けて考へなくてはいけません)。

 その相馬で今、大人氣なのが「常盤もの丼」。ヒラメとアナゴの丼ぶりです。

 食いて~。

 次が、ホッキ飯・かれい姿あんかけ。福島縣いわき市です。






 住吉神社のことを書く前に、まず、基礎知識として、神功皇后(じんぐうこうごう)について過去個のブログに書いた記事を紹介しています。(20130409)

 日本武尊を裏切った息長氏ですが、娘を后として送り込むことでヤマト王権の北陸進出を手助けしようとしたのでしょうか?

 ところが、息長氏は再び裏切っています。今度は、その娘とその子を・・・。
 今日は、「天長節」です。「天皇誕生日」ではありません。昭和の日がありますがこれも違ひます。「昭和節」です。十一月三日は「明治節」です。このことは、このブログでも繰り返し述べてまいりました。「天皇誕生日」とすると、「すめらみこと(今上天皇陛下)」のお誕生日しか祝はないことになります。「節」といふのは、皇祖皇宗以來のなが~い、我が國の歴史(世界で唯一歴史が連續した人間社會の奇跡の國 我が國日本)の中で、今上天皇陛下がその節目におられることを祝ふことになります。今上天皇陛下は、ご自分の誕生日を祝つてもらおうなどと思つていらつしゃいません。だから、「平成最後の天皇誕生日」といふ表現は厳密に言ふと間違ひです。

 

 陛下が、お言葉をくださいました。FNNの記事をそのまま掲載します。マスゴミが使つてゐる、「退位」などといふ言葉は使はれてゐません。「譲位」と仰つてゐます。

 

 我が國のすごさ。涙が出てきます。日本人に生まれてよかつた。私たち日本人は幸せです。皇室の存在と皇室と一體となつた、國民國家。これが我が國の體質=國體=憲法なのです。早く國體を元に戻して、これからも未來永劫 この國體を支へるのが私たち臣民の務めです。そして、この國民國家は、歐米、支那と違ひ、我が國は、何千年も前から當たりまえのやうに實現してきたのです。世界で唯一。

 今日から二十四節氣(にじゅうしせっき) 冬至です。一年で一番昼が短く夜が長い日です。大きな宇宙の流れが陰から陽に轉じる日です。明日から昼が長くなりますからね。この日を境に太陽の光が蘇ってくるので、「一陽來福(いちようらいふく)」と云はれてゐます。

 南瓜を食べて柚子湯にはいる。昔の人は偉いですね。

 そして、七十二候は 冬至 初候 乃東生です。「なつかれぐさしょうず」と讀みます。

 靭草は、夏になると枯れてしまひます。なので、「なつかれぐさ」と呼ばれてゐます。
 A家に所蔵されてゐる源氏物語と、B家に所蔵されてゐる源氏物語とでは、ストーリーにほとんど違ひはないのですが、細かな表現には無數の違ひが生じました。さて、どんな違ひがあるのでせうか?(これは次囘)、・・・までが全囘の締めでした。

 例えば、桐壺。桐壺は云ふ名でもなく、すぐに亡くなってしまふにもかかはらず、ずつと、源氏物語(特に前半)の主役です。光源氏は、桐壺の面影を(おそらく幼少で覺へてゐないけれど)追い續けながら戀をします。

 桐壺帝(帝)が、桐壺が亡くなったあと、支那の傳説の美女である楊貴妃よりも美しかつたことを、思い出す場面があるさうです(私は青表紙本を観たことがない)。

 探してみたら全巻ではないけどありますね。青表紙本。




 一番上が「桐壺」、二番目が「明石」、三番目が「花散里」・・・。だそうです。ああ、だめ。かういふのを知ると、もう、我慢が出來ません。 注文しました。私も源氏物語に魅せられた一人になりつつあります。うれしいなあ。意外と安い。

 おつとブログに戻らないと。う~ん、長くなったから次囘に。

 源氏物語本題に戻ります。藤壺→朧月夜→六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)ときました。次は・・・・。


 住吉神社のことを書く前に、まず、基礎知識として、神功皇后(じんぐうこうごう)について過去個のブログに書いた記事を紹介しています。(20130407)
 よし!大丈夫。今から年末までをこれまでにないぐらい充実させます。

世界のインテリジェンスの實態
 1657年に英國は、郵便制度を國有化しました。これは、閲覧、つまり、情報収集のためです。クリントンがインターネットを開放しました。スパイ活動のためです。

 昔、洋画を観たときに、懺悔のシーンがありました。外人と云ふのは奇妙なことをやるなあと思ひました。その疑問が最初に少し解決したのが、教會式結婚式。神父が「あなたは、〇〇を愛することを神誓ひますか?」と誰かの結婚式に招待されこのシーンを初めてみた時です。腰が抜けそうになりました。キリスト教徒は、神に誓はないと、女性を愛せないのか・・。と。人間を基本的に信じていないからなんでも神樣に相談するんだ。と(なのに、基督教徒でもないのに未だに教會式で結婚式を擧げたがる女性が多いのにびっくり)。そして、本當の懺悔の意味は・・・・。

 十三世紀の歐州。史上最強の教皇と呼ばれるインノケンチウス三世(だつたと記憶してゐます)は、懺悔を義務化しました。これなんだかわかります? 人々の情報をすべて教會が握ると云ふことです。最大のインテリジェンスですよね(爆笑)。

 先日、政教分離の本當の意味を書きましたが、これでは分離しないと政治どころではありません。
 今日は、討ち入りの日ですね。以前は、十二月十四日近くなるとTVで必ず忠臣蔵をやつていたものです。若い人たちでは知らない人も多いとか。もつたいないなあ。 

 東京在住の頃は、毎年、この日に泉岳寺に行ってゐました。参拝者みんなが線香をあげるので、煙で前を見ることもできません(笑)。

 お参りが終わったら、泉岳寺の近くにある蕎麦屋で一杯。

 伊勢久・・・うまかったなあ。もちろん熱燗。東京は、蕎麦屋で一杯が最高です。

 さて、住吉神社のことを書く前に、まず、基礎知識として、神功皇后(じんぐうこうごう)について過去個のブログに書いた記事を紹介しています。

 仲哀天皇は、父の日本武尊を死に追いやった息長(おきなが)氏からなぜ皇后を迎えたのでしょうか。




 このブログから明日のルーティンです。體調囘復!!! バリバリやります。

 せむしの男が、魚の骨をのどに詰まらせて亡くなってしまつたところまででした。

 そんなことがあるの~、と思はれるかもしれませんが、私達が小さい時は、魚の骨をのどに詰まらせて亡くなったといふニュースは結構ありました。特に「鯛の骨には氣をつけるやうに」とよく母に云はれてゐました。

 詰まらせた犯人の仕立て屋の夫婦は大慌て!!!!
 まだ、かなり熱あり。今日もゆつくりします。
 我が國の大和言葉については、繰り返しこのブログでも紹介してきました。美しいですね。我が國は、

言霊の幸合ふ國

でした(かつては)。皆が美しい言葉を交換し合ふのでみんなが幸せになる國でした。

 今は、どうでせうか(自分のことも含めて)? 
 十二月十二日は、バッテリーの日です。一番 ピッチャー、二番 キャッチャーをカーバッテリー業界がもじって、バッテリーの日。よう考えるばい。日本人は頭のよか~。

年間目標
 さて、このブログで、年間720通のブログ目標達成です。もちろん、大みそかまでもつと書きますが。来年も同じく

①ブログ 720通
②本 220冊
③手紙 3,000通
でっす。①と②はもう出来るやうになりましたが、③がまだまだです。そして
④弊社月刊誌士魂商才の再發行

 これもまだ、自信がありません。各ネタはこ休止した三年間に積もりに積もつてゐますが、なんせ、その體力があるかどうか。年末にじつくり考へます。昔みたいに分厚いものではなくていいので、百號まで書きたいなあ。今、八十八號です。

 ルーティンはレベルを下げます。理由は、藥を呑まなくても測定數値が惡くないからです。私の計画はすぐにオーバープランになるので、その癖を治さないと。
 このブログから明日のルーティンです。もう少し力をだします。あといくつか書いたら寢ます。しんどいときにどれくらいのことができるか。これを書いたら年間ブログ目標まであと1通です。

 さて、藤原定家が寫本した青表紙本をいろいろな人間が筆寫します。

 その頃になると紫式部が源氏物語を書いてから二百年が經つてゐました。人々が爭つて筆寫してゐるうちに、本文の混乱は極限にまで達してゐました。

 A家に所蔵されてゐる源氏物語と、B家に所蔵されてゐる源氏物語とでは、ストーリーにほとんど違ひはないのですが、細かな表現には無數の違ひが生じました。さて、どんな違ひがあるのでせうか?(これは次囘)

 さて、藤壺→朧月夜ときました。次だれか。

 住吉神社のことを書く前に、まず、基礎知識として、神功皇后(じんぐうこうごう)について過去個のブログに書いた記事を紹介しています。

 仕事で滋賀県にはよく行きます。なぜ戦国武将がこの近江を狙ったかがよくわかります。水と陸の交通の要所です。ここを抑えないと全国を抑えられません。北へ進めば日本海、陸路では街道沿いに東へ向かって大きな壁があります。滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山です。この大きな壁を越えないと東に行くことが出来ません。

 息長氏(神宮皇后の実家)の源泉はこの伊吹山です。

 伊吹山で思い出すのが日本武尊ですね。
 う~、體調が惡い~(笑)。でも、やることをやらねば。


フランスの異常性
 フランスのあの騒動を見ていたら、民主主義とは、なんと危險か、國民主權がなんと恐ろしいかお気づきになりませんか? 正當な政治手続ではなく、デモで政策を變へさせたり、政權を退陣させたりします。正規の手續きの選擧で選ばれた國會や行政ではなく、デモで。これをテロと云ひます。
 住吉神社のことを書く前に、まず、基礎知識として、神功皇后(じんぐうこうごう)について過去個のぶろぐに書いた記事を紹介しています。

ヤマトを救った琵琶湖の女神 2(20130328)

 戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう。

 古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。
 この記事を書いたら今年のブログ年間目標まであと五通です。このブログから明日のルーティンにします。

 さて、サイコパスも、中野先生の本は今囘で一度、締めます。次からは、この本です。
 次囘からはこれを參考にします。

 中野信子先生の本の締めは「サイコパスとは恋愛が出來るか」です。



 これを書いたらブログ年間目標まであと六通。

 本は面白いなあ。今、私の讀み待ちの本が約ニ十冊。「早く遊んでよ~」と叫んでいます。知的好奇心がくすぐられます。

 この本も素晴らしい。

 宮脇淳子先生と倉山満氏です。今、朝鮮半島とこじれてゐます。彼らを徒に憎むことよりも正確に知ってからきちんとやつつけなくてはなりません。朝鮮半島と云ふのは我が國安全保障に欠かせない場所です。日清も日露も朝鮮がしつかりしないために我が國が巻き込まれました。
 この記事を書いたら今年のブログ目標まであと七通です。

 地方に出張に行つたら賈へないときがあるので、毎日は讀んでゐませんが、賈へるときは産經新聞は必ず賈ひます。讀賣は家でとつてゐるので、歸つてから(でもまあ、3分讀めば充分です)。日經は、IKさんのところに行つたときに少しずつ。朝日、毎日は、讀んでゐると吐きさうになるので、重要なテーマがあるとき、このアカたちがどんな表現をしてゐるかを知る取材のように。

 産經新聞は昔は、アカ記事が混じっていたのですが最近は減りました(噂ではかなりアカが未だに入り込んでいると)。それにたまにやるのですが昨日の産經新聞はいつたいなんなんでせう。お前らは廣告屋かい。コンビニで新聞を買おうと、探してゐたら、産經新聞が見つかりません。一面と云ふか、新聞自體が、廣告につつまれてゐました。何の廣告か讀みもしませんでした。

 そんな産經新聞ですが、「地方に息づく 神と王の物語・神話 記紀から風土記へ」はいいですね~。十月が 第10部 海を渡る「住吉っさん(すみよっさん)」です。先ほどの都合からこのシリーズの<3>と<4>しか手に入れてゐませんが、紹介しておきます。

 古代から軍事大國であつた我が國は、どちらかといふと、いざといふときまでは、武装中立でした。我が國が存亡の危機にある時以外は。それと、朝鮮半島の一部は日本でした。私達が子供のころはまだ教科書にこの記述がありましたが、いつの間にか消えてゐます。

 この産經新聞の記事に行く前に、神功皇后のことを知らなけばなりません(以前は天皇にも列せられていた神功皇后なのですが、朝鮮半島を攻めたといふことで敗戰後はずされてしまひました。これこそが歴史修正主義です)。以前、このブログに書いた、「ヤマトを救った琵琶湖の女神」を再掲します。三囘目ですね。
 これを書いたら今年のブログ目標まであと8通です。

 父が何かを遺そうと送ってくる手紙を綴つてゐます。今回は、たはいもない内容かな。
 これを書いたら今年のブログ目標はあと9通です。話を戻します。

 今は、昔、東の國に、一人の仕立て屋が住んでゐました。この男はどんちゃん騒ぎが好き。女房も。客を集めては飲みかつ喰らひ、夜を徹して馬鹿話をする。

 ある日、二人が家に歸る途中、道端で知り合ったせむしの男がいました。身体はそんな状態なのですが、すこぶる明るい。顔つきも身振りもおかしい。大きな箱の底を叩いてしきりに首をかしげてゐます。

「何している?」仕立て屋が聞きます。

「大切なお金を失くしたのだが暗くてわからない」

「なぜ、箱の底を叩いてゐる」

「うん、昼間にうちにお日様の光をたくさん入れておいたからいまそれをただき出してゐる」

「おおしろいやつだなあ(こいつと一晩飲み明かしたら面白いだらうなあ)。金なんか俺がやらあ。それより、俺に家に来て一杯やろうぜ」

 仕立て屋は家に連れて歸ります。女房も大喜び。腕によりをかけて魚のから揚げをつくり、特別大きいのをつまんで、「さあ、遠慮はいらないからどんどんお食べ」

 とせむしの男の口にぐいとおしこみました。

「あーうーっ」

 せむしの男は、のどにさなかの骨をつまらせて死んでしまひました。さあ大変。つづく
 ブログ書いてゐると氣持ちがいい!!! 仕事も進みそうです。結構、重たい仕事ばかりで、それが氣になつて、ブログの方に頭がいかないといふ状態が續いてゐました。でも、だめですね。結局ボーとする時間が多くなるだけ。かうやつて書いてゐると、腦が活性化してきます。それに、一つの仕事が終はつて、次の仕事に移るとき、頭の切り替へが大變です。別の會社の仕事をするわけですから。苦しくてたまらないのですがその処方箋がブログです。そこに切り替へられるかどうか。

 今日は、徹夜します。仕事で。「また、無理をする」と多方面から聞こえてきそうですが(笑)。たまにはいいんです。メリハリさえついてゐれば。ブログも書きます。リズムよく。

 さて、前囘、「源氏物語は本當は、美しい大和言葉で書かれてゐるさうです。外來語である音讀みの漢字熟語はほとんどないさうです。古い寫本をみてもほとんどがひらがなださうです。」と書きました。では、現代人の私達が今、讀んでいる源氏物語の本文はどうやつて確立されていつたのでせうか。

 藤原定家の父、藤原俊成(しゅんぜい)が、名言を残してゐます。

源氏見ざる歌詠みは、遺恨(よくないといるいみ)のことなり

 この俊成を通して、源氏物語を學んだ弟子が二人ゐました。一人は息子の藤原定家です。もう一人が源光行(みなもとみつゆき)です。彼は、討幕を悲願とする後鳥羽上皇と、鎌倉幕府の間で「ぬえ」のやうに立ち囘り、二重スパイを疑われ、承継寸前までいつた奇怪な人物です。

 この源光行が、息子の源親行(ちかゆき)と共に本文校訂した源氏物語を「河内本」と云ひます。尾張德川家に傳はりました。

 定家が本文校訂したものが「青表紙本」です。次囘からこれらを解説します。 

 では、つづきです。光源氏が明石に流れていつた後の藤壺の心境はいかに。
 昨日、たまに(笑)コメントをいただくorkさんからラインをいただきました。「昼休みの楽しみをお願いします」と。昼休みに讀んでいただいてゐるのですね。反省。毎日少しずつでもいいから書きます。これを書いたら今年の目標まであと11通です。

 それにしても、世の中知らないことばかり。最近、移動が車以外なので本は讀めてゐます。たまらなく素晴らしい本の出版が續いてゐます。また、我が國の敗戰利得者たち アカ により、抹殺されてきた素晴らしい本が、中古本市場で復活してきています。良いことです。あと何年かしたら我が國のルネサンス(再生)が始まります。マスゴミの消滅と共に。

 長谷川三千子先生とは、なんと素晴らしい方でせう。一つ一つの著作がずっしりとしてゐます。もう一度何冊か紹介しておきますね。我が國ルネサンスには欠かせない方です。

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