源氏物語 98(皇紀弐千六百七十九年二月三日 四)

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 出身校の福岡縣立福岡髙等学校を強烈に愛してゐます。日教組が強い福岡ですから、當然、くだらない先生はたくさんゐました(特に社會)。でも、多くの先生が生徒を大人扱いします(つまり、自分の責任は自分でとれ)。これがすごく好きでした。教え方も獨自手法をとられる先生が多かった。私はK先生の手造りの化学の教科書を今だに持つてゐます。

 でも、多くの今の學校は、生徒を勉強嫌いにする場所です。古典なんでどう教えてゐますか?

☆奈良時代の万葉集は、男性的で力強い。現実世界を率直に歌う。
☆平安時代の古今和歌集は、女性的で優美である。機知に富み言語遊戯の作風である。
☆鎌倉時代の新古今和歌集は、象徴的ではあるが技巧に走り、現実から遊離している。

 これでは區別ではなく、差別です。正岡子規の「歌よみに与ふる書」でも讀めよ。

 もう、教科書なんて廢止して、かういふ名著を讀めばいい。その前に、國公立の大學と髙校は今のままでは不要です。そこに書けるコストを奨學金(給付型:成績の条件付き)にして、髙校以上は私立(それもパブリック・スクール 慶應義塾のやうな)にすればいい。オックスフォード・ケンブリッジもさうです。

 まつたく、かういふレッテル貼の教育をするから、勉強が嫌いになる。そして、何よりも教養が身につかないから、官僚みたいな人間像がモデルになつてしまひます。

 そして、古今和歌集の藤原定家がこんな評価を去れるなんて。かれのロマンチシズムが吹き飛んでしまひます。源氏物語の素晴らしさがどこかにいってしまひます。嘆かわしいですね。

 さて、本文です。

 明石には月に十日ぐらい行きます。大阪方面から電車に乘つて明石まで。途中、もちろん須磨を通ります。明石海峡も。晴れた日などはたまらなく美しい。光源氏もこの景色をみたのかなあ。明石の君と。なんて考えながら。

 えっ?光源氏は實在の人物かって? さういふのを無粋と云ひます。
 明石の君も田舎育ちですが、知性・教養などにおいては、都の貴婦人に敗けないぐらい身につけてゐます。光源氏が手紙を書いても、ホイホイとはのってきません。

 しかし、手が明の相手はなんと言っても光源氏。「私なんかでいいのかしら」「すぐにすてられないかしら」などなど考へながら、いろいろあつたなかで、やつと返事を書きます。

思ふらん 心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の 聞きかなやまむ

 私が文部科學大臣大臣なら、小學校卒業までの教育目標を「和歌」が詠めるとします。今の教育では教養も情緒も育たない。

 この歌の意味はザクっといふと「あなた本氣なの?」です。噂を聞いただけで、あんな手紙をよこすなんて。まあ、かなり懐疑的と云ふこと。

 さあ、この先は、

☆疑い惱む明石の君
☆イケイケドンドンの明石入道
☆都に紫の上を残してゐるのに(思ひ出しながら)、明石の君との新しい戀ににじり寄る光源氏

の三つ巴の戰ひとなります(笑)。 つづく

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このページは、宝徳 健が2019年2月 3日 09:45に書いたブログ記事です。

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