2019年2月アーカイブ

抄録2 矛盾と不合理
 近代合理主義というのは、いわば勝つ論理だと思うんですね。ですから敗北者の論理といいますか、負けることを認めるものの考え方を守っていくしか、近代合理主義に対する抵抗はないんじゃないか。無用の用というのはそういうことだと思うんです。[生と死を考える/海原猛との対話]

 多くを語る必要はないでせう。シャーラザッドもはだしで逃げ出す素敵な本です。
 ほんの少し前、この本を紹介しました。

 元山口組の直系組長が書いた本です。自分の歴史を語る中に、公明党(といふより創価學會)の黒い歴史が紹介されてゐました。

 お~コワと思っていたらもつと凄まじい本がありました。
 今は、七十二候 雨水 次候 霞始靆です。かすみはじめてたなびく と讀みます。

 春に出る霧を霞と云ひます。夜の霧は朧です。おぼろと云ひます。
 前囘は、藤原定家が「夢の浮橋」と云ふ言葉を、物語(=散文)から、詩歌の言葉(=韻文)に昇華させたことを書きました。

 その後文豪 谷崎潤一郎が 小説「夢の浮橋」を書きました。


夢の浮橋 (中公文庫)

 紫式部の散文を藤原定家が韻文に昇華させ、そして、もう一度、昭和の文豪が散文の言葉として結晶し直したのです。なんといふ千年間の歴史の積み重ねでせう。これができるのは我が國だけです。

 源氏物語は2008年に千年紀を迎へました。源氏物語を日本文學の至宝としたのは、まさに藤原定家なのです不死の生命として源氏物語が生き續けたのです。

 では、本文です。
 昔から無用の用と言いますが、一見無用に見えるもの、必要でないように見えるものが、実はものすごく大きな意味を持ち、宇宙の意志とも言えるような意味をはらんでいるのです。最近の合理化には、そこに対する視点がありません[他力]
 以前も書きましたが、私は、西宮神社が 唯一の全國戎総本山だと思つてゐました。それぞれにいろいろあるのですね~。

 天照大御神とともに事代主命(ことしろぬしのみこと)を祀るえびす神社は、なんと大阪に百ぐらいあるさうです。その中でも代表で気なのが、今宮戎神社です。創建はなんと第三十三代 推古天皇(554-628)の時代です。聖徳太子が四天王寺を建立した際に西方の守護神とされました。

 毎年一月九日~十一日に行われる今宮戎の十日えびすはそれはそれは壮大です(九日が 宵えびす、十日が本えびす、十一日が残り福)。


 このシリーズの書評はネットでたくさん出てゐますので、そちらの方にお任せします。

 温かい涙を流すと言ふのはこんなにも気持ちがよいのでせうか?この本に出逢つてよかつた。なんとまあ素敵な。

 システマチックになりすぎたこの世の中において「人間とは何か」といふ問ひかけをずつとしてくれる本です。

 何年か前、我が母校 慶應義塾大学が百五十周年を迎へ、記念式典が催されました。參加しました。なんと今上陛下と皇后陛下にご臨席賜つているではありませんか?感動で涙が溢れました。

 陛下が御言葉を述べられる時起立をしない人がたくさんいました。陛下がお辞儀をされるときは、こちらが先に頭を下げ、陛下が頭を上げられてからこちらがあげる。最低限の禮儀です。

 さて、御在位三十周年です。記念式典が催されました。