2019年2月アーカイブ

抄録2 矛盾と不合理
 近代合理主義というのは、いわば勝つ論理だと思うんですね。ですから敗北者の論理といいますか、負けることを認めるものの考え方を守っていくしか、近代合理主義に対する抵抗はないんじゃないか。無用の用というのはそういうことだと思うんです。[生と死を考える/海原猛との対話]

 多くを語る必要はないでせう。シャーラザッドもはだしで逃げ出す素敵な本です。
 ほんの少し前、この本を紹介しました。

 元山口組の直系組長が書いた本です。自分の歴史を語る中に、公明党(といふより創価學會)の黒い歴史が紹介されてゐました。

 お~コワと思っていたらもつと凄まじい本がありました。
 今は、七十二候 雨水 次候 霞始靆です。かすみはじめてたなびく と讀みます。

 春に出る霧を霞と云ひます。夜の霧は朧です。おぼろと云ひます。
 前囘は、藤原定家が「夢の浮橋」と云ふ言葉を、物語(=散文)から、詩歌の言葉(=韻文)に昇華させたことを書きました。

 その後文豪 谷崎潤一郎が 小説「夢の浮橋」を書きました。


夢の浮橋 (中公文庫)

 紫式部の散文を藤原定家が韻文に昇華させ、そして、もう一度、昭和の文豪が散文の言葉として結晶し直したのです。なんといふ千年間の歴史の積み重ねでせう。これができるのは我が國だけです。

 源氏物語は2008年に千年紀を迎へました。源氏物語を日本文學の至宝としたのは、まさに藤原定家なのです不死の生命として源氏物語が生き續けたのです。

 では、本文です。
 昔から無用の用と言いますが、一見無用に見えるもの、必要でないように見えるものが、実はものすごく大きな意味を持ち、宇宙の意志とも言えるような意味をはらんでいるのです。最近の合理化には、そこに対する視点がありません[他力]
 以前も書きましたが、私は、西宮神社が 唯一の全國戎総本山だと思つてゐました。それぞれにいろいろあるのですね~。

 天照大御神とともに事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀るえびす神社は、なんと大阪に百ぐらいあるさうです。その中でも代表で気なのが、今宮戎神社です。創建はなんと第三十三代 推古天皇(554-628)の時代です。聖徳太子が四天王寺を建立した際に西方の守護神とされました。

 毎年一月九日~十一日に行われる今宮戎の十日えびすはそれはそれは壮大です(九日が 宵えびす、十日が本えびす、十一日が残り福)。


 このシリーズの書評はネットでたくさん出てゐますので、そちらの方にお任せします。

 温かい涙を流すと言ふのはこんなにも気持ちがよいのでせうか?この本に出逢つてよかつた。なんとまあ素敵な。

 システマチックになりすぎたこの世の中において「人間とは何か」といふ問ひかけをずつとしてくれる本です。

 何年か前、我が母校 慶應義塾大学が百五十周年を迎へ、記念式典が催されました。參加しました。なんと今上陛下と皇后陛下にご臨席賜つているではありませんか?感動で涙が溢れました。

 陛下が御言葉を述べられる時起立をしない人がたくさんいました。陛下がお辞儀をされるときは、こちらが先に頭を下げ、陛下が頭を上げられてからこちらがあげる。最低限の禮儀です。

 さて、御在位三十周年です。記念式典が催されました。

 鹿児島にある卑弥呼神社と嘘と罪について數囘にわたつてみませう。

 鹿児島縣霧島市隼人に卑弥呼神社があるさうです。恥づかしくて、寫眞を載せる氣にも行く氣きにもなりませんが。

 この神社は昭和五十七年い建てられた捏造神社です。

 ファンタジーめいたこの神社には由緒としてこんなことが書いてあるさうです。
抄録2 矛盾と不合理
<知る>ことによって、より深い悲しみ、より深い絶望、より深い困難におちいることもある。また、知ることが、かえって虚心に物事を見るための大きな障害になることもある。そんな難しい存在が、<知>といいうものの実体なのです。[生きるヒント3]


 無一文になつた若者は兵士の金を盗まうとして、捕まつてしまひました。なんと、右腕切斷の刑となつたのです。

 「ああ、こんなに惨めな姿になつてしまつた」
 それでも、若者は女のところに行かずにはおられません。

 電子書籍をあれほど馬鹿にしながら・・・。すみません。正岡子規だけは許してください。彼がいなかったら、我が國の詩歌は滅んでいたかもしれません。

 「墨汁一滴」「病牀六尺」「歌よみに与ふる書」・・・・。八十三作品も!!!! エクスタシー以外のないものでもありません。幸せです。
 仕事に行き詰ったので、ブログを書いてゐます。休憩~。五木寛之先生のこのタイトルの本に沿って自分を見つめてゐます。今日の言葉はすごいですね。そうか!仕事ではなく「行」にすればいいんだ!

抄録2 矛盾と不合理
 千日回峰行を達成した行者の一人の、食事メニューを見て、私は愕然とした。
 まず、一日二食である。それも全く同じ献立で「堂入り」以外の一千日あまりをすごすのだ。塩ゆでのジャガイモ二個。豆腐半丁。うどん半皿。
 それがすべてだ。それ以外のものは一切、口にしない。それで想像を絶する荒行をつづけ、一日に少ない日で三十キロ、多い日は八十キロを飛ぶように歩き、峰々を巡拝するのである。
 カロリー計算は一体どうなっているのか。インプットするエネルギーと、アウトプットするエネルギーの差引きはあるのか。私はその難行を貫徹した大阿闍梨と会って、いろいろ話をうかがった。おだやかな風貌の小柄なかただった。
 「どうしてそんなことがあり得るのでしょうね」ときくと、行者は少し考えて、こう答えた。「行だからですよ。スポーツだったら無理でしょうね」 [養生の実技]
春の夢の 夢の浮橋 とだえして 峰に別るる 横雲の空

 藤原定家は、決して源氏物語をまとめやうとしただけではありません。そんなちっぽけな源氏愛ではなかつたのです。なんと二百年前の源氏物語からインスピレーションを得て、新しい時代の和歌を生み出しました。それがこの和歌です。

シーンは・・・・。

 夜明け。峰から雲が離れてゆく。「峰」が男。「雲」が前夜に男のもとを訪れて契った女神・・・。白みゆく朝の光の中、次第に遠ざかる女神を見送る男の心を去来するのは、昨夜の「夢」のやうな濃密な逢瀬の記憶? それとも、次にいつ逢へるかわからぬ絶望感?

 そして「夢の浮橋」といふ言葉。もうたまりませんね。源氏物語の最終帖です。

 今の私たち日本人に、かういふ和歌が詠める人が何人いるでせうか?悔しくて仕方がありませんが、ドキドキします。私達の先輩たちはなんとすごい人がいたのか。今の私ができなくても、生きる勇氣になります。定家は、この歌によって、「夢の浮橋」といふ言葉を「物語の言葉」から「詩歌の言葉」へと昇華させたのです。この情緒がないから私は小者なんですね。

 さて、源氏物語のつづきです。




 なんて素敵な本なんだ。ラストで泣かない人はいないのでは?
 今日は本ばかりですね(笑)。少し餘裕がありません。

 倉山満氏、上念司氏につづく旬の人。江崎道朗氏。いいですね~。


 實際に、今の我が國の状況は、のほほんとしていられる状況ではありません。韓國と北朝鮮が一緒になったら、對馬が防衛線になります。済州島に支那共産党軍が常駐します。國家安全保障上の脅威です。北朝鮮が數百發の核ミサイルをぶっぱなしたら防ぎやうがありません。

 支那共産党のスパイである立憲民主党などは、そんな安全保障上の問題を國會で議論したくないので、モリカケや資料問題をやります。スパイが入り込んでゐる 朝日新聞やNHKなどのメディアは世論を扇動します。國民は騙されます。今、一番大切なのは、國民がしつかりと學習することです。

 國家を侵されてから、「知りませんでした」「誰も教へてくれませんでした」「學校でそんなことを教へてくれませんでした」といふ、他人事發言は通用しません。
抄録2 矛盾と不合理
 おどろくべき進歩をとげた科学の時代に、どうして何千年もの昔のブッダや、キリストの言葉が生きつづけているのか。科学では決して解決できないものが、この世の中にはあるからだろう。[人間の運命]




 ながめてゐるだけでも面白い。かういふのをたくさん知つてゐるといざといふときの人生の羅針盤になります。諺とは、祖先の遺言ですね。
SNA
 SNAとは國民經済計算と云ひます。GDPをある一定の基準に從ひ作成してゐます。國連基準です。なんと、これは我が國の計算方法が多くの基準になつてゐるのです。確かに、厚生労働省と云ふのはもう解體です。官僚の世界には闇があります。とくに官僚機構に入り込んでゐるアカの連中や支那のスパイは我が國を破戒しやうとしてゐますから、仕事なんてどうでもいい。特に厚生労働省や文部科學省はひどい。官僚は、豫算をとるために統計資料を作成します。省がよければ國なんてどうでもいい。

 でも、SNAは、官僚は關與はしましたが、その音頭をとったのは、我が慶應義塾大學の故 辻村幸太郎先生(ノーベル經済學賞候補でした)です。SNAと厚生労働省の統計は、間接的には關係があるでせうが、枝野が言つてゐるやうなアベノミクスの數値にはほとんど關係がありません。東大でたり辯護士だつたりする國會議員は、なんでこんなにアホなんだらう。

憚りながら
 倉山満氏のメールで知りました。この本。賈ひました。
 ついにシリーズ百回になりましたね~。源氏物語とは不思議なもので、最初に讀みはじめたときは、まつたく理解できませんでした。それでも、世界に誇るといふか、世界が奇跡として未だに信じられない、この女性の大作をどうしても讀みたく、いろいろな源氏物語の本を讀んでゐるうちに、そのたびにどんどん理解不能になりながら、どんどん魅せられていく自分がゐることに氣づきはじめてきました。やうやく、ほんの少し理解できるやうになりました。私は、一生 源氏物語に魅せられそして、千年以上前に紫式部によつてしかけられた素敵な罠に陥つていくでせう。

 芥川龍之介は、「或る阿呆の一生」で、「人生の一行はボオドルエルにも若(し)かない」と言つてゐます。「現實は、ボードレールの一行の詩にも及ばない」です。この表現は、島内景二氏の「源氏物語ものがたり」で知り、讀んでみました。このブログは、島内氏のこの著作の超譯と思つていただいて結構です。

 島内氏は、藤原定家もまが「人生は一行の源氏物語にも若かない」といふ思ひだらう、と書いてゐます。

 現實よりも大切な藝術があつた二百年以上も昔の王朝時代。定家の時代には、とつくに消え去つたもの。古典とは、なんと素敵なものでせう。私は、髙校時代、古典が大嫌いでした。學校の責任にしてはいけませんが、今の學校は、生徒を勉強嫌いにする場所です。でも、すてきな先生に会へたりすると、その教科が好きになつらりしませんでしたか?

 さて、本文。都で光源氏を呼び戻さうとしてゐるとき、光源氏はとつくに、明石の君と仲良くなつてゐます。
抄録2 矛盾と不合理
 科学に対する全面的な信頼も、私には奇妙な迷信のように思われます。「科学的でない」「証明されない」ということを、否定の第一原理つぃて用いることは、はななだ非科学的なことではあるまいか。[運命の足音]
 えっ?この連載いつまで續けるのかって? 當たりまえです。千回までです。三年以上かかりますね(笑)。

 今日はこれ。


 心の戀人 曽野綾子さん。女性は素敵ですね。
 若者の二度めの夜はさらに華麗でした。若者は、さらに多額の金子を置いて歸りました。エッチな話ですが、女性の身体は、一日目より二日目、二日目よりも三日目と少しずつ熟してきます。しかも、このふたりの身体の相性は抜群だったのです。
 紀元節おめでたうございます。このブログで、何度も何度も何度も何度も語ってゐますので、愛読者の方は「またかい」と思ふ方ばかりでせう。初めて讀まれるかたもたくさんいらっしゃるので、また書きますね。

 建國記念日ではありません。紀元節です。我が國において「節」と「日」は、全く違ひます。

 世界で唯一歴史が連續した 世界最古の國 人間社會の奇跡の國 我が國 日本。

 その永い歴史の中で、また今年も、この日を迎えられたといふ「節目」を祝はうのが紀元節。なんとなく建國を祝ふのが建國記念日です。

紀元節
高崎正風
一、
  くもにそびゆる たかちほの
  たかねおろしに くさ
  なびきふしけん 大御世おほみよ
  あふけふきょうこそ たのしけれ
二、
  うなばらなせる はにやすの
  いけのおもより なほひろき
  めぐみのなみに あみし
  あふけふきょうこそ たのしけれ
三、
  あまつひつぎの たかみくら
  千代ちよよろづうごきなき
  もとゐさだめし そのかみを
  あふ今日きょうこそ たのしけれ
四、
  そらにかがやく もと
  よろずくにに たぐひなき
  くにのみはしら たてし
  あふけふきょうこそ たのしけれ

 こんなボトルを創りました。私のクライアントさん、「私のお酒」に頼むとオリジナルボトルを創ってくれます。何本からでも注文可能です。
幼稚すぎる
 私はたいした少年・青年時代は送ってきませんでした。それなりの惡さもしました。今、思ひだしたら顔が赤くなることや、あんなやばいことをしてしまつたといふこともたくさんあります。でも、お天道様に顔向けできないことはしきませんでした(っと、自分ではそう思つてゐますが、神樣そうですよね(笑))。

 それが、どうでせう。セブンイレブンでおでんのネタを吐きだす動画を流したり、くら寿司でも同じよやうなことがあつたり。なんか、幼稚すぎます。聞いてゐるこちらの方がはづかしくなります。あんなことを格好良いとでも思つてゐるのでせうか?

ちくわパン
 インスタである女性がちくわパンの寫眞を流されてゐました。「ちくわパン?」
 「僕はえ白(まを)さじ。我が子八重言(事)代神是(こ)れを白すべし」

 この取魚の記述が、日本の文献上最初の魚釣りです。だから、漁業の祖神としての恵比寿さまが事大主神(ことしろぬしのみこと)がなられた理由となつてゐます。

 この言葉を父神から云はれた事代主神は、かう答へました。
 もう、お判りいただけましたよね。邪馬臺國を論じれば論ずるほど、世界から嘲笑されることになつてゐるのです。支那に笑はれてゐるのです。

 それよりももつとすごい事實があります。

 田中英道先生が、2014年に「日本の宗教 本当は何がすごいのか」を上梓されました。先生は、上梓される前に、全國の神社を調査されました。

 すると「卑弥呼神社」といふものがどこにも存在しなかつたのです。
 昨日から、七十二候 立春 次候 「黄鶯睍睆」です。「うぐいすなく」と讀みます。

 鶯が何度も繰り返し鳴いて、鳴き方が上手になると、本當にきれいですね。その年の一番初めに行く鶯の声を初音と呼びます。

 源氏物語 全五十二帖のなかの第二十三帖 が初音と云ひます。

抄録1 人生の明暗

マイナスの勇気、失うことの勇気、あるいは捨てることの勇気。源氏を直視した究極のマイナス思考から、本物のプラス思考が出てくるのです。[他力]

 
 絶對にご両親のもとに送り届けませう。同朋が攫われたら、救い出せる軍事力を持ちませう。
世上亂逆追悼(せじやうらんげきついたう)、耳に満つと雖(いえど)も、これを注せず。紅旗(こうき)征戎(せじゅう)、吾が事に非ず。

 藤原定家以が十九歳の日記「明月記」に書いた言葉です。1180年九月、富士川の合戰の直前です。源平の爭亂は頂點に達しようとしてゐました。上記の内容は、「そんな騒亂ではなく、自分は美しい芸術の世界に生きたい」です。そう、藤原定家は、理想の場所は、今ここではなく、自分の内にあるのだと宣言したのです。

 さて、光源氏と明石の君が深い仲になる直前の頃、都ではどんなことが起きてゐたのでせうか?




 仕事の合間のつれづれ。

どうにも許せない
 心愛ちゃん 10歳 の事件がどうにも許せません。私は、息子が生まれた時、「ああ、初めて自分の命と引き換えにしてもよい存在に出逢えた」と強く強く感じました。もし、彼が不治の病になつたとします。死神が私の前に現れて、「お前の命を差し出すなら息子を助けてやろう」と言ったら、一瞬のためらいもなくその申し出を受けます。

子どもとはそんな存在ですよね?

 虐待するのさへ許せないのに、そのあと、文を書き直させたり、言ふことを變へさせたり。どうやつたらあんな大人になれるんだろう? どうやつたらあんな親になれるんだろう。

なら、子供をつくるなよ

 母親もさうです。夫の暴力が怖いから虐待に加わった。ご飯を食べさせなかった。

 絶對にありえませんが、私が子供のころ、もし、父が私たち子どもを虐待したら、母は命を懸けて私たちを守つたでせう。もし、父が母に、虐待しないと母に暴力をふるうと宣言をしたら、母は、その場で命を絶つたでせう。私たちを守るために。父を諫めるために。
 今日のブログはこれで打ち止め。仕事をしながら書いてゐるので。

 産經新聞火曜版のこのコーナーが大好きです。行きたいのですが、なかなな。時間がないのではなく、誰も付き合ってもくれへんし・・・。時間があるときは、なんやかんややつてゐるし(笑)。

 忘れんように載せておきます。
 島根県松江市に美保神社があります。


 迫力ありますね~。

 ゑびす樣の総本宮と云はれてゐます。
 昨日から二十四節氣は 立春です。 舊(旧)暦では、今日が一年の始まりです。なんで、暦を變へたのかなあ。こちらの方が我が國にあつてゐる。西洋暦は情緒がない。明治維新のいくつかのミスの一つです。

 立春が一年の始まりだから節分や八十八夜はすべて昨日を起點としてゐます。

 梅の花が咲きますね~。梅の花が大好きです。

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

 菅原道真公です。春「な」忘れ「そ」の「な」「そ」は禁止用語です。

 これを最近「東風吹かば においおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘するな」としている愚かな本がたくさんあります。誰の歌やねんとなります。本當に愚かです。子供達から知的好奇心を奪う愚かな所業です。

 大好きな岐阜に梅林公園があります。
 


  ロウソクの科学は以前ご紹介しましした。左の二冊は、先日亡くなられた世界的大物理學者 米澤富美子先生の著作です。「物理」といふと、名前を聞くだけで敬遠する方が多いかもしれませんが、この本はわかりやすい!!!!

 こんなにわかりやすく物理を説明できるんだ!と驚いてしまひます。先日も云ひましたが、もう、學校の教科書をすべてやめて、かういふ名著を教科書にすればいい。江戸時代の寺子屋はすべてさうだつたんですから。そうすれば、大幅なコストダウンにもなるし、そして、出版業界が活性化します。

官はもう不要

です(防衛・外交等の本当に必要な官を除いて)。特に文部省はほとんどその存在も不要です。だつて、日本は、さうやつてきたんですもの。江戸時代に。

 私は中學時代にこの三冊に出逢つていたら、科学者になつていたでせう。子供たちに對する良書でもあります。
抄録1 人生の明暗

 人工光線で二十四時間明るく照らされているような場所に入る人は、光が射してきても気づかない。反対に、長いあいだ暗闇のなかにいた人は、パッと射しこんできた一条の光にも希望を感じ、こころから感激するにちがいない。光を光として感じるためには、深い闇こそ必要なのだ。[百時巡礼2/北陸]


 女性が素敵だなあ。老人も素敵だなあ(五木寛之先生すみません)。私も老人だけどまだまだ( ;∀;)

 茶道と書道の教室を探します。まじにやります。六十の手習い(笑)。
サイコパス
 岐阜縣髙山市の介護施設で、三十三歳の男が、入所者を5人死傷させました(3人死亡、2人大けが)。

 メディアの取材に對してこの男は「變なことが重なる。短期間でよく運ばれると思ひました。100%やつてゐないです。轉ぶろきは轉ぶし、けがするときはけがする。いくら氣をつけても100%事故を防げないのは事實です」と答へてゐます。

 こいつ完全にサイコパスですね(詳しくはこのブログ 「サイコパス」で檢索してください)。ひどい事件がたくさん。我が國らしくないですね。悲しくなります。

 ずつと書いてゐませんでした。今年九十二歳になる父が、頻繁に手紙を送ってきます。自分の今までの人生のこと、そして、自分が今考へてゐることなど。何かを遺さうとしてゐます。私はこのブログで父の人生を遺します。

 世界初の折る刃式カッターナイフ「オルファ第1号」のつづきです。

 カッターナイフづくりに取り掛かりました。
 前にも書きましたが、私は、西宮恵比寿が全國戎神社の総本山と思つてゐました。鳴尾浜の逸話を知つてゐたので。あながち間違ひでもないのですが、あまりにも視野が狭かつた。

 それに福岡で育つた私は、十日えびすが大好きでした。それが、大學で東京に行つて、東日本には恵比寿神社がないと思つてゐました。でも、あるんですね~。面白いな~、世の中は。

 昔、西宮恵比寿神社の本殿が焼失した時、德川幕府 四代將軍 家綱が再興しました。そのときの維持修復費用に充てるため、江戸幕府は、西宮恵比寿神社の「御神影札 おみえふだ」の版權と獨占頒布を認めました。
年間目標
 今年の目標のうち本はなんと一月は三十三冊讀みました。出張が多かったので交通機關での讀書が充實。手紙は二百一通。年間目標は三千通ですが、年賀状と暑中見舞で稼げる目標を入れたら、月間は百六十通となります。だけど、月間三百通書ける人間になりたいなあ。

 ブログがだめでした。

なんだかなあ
 私は人に偉そうに言へる人生を送つてゐませんが、最近のニュースはひどいですね。名前も知りませんでしたが、新井とかいふ俳優がマッサージの女性を強姦したとか。セックスをしたかったら、最初からさういふ場所に行けばいいのに。不思議です。

 それと、一番腹が立つのが母校 慶應義塾大學の學生が女學生を強姦して不起訴に。多くの辯護士は、示談が成立したのだらうと。なんとも情けない。

 男の唯一の使命は、女性と子供を守る事! だから力をつける。だから勉強をする。だから仕事をする。戀愛にいろいろな形があるのは否定しません。きちんとけじめがつけられて守れるならいろいろな形もあるでせう。だけど、自分の慾望のためだけに男が「守るべき女性」を傷つけるのは絶對いあつてはならない。許せないのではなく、あつてはならない。

 あの、十歳の女の子もさうです。實の父親が!!!!! 心愛ちゃん。よい名前を付けたのに。どうやつたら實の子を虐待することが出来るの???? 社會に護ってもらはないと、自分の子供を育てられないの? なにがなんだかさつぱりわかりません。
 古代インドには、人生を四つの時期に分ける考へがあつたと、五木寛之先生の御著書にありました。

☆學生期(がくしゅうき)
☆家住期(かじゅうき)
☆林住期(りんじゅうき)
☆遊行期(ゆうぎょうき)
 仲賈人の話がつづきます。右手を失つた若者の話です。

 ちなみに、イスラムの世界では、現在でも左手は不淨とされます。食事は右手、用便の始末は左手です。間違えて握手の時に(自分が左利きだからと)左手を出したり食事の時に左手で食べたりすると大變なことになります。
 三國志は、陳壽と云ふ人間が書きましたが、陳壽につとて、日本などどうてもよかつたのです。

 魏志倭人傳には

「さて汝を親魏倭王として、金印・紫綬を与えよう」

とあります。つまり、王として認めるから魏の子分になれと魏の親分が卑弥呼とかいふ女性に言つてゐます。

 この内容が書かれてゐる史料は、魏志倭人傳だけなのです。他には一切存在しません。日本の學者は、なのに、なぜ、あんなに大騒ぎするのでせうか?

 ただ、三國志が支那の正當な歴史書だとされてゐるからといふ理由だけで。支那は、歴史をプロパガンダに使ひます。つまり嘘だらけです。日本の歴史學者のただの思ひ込みです。

 敗戰による自虐觀。その自虐觀を活用して儲けてゐる、敗戰利得者も大きく關係してゐます。つづく
 出身校の福岡縣立福岡髙等学校を強烈に愛してゐます。日教組が強い福岡ですから、當然、くだらない先生はたくさんゐました(特に社會)。でも、多くの先生が生徒を大人扱いします(つまり、自分の責任は自分でとれ)。これがすごく好きでした。教え方も獨自手法をとられる先生が多かった。私はK先生の手造りの化学の教科書を今だに持つてゐます。

 でも、多くの今の學校は、生徒を勉強嫌いにする場所です。古典なんでどう教えてゐますか?

☆奈良時代の万葉集は、男性的で力強い。現実世界を率直に歌う。
☆平安時代の古今和歌集は、女性的で優美である。機知に富み言語遊戯の作風である。
☆鎌倉時代の新古今和歌集は、象徴的ではあるが技巧に走り、現実から遊離している。

 これでは區別ではなく、差別です。正岡子規の「歌よみに与ふる書」でも讀めよ。

 もう、教科書なんて廢止して、かういふ名著を讀めばいい。その前に、國公立の大學と髙校は今のままでは不要です。そこに書けるコストを奨學金(給付型:成績の条件付き)にして、髙校以上は私立(それもパブリック・スクール 慶應義塾のやうな)にすればいい。オックスフォード・ケンブリッジもさうです。

 まつたく、かういふレッテル貼の教育をするから、勉強が嫌いになる。そして、何よりも教養が身につかないから、官僚みたいな人間像がモデルになつてしまひます。

 そして、古今和歌集の藤原定家がこんな評価を去れるなんて。かれのロマンチシズムが吹き飛んでしまひます。源氏物語の素晴らしさがどこかにいってしまひます。嘆かわしいですね。

 さて、本文です。

 明石には月に十日ぐらい行きます。大阪方面から電車に乘つて明石まで。途中、もちろん須磨を通ります。明石海峡も。晴れた日などはたまらなく美しい。光源氏もこの景色をみたのかなあ。明石の君と。なんて考えながら。

 えっ?光源氏は實在の人物かって? さういふのを無粋と云ひます。
 私淑する五木寛之先生の本ことばをひとつひとつ忘れないやうに書き留めてゐます。

 僕の場合は、ほら、顔を上げて空の太陽を見なさいというものの見方とは逆なんです。直接、光源を見ても、太陽の激しい光はまぶしくて見えない。そういうときにはうなだれて、肩を落として足元を見る道もある、と。[おとなの二人の午後/塩野七海との対談]
 何もここでは語りません。自然體とは、かういふことを云ふのでせうね。素敵です。


 節分ですね。この「節」と云ふ字が日本ではとても大切な字であり概念であることは、これまでこのブログで何度も述べてきました(割愛)。

 我が國では、季節が四つあります。それぞれのスタートの日も決まつてゐます。

 春は「立春 りっしゅん」、夏は「立夏 りっか」、秋は「立秋 りっしゅう」、冬は「立冬 りっとう」です。本當は、節分(せつぶんはせちぶんとも云ひます)は、四囘あります。それぞれの季節の始まりのことを節分と云ひます。

 それぞれの季節の始まりには、邪氣(鬼)が生じると考へられていて、その鬼を追い祓ふ儀式として豆まきが行はれるやうになりました。我が國では、文武天皇んの頃からです。

 室町時代から、冬から春になる時期を一年の境目として、新年と同じぐらい大切な日として立春(春の節分)が重要視され、今に至ってゐます。

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2019年2月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2019年1月です。

次のアーカイブは2019年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。