2018年9月アーカイブ

 戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう(20130328)。

 古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。
 もう一度振り返りますね。なぜ「千夜一夜」といふのか。女性不信に陥つた王樣が、國中の処女を召し上げて抱き、朝になると殺してしまふやうになりました。大臣の娘シャーラザットの番になりました。彼女は、妹と一緒に王の寝屋に行き、樂しい話をしました。その話があまりにも樂しいので王は、シャーラザットを殺さず、毎晩毎晩話を聞きました。最後はつひに、回心しました。この長い長いお話なので「千夜一夜」と云ひます。

 さて、つづきます。アジブはまたも島に獨りぼっちです。
 私は、フェイスブックをやらないので、實體驗はありません。炎上ブロガーと云ふのがゐるのですね。記事などではよく見ますから何のことかはわかります。
 (皇紀弐千六百七十五年九月十五日)→書いている内容は九月十一日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

今日、退院です。退院準備のこれまたたくさんあること。今日のブログはこれひとつにします。

 昨日は、K医師から退院後指導を受けました。看護婦さんもとても親身に、退院後のアドバイスをくれました。今日は、900から栄養指導。1000から清算です。岐阜羽島から新幹線で大阪へ。大阪事務所へ寄つて、少しだけ仕事をしてから家に戻ります。

 さて、いろいろな人の手によって生かされましした。その方々の予想を凌駕する生き方をします。
 いかんいかん。ブログを書かない日が續いたと思つたら、書き始めたら一氣にたくさん。宇佐美の親父が一番嫌いなパターンです。今、天國から視線を感じました。親父が怒つてゐます(涙)。

 いつも云はれてゐました。

「寳德なあ、調子が良いときはたくさんやつて、惡いときは少ししかやらない。これが一番いかん。儲かつてゐるときに贅沢して、儲からなくなつたら節約する。同じことだ。
いつも同じやうにやれ

と。親父、ごめんなさい。

 もうひとつ教へていただいたこと(數限りなくありますが、今、思ひ出したこと)。


 明日、十月一日は、東海道新幹線が開通した日ですね。「夢の超特急光號」と云はれました。東京-大阪が3時間10分。それまでは特急つばめかなんかで、確か5時間から6時間かかつてゐました。

 0系新幹線です。



 もちろん貧しかつた我が家では、乘ることはできませんでした。食堂車なんてのもあったみたいですが行ってみたかったなあ(笑)。

 東京オリンピックに向けて日本中が活氣づいていた頃です。

 そして、明日は、私の主治醫 中島先生の なかしま脳神経外科クリニックの創業日です。
 KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 我が國画がキリシタンを弾壓したことを司馬遼太郎が書いてゐます。「信徒に蓑を着せて火をつけた」といふ。これが嘘なのは今ではバレバレです。私達も小さい時に學校でかう習ひました。メディアと學校教育は嘘ばかりです。 では、つづきです。 あと二囘。
百八を 五十四帖(ゴジュウシヂヤウ)へ 綴る紫女(シジョ)

 百八は、ご存知煩惱の数です。源氏物語では、戀の苦惱です。紫式部(紫女)は、ひたすら五十四帖に戀ゆゑ(これでいいのかな?)の惱みを綴り續けました。五十四は、百八の半分です。

 五十四帖のうち、「桐壺」から幻(まぼろし 第四十一帖)までは、光源氏が多くの女性と關はりながら、人の世の喜びと哀しみをかみしめる話です。光源氏本人の物語なので、本編といふ意味で「正篇」と呼ばれます。この「正篇」のうち光源氏四十歳以前の「藤裏葉 ふじのうらば」までをぢ一部、四十歳以降の「若菜の上 わかなのじょう」からを第二部と分けることがあります。

 「幻」以後の十三帖は、光源氏の子孫である薫と匂宮(におうみや)の物語なので、「續篇」と呼ばれます。中でも「橋姫 はしひめ」から「夢の浮橋」までは、宇治を舞臺とするので、「宇治十帖」の名があります。「ウジジュウヂヤウ」。

 さて、つづきです。大親友である、三位中將(かつての 頭中將(とうのちゅうじょう) 左大臣の息子、自家る源氏の正妻 故葵上の兄)が左大臣家にかけつけてきました。




 (皇紀弐千六百七十五年九月十四日)→書いている内容は九月十日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます

 明日、退院です。昨夜、K医師が部屋に來てくださつて、いろいろな話をしました。恐らく退院後のことは今日、いろいろ教えていただけるのでせうが、さうではなくて、日本人としての在り方、ルーティン・期日目標の事・・・・・・つまり、生き方のことですね。お医者さんとかういふ話をするのは初めてです。

 次の記事で書きますが、このブログの契約変更(まだ引っ越し作業が終はつてゐないので、十分な速度にはないが)により、また前のやうにブログを書ける可能性が髙くなります。なので、日誌を復活します。ルーティンチェック・期日チェック、朝のおつとめ等にくはへ、病院からの今後の指示事項もルーティンにくはへたチェック表を作成しました。

 今囘の入院ではいろいろ考へました。さあ、立て直しですね。夢がたくさんある。そして、これだけ私のために私の軆を治そうとして多くの人に力を盡していただきました。それを裏切る譯にはいきません。

 では、九月十日の闘病日誌です。
 八月十日~十三日 入院六日目~十日 手術五日目以降です。

 もう、のーーーーーんびり。痛さもなくなり本を沢山讀みました。かういふ時間は良いですね。

 退院のときの荷物が大變。荷物をまとめて、タクシーに乘って、マンションの下まで息子が荷物運びの補助に來てくれました(息子は夏休みで帰省中)。

 私の誕生日にはまだ日があるのですが、息子の帰省中にやつてしまへといふことで、かみさんと息子がやつてくれました。還暦祝ひもかねて。


 このシリーズをはり。
 あ~、いいなあ。集中してブログ書いたり、手紙書いたり、本を讀んだり、普段できない情報収集や研究をしたり、普段できない仕事に取り組んだり・・・。充實してゐます。

 ブログはあと二つ書きます。

 逃亡していた容疑者が山口縣周南市で捕まったそうな。そんなことは全く興味がありまえんが、周南市(しゅうなんし)は、むかし「すなみし」と讀まなかったっけ? 私の勘違い?

 漫画のやうに面白い本が出ました。

 江崎先生、よくぞ書いてくださいました。江崎道朗先生の本はどれもすごいなあ。これまで國民が知るすべもなかったことをどんどん本にしてくださいます。

 

 これは必読の書です。

 昭和二十年の終戦とその後の占領時代に共産革命が起きる寸前であり、それを昭和天皇や少數の保守自由主義者らが占領軍の反共勢力と手を組んで、ギリギリのところで防いだ、まあ、ドラマと言っては失礼ですが、書いてあります。

 よかった。下手をすれば、私たちは、支那や北朝鮮のやうな國で生活しなければならなかつたのです。




 神功皇后(じんぐうこうごう)の名前さえ知らない日本人ばかりになってしまいました。これも不埒な日教組による戦後の過った教育の弊害です。これについては、おいおい(20130327)。

 さて、日本一の湖は琵琶湖です。滋賀県は古代には「近江國」と呼ばれていました。琵琶湖は都に近いので、「近淡海(ちかつおうみ)」がなまって「おうみ」となったと言われています。
 先日、友人に、太宰府天満宮に連れて行つてもらつた後、空港まで送ってくれるといふことで、その途中にある、宇美八幡宮にも立ち寄りました。私は、初めてだと思つてゐたのですが、「何ばいいよるとね。髙校時代に遠足で來たらうもんん」と。覺へてゐません(涙)。すみません。

 神功皇后と應仁天皇ですね。神功皇后は、敗戰前は天皇の一代に數へられてゐたのですが、朝鮮を攻めたといふことで、敗戰後、天皇から外れました。歴史修正主義とすぐに騒ぐメディアは、この歴史修正には一切言及しません。


 左から三番目の寫眞は、神功皇后は身ごもったまま應仁天皇を三韓征伐に向かひ帰國されてからお産みになられたので、この神社は、安産・子育ての神となつてゐます。生まれた子供の名前を石に書いてこの神社み治めます。

 やつた~、大吉。
 私がこのタイトルを書くと、天に向かって吐いた唾が自分に戻ってきそうですが(笑)。

 これまた文藝春秋に、小泉進次郎が、自分の所見を載せてゐました。ある所に行くと、時間があるときに文藝春秋を手に取ります。なぜ、所見と書いたか。
  堤堯さんが編集長をされていた頃の、文藝春秋は、毎月讀むのが樂しいどころか、ワクワクドキドキしてゐました。「諸君」が廢刊されたころからでせうか。

 モリカケ問題などと云ふ、朝日新聞のデマ記事にも乗つてしまひました。ジャーナリストだから時の政權を叩くのは問題がありません。文藝春秋ともあらうものが、あのデマ朝日の尻馬に乗る。かつてだつたら考えることができません。

 この前、あるところ、昨年九月號の文藝春秋をみました。「安倍総理でいいのか」といふ記事です。これも記事自体をどうこう云ふつもりはありません。kでも、自民党全國會議員四百八人のうち回答を寄せたのがたったの二十七人(7%)でした。普通、7%だったら編集長が記事を没にしませんか(笑)?

 文藝春秋にいたことのある人に聞いたことがあります。

 文藝春秋は、菊池寛の創業以來、家族的な會社で、内紛などはまったくなかったそうです。

 まあ、半藤一利などの嘘作家が牛耳ってゐる會社ですから、そうなっても仕方がありませんね。

 批判だけではありません。大ファンであっただけになんとも悲しくて仕方がありません。

 四書五經の 春秋 からとった名前。 社名と雑誌名を變へるっことをおすすめします。
 メディアが、あまりにも嘘の報道をするのでもう我慢ができません。朝日や毎日や赤い御三家(北海道新聞・中部新聞・西日本新聞(まあ、これに足してあげよう東京新聞と云ふおよそ新聞と名をつけてもらいたくないやつ)が書くなら「ああ、またか」とあきらめを凌駕した、悟りの極致(笑)になれるのですが、日經や讀賣がこんな記事を書くやうになつてゐるのが、今の我が國です。

 さあ、國の整體をやりませう。「クレジット・デフォルト・スワップ」といふ言葉をご存知ですか?
 ママカーストのボスといふ言葉を知つてゐますか?

 自分が搾取可能な集團をつくつて、君臨する人です。