2018年9月アーカイブ

 戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう(20130328)。

 古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。
 もう一度振り返りますね。なぜ「千夜一夜」といふのか。女性不信に陥つた王樣が、國中の処女を召し上げて抱き、朝になると殺してしまふやうになりました。大臣の娘シャーラザットの番になりました。彼女は、妹と一緒に王の寝屋に行き、樂しい話をしました。その話があまりにも樂しいので王は、シャーラザットを殺さず、毎晩毎晩話を聞きました。最後はつひに、回心しました。この長い長いお話なので「千夜一夜」と云ひます。

 さて、つづきます。アジブはまたも島に獨りぼっちです。
 私は、フェイスブックをやらないので、實體驗はありません。炎上ブロガーと云ふのがゐるのですね。記事などではよく見ますから何のことかはわかります。
 (皇紀弐千六百七十五年九月十五日)→書いている内容は九月十一日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

今日、退院です。退院準備のこれまたたくさんあること。今日のブログはこれひとつにします。

 昨日は、K医師から退院後指導を受けました。看護婦さんもとても親身に、退院後のアドバイスをくれました。今日は、900から栄養指導。1000から清算です。岐阜羽島から新幹線で大阪へ。大阪事務所へ寄つて、少しだけ仕事をしてから家に戻ります。

 さて、いろいろな人の手によって生かされましした。その方々の予想を凌駕する生き方をします。
 いかんいかん。ブログを書かない日が續いたと思つたら、書き始めたら一氣にたくさん。宇佐美の親父が一番嫌いなパターンです。今、天國から視線を感じました。親父が怒つてゐます(涙)。

 いつも云はれてゐました。

「寳德なあ、調子が良いときはたくさんやつて、惡いときは少ししかやらない。これが一番いかん。儲かつてゐるときに贅沢して、儲からなくなつたら節約する。同じことだ。
いつも同じやうにやれ

と。親父、ごめんなさい。

 もうひとつ教へていただいたこと(數限りなくありますが、今、思ひ出したこと)。


 明日、十月一日は、東海道新幹線が開通した日ですね。「夢の超特急光號」と云はれました。東京-大阪が3時間10分。それまでは特急つばめかなんかで、確か5時間から6時間かかつてゐました。

 0系新幹線です。



 もちろん貧しかつた我が家では、乘ることはできませんでした。食堂車なんてのもあったみたいですが行ってみたかったなあ(笑)。

 東京オリンピックに向けて日本中が活氣づいていた頃です。

 そして、明日は、私の主治醫 中島先生の なかしま脳神経外科クリニックの創業日です。
 KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 我が國画がキリシタンを弾壓したことを司馬遼太郎が書いてゐます。「信徒に蓑を着せて火をつけた」といふ。これが嘘なのは今ではバレバレです。私達も小さい時に學校でかう習ひました。メディアと學校教育は嘘ばかりです。 では、つづきです。 あと二囘。
百八を 五十四帖(ゴジュウシヂヤウ)へ 綴る紫女(シジョ)

 百八は、ご存知煩惱の数です。源氏物語では、戀の苦惱です。紫式部(紫女)は、ひたすら五十四帖に戀ゆゑ(これでいいのかな?)の惱みを綴り續けました。五十四は、百八の半分です。

 五十四帖のうち、「桐壺」から幻(まぼろし 第四十一帖)までは、光源氏が多くの女性と關はりながら、人の世の喜びと哀しみをかみしめる話です。光源氏本人の物語なので、本編といふ意味で「正篇」と呼ばれます。この「正篇」のうち光源氏四十歳以前の「藤裏葉 ふじのうらば」までをぢ一部、四十歳以降の「若菜の上 わかなのじょう」からを第二部と分けることがあります。

 「幻」以後の十三帖は、光源氏の子孫である薫と匂宮(におうみや)の物語なので、「續篇」と呼ばれます。中でも「橋姫 はしひめ」から「夢の浮橋」までは、宇治を舞臺とするので、「宇治十帖」の名があります。「ウジジュウヂヤウ」。

 さて、つづきです。大親友である、三位中將(かつての 頭中將(とうのちゅうじょう) 左大臣の息子、自家る源氏の正妻 故葵上の兄)が左大臣家にかけつけてきました。




 (皇紀弐千六百七十五年九月十四日)→書いている内容は九月十日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます

 明日、退院です。昨夜、K医師が部屋に來てくださつて、いろいろな話をしました。恐らく退院後のことは今日、いろいろ教えていただけるのでせうが、さうではなくて、日本人としての在り方、ルーティン・期日目標の事・・・・・・つまり、生き方のことですね。お医者さんとかういふ話をするのは初めてです。

 次の記事で書きますが、このブログの契約変更(まだ引っ越し作業が終はつてゐないので、十分な速度にはないが)により、また前のやうにブログを書ける可能性が髙くなります。なので、日誌を復活します。ルーティンチェック・期日チェック、朝のおつとめ等にくはへ、病院からの今後の指示事項もルーティンにくはへたチェック表を作成しました。

 今囘の入院ではいろいろ考へました。さあ、立て直しですね。夢がたくさんある。そして、これだけ私のために私の軆を治そうとして多くの人に力を盡していただきました。それを裏切る譯にはいきません。

 では、九月十日の闘病日誌です。
 八月十日~十三日 入院六日目~十日 手術五日目以降です。

 もう、のーーーーーんびり。痛さもなくなり本を沢山讀みました。かういふ時間は良いですね。

 退院のときの荷物が大變。荷物をまとめて、タクシーに乘って、マンションの下まで息子が荷物運びの補助に來てくれました(息子は夏休みで帰省中)。

 私の誕生日にはまだ日があるのですが、息子の帰省中にやつてしまへといふことで、かみさんと息子がやつてくれました。還暦祝ひもかねて。


 このシリーズをはり。
 あ~、いいなあ。集中してブログ書いたり、手紙書いたり、本を讀んだり、普段できない情報収集や研究をしたり、普段できない仕事に取り組んだり・・・。充實してゐます。

 ブログはあと二つ書きます。

 逃亡していた容疑者が山口縣周南市で捕まったそうな。そんなことは全く興味がありまえんが、周南市(しゅうなんし)は、むかし「すなみし」と讀まなかったっけ? 私の勘違い?

 漫画のやうに面白い本が出ました。

 江崎先生、よくぞ書いてくださいました。江崎道朗先生の本はどれもすごいなあ。これまで國民が知るすべもなかったことをどんどん本にしてくださいます。

 

 これは必読の書です。

 昭和二十年の終戦とその後の占領時代に共産革命が起きる寸前であり、それを昭和天皇や少數の保守自由主義者らが占領軍の反共勢力と手を組んで、ギリギリのところで防いだ、まあ、ドラマと言っては失礼ですが、書いてあります。

 よかった。下手をすれば、私たちは、支那や北朝鮮のやうな國で生活しなければならなかつたのです。




 神功皇后(じんぐうこうごう)の名前さえ知らない日本人ばかりになってしまいました。これも不埒な日教組による戦後の過った教育の弊害です。これについては、おいおい(20130327)。

 さて、日本一の湖は琵琶湖です。滋賀県は古代には「近江國」と呼ばれていました。琵琶湖は都に近いので、「近淡海(ちかつおうみ)」がなまって「おうみ」となったと言われています。
 先日、友人に、太宰府天満宮に連れて行つてもらつた後、空港まで送ってくれるといふことで、その途中にある、宇美八幡宮にも立ち寄りました。私は、初めてだと思つてゐたのですが、「何ばいいよるとね。髙校時代に遠足で來たらうもんん」と。覺へてゐません(涙)。すみません。

 神功皇后と應仁天皇ですね。神功皇后は、敗戰前は天皇の一代に數へられてゐたのですが、朝鮮を攻めたといふことで、敗戰後、天皇から外れました。歴史修正主義とすぐに騒ぐメディアは、この歴史修正には一切言及しません。


 左から三番目の寫眞は、神功皇后は身ごもったまま應仁天皇を三韓征伐に向かひ帰國されてからお産みになられたので、この神社は、安産・子育ての神となつてゐます。生まれた子供の名前を石に書いてこの神社み治めます。

 やつた~、大吉。
 私がこのタイトルを書くと、天に向かって吐いた唾が自分に戻ってきそうですが(笑)。

 これまた文藝春秋に、小泉進次郎が、自分の所見を載せてゐました。ある所に行くと、時間があるときに文藝春秋を手に取ります。なぜ、所見と書いたか。
  堤堯さんが編集長をされていた頃の、文藝春秋は、毎月讀むのが樂しいどころか、ワクワクドキドキしてゐました。「諸君」が廢刊されたころからでせうか。

 モリカケ問題などと云ふ、朝日新聞のデマ記事にも乗つてしまひました。ジャーナリストだから時の政權を叩くのは問題がありません。文藝春秋ともあらうものが、あのデマ朝日の尻馬に乗る。かつてだつたら考えることができません。

 この前、あるところ、昨年九月號の文藝春秋をみました。「安倍総理でいいのか」といふ記事です。これも記事自体をどうこう云ふつもりはありません。kでも、自民党全國會議員四百八人のうち回答を寄せたのがたったの二十七人(7%)でした。普通、7%だったら編集長が記事を没にしませんか(笑)?

 文藝春秋にいたことのある人に聞いたことがあります。

 文藝春秋は、菊池寛の創業以來、家族的な會社で、内紛などはまったくなかったそうです。

 まあ、半藤一利などの嘘作家が牛耳ってゐる會社ですから、そうなっても仕方がありませんね。

 批判だけではありません。大ファンであっただけになんとも悲しくて仕方がありません。

 四書五經の 春秋 からとった名前。 社名と雑誌名を變へるっことをおすすめします。
 メディアが、あまりにも嘘の報道をするのでもう我慢ができません。朝日や毎日や赤い御三家(北海道新聞・中部新聞・西日本新聞(まあ、これに足してあげよう東京新聞と云ふおよそ新聞と名をつけてもらいたくないやつ)が書くなら「ああ、またか」とあきらめを凌駕した、悟りの極致(笑)になれるのですが、日經や讀賣がこんな記事を書くやうになつてゐるのが、今の我が國です。

 さあ、國の整體をやりませう。「クレジット・デフォルト・スワップ」といふ言葉をご存知ですか?
 ママカーストのボスといふ言葉を知つてゐますか?

 自分が搾取可能な集團をつくつて、君臨する人です。
 アジブト少年の樂しいひと時が瞬く間に過ぎ、つひに、四十日目を迎へました。
 太宰府天満宮 もうひとつは、梅園。ここのお菓子は最髙です。初めて行きました。初めて賈ひました。友人が立ち寄ったら是非賈つて食べてくれと云ひました。もう、そのラインの文が「必ず賈へよ」と叫んでゐました(笑)。


                               宝満山             宝満山干菓子


 うそ(うぐいす)の餅         鬼まつば

 まだまだ沢山あります。どれも大變 おいしい。宮内庁御用達です。

 話を變ます。フリーズドライ食品が進化してゐるとか。
 先日、友人に太宰府天満宮に連れて行つていただきました。これまでも何度か行つたことはありますが、その友人ほど詳しくありません。彼は、髙校時代弓道をやつてゐたので、かつて弓道場があつた太宰府には詳しいのです。

 大宰府について昼飯を食つて、お參りして、姪と知り合いの娘さんの合格お守りと鉛筆(二人とも受験生。姪には合格梅干も)を賈ひました。そして、大宰府に來たらどうしてもやらなければならないことがあります。そして、今回はプラスして、また別の友人から、ここには絶對に行けと云ふ指令を受けた店にも。

 一つ目は、お石茶屋。梅が枝餅を食べるなら絶對にここださうな。梅が枝餅大好きです。太宰府天満宮の裏手にあるので、支那人でごったがえす表參道の喧騒がありません。

 うまいのなんの。俺、もうここでしか梅が枝餅を賈はない、食べない。

 なんと、故佐藤栄作首相など重鎮も訪れてゐます。






KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 昨日から書き始めた「新・古事記」は一旦、停止とします。今、面白いことを研究していて、それと併せた、「寳德古事記」を書こうと思つてゐます。

 誤解なきやうに申し上げますが、私は若いころ、司馬遼太郎、山崎豊子、吉村昭、阿川弘之、城山三郎は、魅せられたやうに讀みました。でも、眞理・眞實・事實を自分の中で深めていくと、「なんだよ、騙されたいたんだ」と、しばらく自分自身の學んできたことが崩壊してしまひました。彼らは事實をゆがめます。許されないほど。

 司馬遼太郎の「故郷忘じがたく」など、心が震えるぐらいの感動で讀みました。見事に裏切られました。焼き物で有名な 十四代沈壽冠のことを書いたものですが、彼は、朝鮮人が故に日本でいじめられたと司馬の作品ではなつてゐます。ある人が調べたところ、沈壽官は、どうしようもない不良だったといふことです。このやうな嘘が司馬作品には、いくつもあります。司馬遼太郎で歴史を學んだ人は危險です。メディアは今でも司馬遼太郎と賛美します。狂つてますね。

 高山先生、よくぞ書いてくださいました。週刊新潮も大したものです(笑)。
 紫式部とは不思議な女性です。わかっている情報が少ない。父親は藤原爲時。弟は、藤原惟規(のぶのり)。夫が、かなり年上の 藤原宣孝(のぶたか)。
 
 その紫式部が「わからない」魅惑も、源氏物語の研究と共に、千年間人をひきつけました。

 でも、紫式部は、今も天國で言つてゐるでせう。「私の顔のことや、親兄弟や夫や娘のことよりも、源氏物語に集中してくださいな」と。あっ、ちなみに、夫が亡くなった後に源氏物語を書いてゐますし、娘が一人いたさうです。

 源氏物語は、第一帖「桐壺」から第五十四帖「夢浮橋 ゆめのうきはし」までで構成されてゐます。前にもお傳へしましたが、巻物になってゐのが「巻」、本形式になってゐるのが「帖」です。でも、源氏物語は原本が残ってゐないので、本當に帖だったかは私たちは知る由もありません。 五十四帖は「ゴジュウシヂヤウ」と讀みます。

 そして、すてきな話があります。

一割は 雲に隱れし 物語

 實は、源氏物語は六十帖だつたといふ節があります。この川柳・・・。六十の一割が六なので、五十四帖。では、残り六帖は、どこに行ったか。「雲に隠れし」ですね。

 なんと、「雲隱六帖(くもがくれロクヂヤウ)」といふ、光源氏が出家したあとの物語を書いた巻があつたとする傳説があるのです!!!!!!

 素敵ですね~。ワクワクします。まだまだ逸話があります。

 では、つづきです。
(皇紀弐千六百七十五年九月十三日)→書いている内容は九月九日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

 何囘目かの軆體測定のときにショックを受けました。握力を計ったら35しかないではないですか。愕然としました。軆體能力が人生でピークだつた髙校時代、私の握力は、右で70弱、左で60弱でした。

 スポーツ、格闘技(喧嘩も)においては、最終的には握力の強弱がものを云ひます(フィジカル面についてだけ言及してゐます)。

 例へばテニス。テニスは「足ニス」と云はれるほど、脚力の瞬発性と持久性の両方が求められます。どんなに技術がうまくてもこの脚力の両能力が低いテニスプレーヤーは怖くありません。しかしながら、脚力は強くなる上での必要条件ではあつても十分条件ではありません。握力こそが十分条件なあのです。テニスの5セットマッチはマラソンよりきついと云はれています。3セットマッチでも、フルセットの混戦になれば3時間以上は珍しくありません(今はタイブレークで早くなつてゐますが、昔は、ジュースゲームで延々と續いてゐました)。握力が弱ければその長時間に耐えることはできません。

 喧嘩もさうです。喧嘩が強い奴は例外なく握力が強い。

 ああ、なんといふこと。なんといふ握力の弱さ。退院したら少しずつ軆體能力の回復に努めます。

 さて、九月九日の重陽の節句の闘病日誌です。

 八月九日 入院五日目 手術四日目です。

 この手術をするに當たり、かみさんは、大反對でした。もう、これ以上、軆體にメスを入れさせたくない。もう、これ以上、全軆麻酔をかけさせたくない、と。その話はおいときますが、私も、彼女の不安を消すたびに、醫者の知人友人にたくさん意見を聞きました。その一人が、「寳德、口腔外科と形成外科なんだって? 普通はそれはあまりない。口腔外科と整形外科ならあるけれど。整形外科は大工のようなものだけど、形成外科は、本当にきれいに治してくれるからラッキーと思っていいんではない?」とアドバイスをくれました。最後の決斷は私がして責任は自分でとりますが、この一言は勇氣が出ました。

 さらに、兵庫醫大の形成外科の腕は抜群です。
 母のことを書いてゐますね。

 母は、全軆リウマチでした。關節はほとんどが人工關節です。朝、目覺めたとき、絶對に治らない軆體を再認識する。どんなにつらい人生だつたでせう。

 だけど、痛いと云ふ言葉をほとんど聞いたことがありません。家事を手傳はうとすると「これは私の仕事。あなたは男でしょう! もっとやることが他にあるはずです」と云はれました(本當は、動かないと本當に動けなくなるのではないかといふ恐怖心がははを動かしてゐた)。

 もう何度も書きましたので、あまり詳しくはここでは書きませんが・・・。

 私は、髙校時代はこんなだったのですね。大學に入って生き方が變はつたのかなあ。

 十七歳の、寳德くん。今日は、とても勉強になります。日誌っていいですね。
 少年は十五歳になりました。折しも磁石島の騎士が射落とされたとのうわさが届きました。
 森永チョコフレークが生産終了になるやうです。


 千葉の工場が閉鎖になるからだとか? が~ん。 もちろん、何十年も食べてゐませんが、なつかしいからショックです。




 スティーブ・ジョブスがどんな人間だったかがある本に紹介されてゐます。
KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 つづきです。
 私のことを右翼といふ人がゐます(笑)。まあ、いいのですが、きちんとした國體と歴史を知らないことがこの發言からもバレバレです(笑)。

 右翼といふのは、天皇天皇と叫んでゐるだけで、實態は、アカ 共産主義者と同じ考へです。まう少し勉強しませう。私は、アカではありません。

 では、保守とはなにか

國體を破戒しようとする狂氣に對抗する力

です。といふことなら、私は保守本流です。保守の意味も知らない不勉強な國民のなんと多いことか。嘆かわしい。

 國體? 説明が長くなるからまた今度、といふか、このブログに嫌といふぐらい書いてゐます。

 過去「どの本よりわかりやすい古事記」を連載してゐました。でも、今、讀み返すと、何んと稚拙な(笑)。さてと、あれからの進歩を含めて編集しますか。

 我が國の歴史ぐらい知っておきませうね(20060404)!
 「小式部(こしきぶ)」といふ室町物語(御伽草子)は、紫式部を以下のように紹介してゐます。

 一条天皇の中宮・藤原彰に仕える女房に、紫式部と云ふ女性がいた。その姿はただならず美しく、青柳の糸がそよそよと春風に靡くやうな風情であった。

 翡翠色の髪は、蟬の羽が透き通ったかのやうにつやつやとしており、長く亂れかかる髪の間から、ほのかに見える彼女の顔は、まるで薄雲を通して名月を見るかのやうに輝かしかった。

 唇は、芙蓉(蓮の花)のやうに赤く、胸はタマを延べたやうに白い。花園の梅櫻が、夕映への中で開き始めたかのやうな姿である。

 素晴らしいのは、外見だけではない。心ばえが幽玄であること、限りもない。琴・琵琶の音楽にも優れてゐる。和歌の道に關しては、衣通姫(そとおりひめ)・小野小町など、すぐれた女性歌人の跡を繼ふほどの名人だった。
 
 藝術だけでなく、佛道にも精通して、法華經を唱へていた。

 まあ、美化しすぎなのかもしれませんが、あ~、惚れるなあ。でも、これひどまでに紫式部のイメージを想像してやまなかった。なぜでせうか。

 さて、つづきです。

 第十二帖 須磨です。

 須磨に移つてからの光源氏は、蟄居の場所として大阪彎に面する須磨を選びました。仕事でよく明石に行きます。今でこそ結構にぎわつてゐますが、光源氏の頃はどうだつたのでせう? きつとさびれていたのでせう。
 (皇紀弐千六百七十五年九月十二日)→書いている内容は九月八日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

 今の私の状態を一言で云ふと「心臓の治りが速すぎて(早すぎて)、傷の治りが追い付いてゐない」です。リハビリでかなりしんどい、負荷檢査をやりましたが、心肺機能は異常がないどころか、術前よりも上がつてゐます(事實自分でもさう感じます)。もちろん病院と云ふ守られた環境の中で生活してゐるわけですからそれを差引いて考へなくてはなりませんが。この負荷檢査が合格だつたので、本日より、病院周邊であれば、外出可能です。あとは傷の治り具合が見極められたら(合併症等)退院です。恐らく来週水曜日當たりになるでせう。

 しかし、體中を切り刻んだので體力が落ちてゐます。今後やることを書いておきます。

1.酒:ビール一本とあと何か一杯~二杯/日:退院後三か月、その後も適量維持
2.タバコ:絶對にだめ
3.荷物:3~5キロ以上は2~3か月ダメ
4.車の運転:1ヶ月禁止
5.入浴:1ヶ月禁止(シャワーだけ)
6.ウォーキング(5日/週)
 2~3㎞を早足で
7.志事:バリバリOK ただし、入院後數日は自宅療養 シルバーウィーク明けに本格復帰します

 さて、闘病日誌の續きです。昨日書いた九月七日で、1700にSZさんが來院されたのを書くのを忘れました。

 昨日は、IKさんとTJさん、T食品常務が來院されました。
八月八日 入院四日目 手術三日目です。

 もう手術から一か月以上經つたのですね。骨を歯茎に移植したので歯茎の形が大分變はりました。なので、入れ歯を作り直してゐます。入れた骨が固まるまで半年ぐらいかかります。それからインプラント。それまで入れ歯ですが、作り直すまでは入れ歯の仮歯です。

 でも、骨が入ると嚙む力が全く違う。人間の身体には無駄なものは一つもないのですね。腰骨移植手術をしたすぐも、歩くと左右のバランスが惡い。たった歯茎に入れるだけの骨を取っただけなのに。

 手術前には、形成の美熟女先生からは、「痛みはかなりあります。月單位で治っていくでせう」と云はれてゐましたが、もう手術五日目ぐらいからは全く痛みもありません。退院してから口も腰も痛まないので痛み止めの薬は一切飲んでゐません。

 さて、この日は、千客萬來の日でした。
 なぜ、こんなことを書いてゐるか。いずれわかります。そして、社会の中で生きていくうえで知っておく必要があります。

 行ったことはありませんが、ケニアかどこかの動物公園には一通りまわって出口に行くと、どの動物公園にいる動物の寫眞が一つずつ並べて貼ってあるさうです。動物の名前と共に。そして、最後が鏡になってゐるさうです。當然自分の姿が映ります。下の名前の欄をみると「humanbing. most dangerous animal」と書いてゐるさうな。人間は最も危險な動物なのです。

 昨夜は、ムンドゥルク族を紹介しました。もっとひどい部族が存在します。

 この事実を否定だけしてしまっては、物事の本質がみえてきません。
 高屋正之先生の記事は軽快ですね。この人の記事にはかならず ウラトリがあります。つまり、きちんとした取材や調査をして書くので、朝日新聞のように嘘がありません。

 今週の週刊新潮の記事も面白かった。といふか、私ごときが云ふと、「何を言ってゐるんですか」と人から非難されることを書いてくださってゐます。やはり、そうなですよね。

 長いので、數日に分けて書きます。

 タイトルは 明治150年に
 警官を刺して逃げた大學生の事件がありました。アカメディアのコメントに腰が抜けさうになりました。「拳銃を三發も打つ必要があったのか」「殺す必要があったのか」・・・・。

 おいおい、警察を責めてゐるのかよ。

 憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本国憲法「典」(憲法ではない)で國體を破戒され、それが當たり前と思つてゐる國民。敗戰後の過った日教組による不埒な教育を未だに受け入れてゐる國民。

 こんな國を遺すために、英霊たちは命を捧げてくれたのではありません。先日も、ラジオ番組で「はからずも命を落とした若者たち」と云ふ表現がありました。英霊たちゐ失禮です。「はからずも」命を落とした英霊たちなど皆無です。みんな、自分の命と引き換へに、家族と愛する人と祖国を守ったのです。

 こんな國ではリーダーは育ちません。いえ、リーダーを絶對に育てないのが日教組の教育です。リーダーが育って、かつての強い日本が復活すると、大好きな支那や朝鮮が困るからです。

 だから、シールズのなんとかのやうに、選擧にも行かないテロリストが生まれます。それをアカメディアやおバカ野党が持ち上げます。どうなつとるねん。

 今、我が國に求められてゐるのは、「正しいことを行い人々をリードする」リーダーです。やたら知識だけ豊富で人を騙すやうな人間は不要です。「こんな人はいませんか?」シリーズを書いてゐるのはそのためです。

 さて、十七歳の寳德は、どんな風に育っていくのでせう(笑)。
 あ~、早くこの本(二冊)紹介したいな~。これは知っておかなくてなりませんね。

 ブラジルのアマゾンの南部の盆地に「ムンドゥルク族」という先住民族が暮してゐるさうです。キャッサバ↓などの小規模農耕と漁労採取を營み、數十世帯で集落を構成し、以前は敵對する集落への

首狩りも行はれてゐたさうです。

 彼らは非常に競争的です。

 食物の採取や生産は主に女性が担當します。
 明日から、七十二候 秋分 次候 蟄虫培戸です。「むしかくれてとをふさぐ」と讀みます。

 虫たちが冬ごもりの支度を始める頃です。そして、半年後の啓蟄に出てきます。

 秋分は、陽から陰への轉換點です。人間はまだ、暑いなあとか言ってゐるのに、他の生物は敏感にその陰陽を感じてゐるのですね。もしかしたら、大宇宙に動きに一番鈍感なのは人間かも。

 さて、大好きな秋。少しは虫たちに學びますか。
 私たちは、普通に、紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子などなど、多岐にわたる平安時代の女性文學を學びまう。何の疑ひもなく。これがどれだけすごいことかを知らないままに。

 歐州(當時アメリカはなかった)は、當時、ダークエイジです。まあ、我が國の縄文か弥生に毛がはえたやうな生活をしてゐました。それから先に時代が進んでも、詩や小説を王侯貴族以外の者や、ましてや女性が書こうものなら、躊躇なく殺されてゐました。

 その証拠に「灯台へ」「ダロウェイ夫人」で知られる女性作家のバージニア・ウルフ(1882~19421 江戸時代です)も、源氏物語を讀んだ時に、驚くが隠せませんでした。

ウルフ「『カッコウがうるさく鳴いてゐる』といふ粗野な叫び聲そのままの幼稚な詩を作っていた時代に、地球の向こう側では、レディ・ムラサキが男女の恋の心理を繊細に描いていた・・・・」

 源氏物語は、世界文學の、いえ、世界の歴史の奇跡なのです。それを日本人が知らない(涙)。

 つづきです。
 「貞観政要(じょうがんせいよう)」も最終回になりました。勉強になりましたね。ためになりましたね。

 さて、太宗の後継者問題に話の内容がうつっています。最初太子(皇太子)には、承乾(しょうけん)という長男がなっていました。太子は、すぐれた教育係をたくさんの息子につけ、後継者教育にはとても力を入れていました。でも、承乾は、日がたつに連れて横柄になっていきます。太宗は承乾に対する愛情が失われていきます。それを知った承乾は、太宗暗殺を企てます。これでは仕方がありません。太宗は、承乾の身分を剥奪して庶民に落としました。苦悩の決断です。

 次男はかなりの策謀家でした。混乱時ならいいのですが、守成時には向いていません。しかたがなく、皇后の父親などの意見を取り入れて、三男の治(ち)を太子に立てることにしました。この時、魏徴が生きていたらまた違った決断になったかもしれません。
 つづきです。

 好奇心の強いアジブは、木を降りて、埋められたばかりの土を掘りました。木蓋が出てきます。長い階段が地下に続いてゐます。アジブは降りました。
 KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 この貞観政要もあと二回となりました。かなり長い期間にわたってご愛読いただきました。あと二回をお楽しみ下さい(20100228)。
 藤原定家が最初の源氏物語プロジェクトを立ち上げてから約八百年。今でもその試みは續いてゐるのです。源氏物語に憑りつかれた人々によって。

 さあ、源氏物語に挑戦するとともに、以前にも紹介しましたが、この本により、その源氏物語に憑りつかれた人間たちのことも學びませう。


 さて、光源氏は、他人の処分されるなら自ら軆を引くことを考へます。都から、脱出する間を取り次ぐやうな帖が 第十一帖 花散里 はなちるさと です。

 ホロコーストといふと、ナチスのユダヤ人大虐殺のことを云ふケースが(といふかほとんど)ですが、本來の意味は違ふのに、なんでららうと、ずつと思ってきました。

 旧約聖書を讀んだことがある方ならご存知ですよね(旧約聖書と云ふ言葉自體がキリスト教のおごりですが。これについては後日)。
 久しぶりの登場ですね~(笑)。

 あの屈辱の敗戰後、アカと日教組による 過つた不埒な教育を私たちは受けて育ちました。嘘を信じ込まされました。だから、學校が、「勉強が嫌いになる」場所となりました。その教育からは、リーダー教育が全く抜け落ちました。だから、あの不埒な敗戰後教育を受けた人間は、全員「リーダーシップ」とは何かを知りません。

結果として、マネジメントが上手な優秀な行政官

みたいな、氣持ち惡い人間ばかりが育ちました。

 どこに行っても行政官ばかり。それが近年その傾向が益々強くなつてゐます。

 例へば、コンプライアンス。誰も法律を守らなくてもいいと申し上げてゐるのではありません。コンプライアンスを法令遵守などと譯すからおかしくなります。コンプライアンスと云ふのは、法律さえ守っていれば、お前らはいらんことを考えなくていいといふ 愚民化政策 です。

 例へば、PC(ポリティカル・コレクトネス 勝手に決められる世の中の妥当性らしきもの)。一部の人間が世論扇動のために「これこれはこう考えるべきだ」を決めます。「残業は惡なんだ」「軍隊は戰爭をする道具なんだ」などなど。つまり、優秀な俺たちが世の中の方向性を決めるから、お前らはいらんこと云ふな。逆らふな。です。これも愚民化政策です。官僚やメディアやアカが跳梁跋扈します。

 「ただしいやり方でやる」マネジメントは大切です。しかしその前提に「正しいことをやる」といふリーダーシップが来なければマネジメントは何の意味もなしません。

 さて、久しぶりの十七歳の寳德くんです(笑)。この時期は、ずいぶん怪我で苦しんでゐますね~。
KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 無人島に流されたアジブですが、ある日、向こうから島に近づく船がみえました。なにかいわくありげな船だったので、アジブは、木に登り樣子をうかがいました。
 またまた、太宗と魏徴の会話です(20100227)。
 前回は、源氏物語は書かれたころからいくつものわからないことが發生し、そのつど謎解きがなされてきたと申し上げました。そうです、その壮大なチャレンジは、源氏物語に魅せられた後世の人間によって千年経った今でも續けられてゐるのです。

 最初のチャレンジは、嘉禄元年(1225年)に藤原低下によつてなされました。定家は家族を総動員させ、源氏物語の全巻を筆寫させました。それがこの年の二月十六日に終はつたのです。「どういふ本文で源氏物語を讀めばいいか。最初の報告書です。

 私など、一生かかつてもそんなことはできませんが、源氏物語ファンの一人としてコツコツとつづけてまいります。

 さて、続きです。

 光源氏と朝顔の君のやりとりが、弘徽殿女御の耳に入つたところまででした。
 メディアは、よほどトランプ大統領が嫌いなんですね(笑)。なんとまあ、「米中貿易戰爭」「保護主義」などなど。きちんと事實を踏まえる必要があります。

 もともと、リーマンショックの時にアメリカはデフレにならないように大量のドルを刷りました。その規模約百兆圓です。その金をアメリカはなんと、支那共産党に流したのです。支那共産党は、そのドル(外貨)を元手に、經濟を發展させました。キックバックでチャイナマネーがどこに流れたのか。クリントン夫妻です。クリントンはチャイナまみれなのです。

 その流れを是正しなければ世界經濟はまともな循環機能を失いひます。だから、あれは正しいやりかたなんです。支那共産党は今、悲鳴を上げてゐます。

 日本は、支那共産党を(最終的には)弱體化することを國家目標にする必要があります。ならば、國益にかなつてゐます。クリントンが大統領にならなくてよかった(石破は親支那ですから、首相にならなくてよかつた)。

 「バベルの謎」。
 目を覺ましたアジブにどこからか聲が聞こえます。

 「アジブよ。目醒(めざ)めて足元の土を掘れ。青銅の弓と三本の鉛の矢を見出すであろう。その弓と矢をとって、山頂の騎士を射て。騎士は海に落ち、馬はお前の足元に倒れるであろう。馬を足元の穴に埋めよ。やがて大波が山頂を洗い、波の間より一艘の小舟が現れるであろう。お前はその船に乗り、漕ぎ手の漕ぐままに身を任せればいい。安寧の島に着き、故国へ帰ることも出来よう。だが、忘れるな、喜びのあまり、アラーの名を唱えてはならない。唱えればお前ふたたび不幸の海に漂うであろう」


 さあ、アジブはどうなるのでせうか。 と、前囘はここまででした。
 唐の太宗が行った理想の政治といわれる貞観の治のことが書かれた貞観政要を紹介しています。ここ数日、貞観政要を連続して掲載していますが、シリーズで時々紹介してきたこの貞観政要ももう終わりに近づいています。ですから、読者のみなさんがイメージしやすいように連続して書いています(20100226)。

 では、またまた、魏徴が太宗に諫言します。
 今は、七十二候 秋分 初候 「雷乃収聲」です。「かみなりすはなちこえをおさむ」と讀みます。

 雷がおさまる頃です。入道雲から鱗雲に變はる頃ですね。暑さ寒さも彼岸まで。過ごしやすい季節になってきました。
 源氏物語はとてもミステリアスです。作者が通称「紫式部」といふことはわかつてゐますが、本名も生まれた年も亡くなった年もわかりません。

 千八年十一月一日に、源氏物語が書き繼がれてゐた事實は判明してゐます。なので、十一月一日が

古典の日

です。

 源氏物語は、書かれた直後から、いくつもわからないことが發生し、その都度謎解きがなされてきました。

 さて、つづきです。



 今朝の産經新聞朝刊に面白い記事。
「大阪のなおみ」さんにカレープレゼント 大坂なおみの全米オープン優勝祝いで
テニスの大坂なおみさんが全米オープンで優勝した記念に大阪府在住の「なおみ」さんにビーフカレーを無料提供する「ブルーノHEPナビオ店」=11日午後、大阪市北区(薩摩嘉克撮影) テニスの大坂なおみさんが全米オープンで優勝した記念に大阪府在住の「なおみ」さんにビーフカレーを無料提供する「ブルーノHEPナビオ店」=11日午後、大阪市北区(薩摩嘉克撮影)

  大坂が大会後に「カツカレーを食べたい」と話したことから、老舗とんかつ店「とんかつ小ばやし」とカレー店「ブルーノHEPナビオ店」が企画。21日までふるまう。

 運転免許証などを示し、大阪在住で名前の読みが「なおみ」なら、とんかつ定食かビーフカレーが無料に。「大阪のなおみ」が集結する?

 残念ながら私の周りに「なおみ」はいません(笑)。

 唐の太宗が行った理想の政治とされる貞観の治が書かれた貞観政要を紹介しています(20100225)。

 さて、初心を忘れて贅沢になった太宗に、魏徴が命がけの諫言を上申書にしたためて太宗に送りました。前回までで十の諫言を紹介しました。

 太宗はこれを読みました。太宗はどうするのでしょうか。
 さて、この源氏物語シリーズの今日の記事から「再」が消えました。つまり、ひとつ前の記事までは以前書いていたもので、今日から書くものは、新しいものです。「再」を掲載してゐるうちに、私の源氏物語研究もほんの少し進みました。まあ、これは、紫式部が、後世の人間たちに喧嘩を賣つてゐるやうなものです。これを、普通の本のやうにまともに讀もうとしたら、大變ですね。

 讀むコツを知ることですかね。研究を重ねていくうちに、それが大切なことに氣づきました。それを少しずつ紹介します。

 まず、全體像です。源氏物語は全部で五十四帖です。「ゴジュウシジョウ(ゴジュウシジヤウ)」あります。それが3つのパートに分かれるのですがこれは次囘。

 そして、和歌が七百九十五首出てきます(お願いだから和歌を 句 と云はないでくださいね。句は俳句です)。 これは泣く子(七九五)も黙ると覺へるさうです(笑)。

 では、つづきです。政敵 右大臣の屋敷に潜んで 朧月夜と逢瀬を重ねた光源氏ですが、なんとなんと、その右大臣に見つかってしまひます。
 朝からやっていたとても重い仕事が終わったから午前中残りの時間は、ブログを書きます。午後からも今夜も重要な仕事の山積み。うれしいなあ。健康で働けることがこんなにうれしいなんて。
 
 そうだ、今日は、亡母の誕生日です。昭和七年九月十二日生まれ 生きて入れば八十六歳。父とは五歳差です。

 よく怒られたなあ(笑)。その百倍優しかったけど。

 さて、今、すごい面白い本を讀んでゐます。皆さんの周りにこんな人はいませんか?
 唐の太宗が行った理想の政治とされる貞観の治を書いた「貞観政要」を紹介しています(20100224)。

 初心を忘れた太宗に対する魏徴の諫言が続きます。諫言の最後のところです。
 今日は、五節句のひとつ九月九日重用の節句です。このブログでも繰り返し書いてきました。去年書いた記事がとても面白いので、今年も書きますね。

一月七日:人日(じんじつ)の節句 七草粥を食べます。

三月三日:上巳(じょうし)の節句 三月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓ひ、軆代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名です。

五月五日:端午の節句 五月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願ふ行事へ轉化していきました。

七月七日:七夕(しちせき)の節句 別命 笹の節句です。

九月九日:重陽(ちょうよう)の節句 「九」という数字は、易によれば「陽數の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味です。支那の風習(この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱るといふもの)が元になつていて、宮中では重要な節句として位置付けられてゐます。別名「菊の節句」です。

http://wakadokoro.com/wp-content/uploads/2015/11/332520.jpg
 昭和二十年。日本が屈辱の敗戰を迎えた年です。出光興産㈱は、日本石油の縄張りのため、敗戰前は、國内で思ふやうに商賣ができませんでした。なので、支那大陸や東南アジアに進出しました。敗戰でその海外資産をすべて失ひ、残ったのは、膨大な借入金と海外に行ってゐる社員です。出光佐三は自殺するだらうといふうわさも流れました。

 役員たちは佐三店主に、海外から引き上げてくる社員を解雇してくれと提案しました。佐三店主は激怒します。

企業の最大の資産である「人」を解雇することはあり得ない

と。そして、三つの言葉を遺します。

一、愚痴を言ふな
一、日本の三千年の歴史を見直せ
一、今から建設に取り掛かれ

さらに、「玉音を拝して」といふ文章を遺しました。

 明治に男たちの土性骨、とほれぼれとする度量をごらんあれ。
 あ~、俺たちはなんて情けないんだ!!!
 子供のころ、バビル二世と云ふ漫画がありました。


♪砂の嵐に~ か~くさ~れた~ 
バビルの塔に住んでいる
超能力少年 バビル二世
地球の平和を守るため
三つのしもべに命令だ
怪鳥ロプロス 空を飛べ~
ポセイドンは 海を行け~
ロデム変身 地をかけろ~♪

 へ~、まだ覺へてゐるわ(笑)。
 初心を忘れてしまった唐の太宗に魏徴の諫言が続きます。第十番目の諫言内容です。上司も部下もこの緊張感はすごいですね(20100223)。
 すごい臺風でしたね。私の住む甲子園地区は、これまで大きな臺風が通過することなど稀でした。というかここに住んで二十年間、そういふケースはありませんでした。最近は、臺風が北上した後右に折れるコースを取るのでたまりません。

 臺風は、進行方向右側(つまり東側)が壓倒的に西側より被害が大きくなります。今囘もすごかつた。マンションにこもっていても命の危険を感じます。何かが窓から飛び込んでくるのではないかと。それと、マンションにこもっていてわからなかつたのですが、後でニュースを観たらひどいことになってゐます。
 
 そんな中、今囘も感じたのが・・・、
 もう手術して1か月も經つのですね。早いな~。しばらくブログを書かないうちに・・・。

 今は、七十二候 処暑 末候 禾乃登です。「こくものすなはちみのる」と讀みます。

 日に日に稻穂が重くなつてくるころです。

 我が國が、稻の國であることは明白です。我が國の名前は 豐芦原の瑞穂の國です。そして、斎庭の稲穂の神勅があります。

 敗戰前は小學生でも知つてゐた三大神勅ですが、今は、知つてゐる人が少ない。

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