2018年8月アーカイブ

KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 讀賣新聞がつまらなくなつてから(時々面白い)随分と經ちますが、日曜日の「よみほっと 日曜版」だけは毎週樂しく讀んでゐます。

 今日のも面白いな~。タイトル「ジャンボエビフライ 名古屋市」。

 私は、サラリーマン時代、名古屋には勤務で2年間居ましたし、獨立してからも、仕事で岐阜に10年間は(半滞在)しました。それでも、この記事のタイトルのやうに「えびふりゃ~」といふ言葉は聞いたことがありません。

 この「よみほっと 日曜版」を讀んで得心。
 初心を忘れた太宗に対する魏徴の諫言上申書の内容です(20100222)。
 光源氏が朧月夜のところに忍び込んでいつたとき、急に嵐が來て、心配した右大臣(朧月夜の父)がみにきました。そこには光源氏の男帯が落ちてゐました(20171013)。

右「なんだこれは」
 なぜ、いままでこの素晴らしい本と出逢はなかつたのだろうか?私の大好きな長谷川三千子先生です。
 すごい臺風でしたね。私の住んでゐる西宮市(南部:甲子園)は、めったに災害が起こりません。臺風なども「すごいな」と思ふ記憶が、ここに住んで二十年ですが、ありません。

 夜中のゴーゴーと云ふ音には恐怖差へ感じました。

 次の日は、朝から三重縣に行く豫定。動くかどうか心配でなりません。特に近鉄電車。朝早くからネットでチェック。
 今年の甲子園は素晴らし熱戰續きでした。レベルが髙いなあ。ひとつだけ。確かに金足農業髙校は強いし観ていて感動を覺へました。ただ、世間が惡ひ。マスゴミがどうしやうもない。

 敗者を必要以上に讃へるな。それだけ。勝者は大阪桐蔭です。

 閑話休題。「命の手紙」の記事の中で、父が朝日新聞にKANO髙校についてお願いしてゐます(私の父が朝日新聞にお願いするなど、天地がひっくりかえるほどの事件です)。先日の産經新聞にちやうどANO髙校の記事が載つてゐましたので紹介しておきます。
 前に勤めていた出光興産㈱の秘書室の方が、毎囘、出光美術館のチケットを送つてくださいます。出光美術館は、日本最大のコレクションです。

 八月十七日から 七十二候 立秋 末候 「蒙霧升降」です。 「ふかきりまとふ」と讀みます。

 森や水邊に白く深い霧がたちこめる頃です。朝夕のひんやりとした心地よい空氣の中に、深い霧が幻想的な風景をつくりだすことです今年は別として(笑)。

 魏徴の諫言がまだまだ続きます。貞観政要のクライマックスですね(20100221)。
 おもしろいですね~。いくら親父が熱く語っても、あの國賊朝日新聞がこんな意見を聞くはずがありまsん(爆笑)。だつて、日本がかつて、良い國だつたことを認めてしまふんですもの。まあ、それでも、かういふことをするのが、親父らしいですね~。
 
 さて、今囘から、

KANO1931海の向こうの甲子園

を親父が語ります。
 この記事から明日のルーティンです。

  光源氏と朧月夜が逢瀬を重ねてゐます。ある日、朧月夜は體調が惡くなつてしいまひました。それでも光源氏は、朧月夜のもとを訪ねます。その密會の最中、嵐が來ました。嵐がやんだところで、朧月夜の父、そして、光源氏の政敵 右大臣が朧月夜のところに來ます(20171003)。
 あれっ?昨日、この記事は書いてゐないや。

 私もサラリーマンの役職經驗者であることを冒頭に申し述べておきます。

 數か月前あるセミナーの講師をしました。私の他にも三人の講師がいました。

 それぞれのセミナーが終はつて、パネルディスカッションがありました。そこで、あらかた受講生からの質問が終はつたあとに、セミナー主催者からこんな質問がありました。

 「部下が思ふやうに動かないときはどうすればいいのです?」

 それぞれの講師がまあ、當たりさはりのない答えを。最後に私の番です。

 「部下が動かないのは、部下の席にではなく、上司の責任です。そこから話さないとこの質問は意味がありません。では、軍隊で、『部下が動かなかったから戰闘に敗けました』と云ひますか? リーダーとはいかなる状況でもチームを勝利に結びつける人間です」と。
 
 それ以來、この團體からは、セミナーのお誘いはありません(爆笑)。

嘘をつかない
言ひ譯をしない
人の責任にしない

 自衛隊の在り方です。民間人は甘いですね。

 だから、彼らは、安易に部下を褒めることはしません。これを私は最近忘れていたよな~。コンサルと云ふのは、クライアントの職場のリーダーにはなかなかなれません。なってはいけないシーンも多々あります。けれども、コンサルなりのリーダーシップの發揮の仕方はあります。これが、恐らく私のコンサルとしての最終局面になるのでせう。

 リーダーシップテキスト。創ります。

 さて、十七歳の寳德君はどうですかね? 繰り返しますが、書いてゐてとても恥づかしい。
(皇紀弐千六百七十五年九月十一日)→書いているのは九月十日。書いている内容は九月七日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

 關東では大變なことになつてゐます。被害に遭われた方々に御見舞ひ申し上げますと共に、亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。また、自衞隊員、警察、消防、海上保安官の自分の命も顧みない活動に敬意を表します。

 自衞隊員のリスクなどと、叫んでいる安全保守法案反對者は、なぜ、かういふときにもつと、彼らに對して敬意を拂はないのか。

 され、九月七日です。たくさんの方々がお見舞いに來てくださいました。あっ、さうだ。忘れてました。九月二日の入院の日にHYTさんも來てくださひました。申し訳ございません。この時に少彦神社の數珠をいただきました。少彦(すくなびこ)は、病氣を治す神様です。古事記にも出てきます。
 八月七日 入院三日目 手術二日目です。

 軆體が慣れない。これがすべてです。看護婦・師さんが優しい。「寳德さん、私のこと覺へてゐます?」と何人かが。さうです、昨年十一月に交通事故で入院したのと同じ病棟です。知ってゐる人がたくさん。

 午前中はまだ、排尿の管がついてゐたので、自分で歩くことが出来ません。午前中の遅い時間にとっていただけました。朝ごはんは食べったけなあ?

 午前中に、形成外科の先生が數人こられました。形成外科は、入院期間中毎日、午前中、若い先生が數人、午後から、大好きな美熟女(笑)I先生(と、時々もう1人)が來てくださいました。
 このブログで「再」といふ字がタイトルにあるのは過去の記事です。一時、壊れた時期もありましたが、平成十七年(2005年)から書き續けてゐるので過去記事をみなさんに紹介してゐます)。

 初心を忘れた太宗に対する魏徴の諫言が続きます(20100220)。
 今年九十一歳の父が、定期的に手紙を送っていきます。自分が生きた証を私たちに傳へやうと。それを私はこのブログに「遺して」ゐます。

 父が、朝日新聞に甲子園百囘大會への提言をしてゐます。あの朝日が聞くはずがない内容ですが、本当に「祖國」を愛してゐたら當然の内容です。 今日は、朝日新聞にに送った手紙です。次囘から、KANOの内容です。
 右大臣家の娘であり、東宮の後宮に入つてゐる女御でもある朧月夜との密會を再開した光源氏です。東宮(皇太子)つて、光源氏と藤壺の間に産まれた子だよね(笑)?(20170928)

 あるとき、朧月夜が體調を崩し、右大臣家に里帰りをしました。なんと、光源氏は、そこに足繁く通いはじめたのです。なんつう大胆な。
 この記事から明日のルーティンです。

 天皇陛下最後の敗戰屈辱日でした。私たちは、平成の御代に、陛下を英霊たちのところへお連れすることが出來ませんでした(靖国參拝)。これが國民としてどれだけ恥づかしいことかを自覺してゐる國民がどれだけゐるんだらふか?

國民主權:偉そうにこの言葉を叫ぶなら、きちんと國政に責任を持つ必要があります。本來の意味は、國家を轉覆してよい權利を國民は持ってゐるといふとんでもない意味です。我が國には、本來、權利・義務發想はありませんでした。邪教 日本國憲法「典」が無茶苦茶にしてくれました。

基本的人權:本來の意味は、「人を殺してもよい權利」です。みてください。平氣で人を殺す世の中になつてしまひました。

平和主義:自分だけ傷つかなければそれでいいといふ、國家破壊思想です。十四歳の女の子が不埒な國に拉致されても、國民に助ける意志もありません。國を護ってくれた英霊たちに對する敬慕の念もありません。

 他國では、普通「國」と自國を表現します。「國家」といふ表現は日本だけです。だから何千年も續いてゐるのです。陛下を中心とした家だつたのです。なのに、英霊たちのところに陛下をお連れすることもできない國民になりさがってしまひました。

 家で例へるなら、息子が死んだのに、親に墓參りに行くなといふことと同じことです。
(皇紀弐千六百七十五年九月十日)→書いているのは九月十日。書いている内容は九月六日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

 殘念~~~、昨日の術後カテーテル檢査結果がすこぶる良好なら今週中にでも退院できるかもと云ふ淡い望みがあつたのに~。先生の「もう少し様子を見ませうね」の一言で粉々に打ち砕かれました。まあ、正常に考へたらさうですね。入院10日、術後8日程度で、四枝の心臓バイパス手術が退院できるはずがありません(笑)。寳德、お前は醫者じゃない!勝手に決めるなつうの。まう少し、美しい看護婦さんたちを樂しみますか。この病院の看護婦さんたちはみんな笑顔が素敵です。若い頃なら惚れていたかも。昨日は、カテーテルを午前中にやつたので、昼食の時は寢たきりになりました。ご飯を食べることができません。どうしやうかなあ、と思つてゐたら、看護婦さんが、茶碗のご飯をおにぎりにし、手渡してくれ、おかずは、食べさせてくれました。人生で、母以外の女性にご飯を食べさせてもらふのは二人目です。こっぱずかしいことこの上ありません。最初「いや、自分で食べますから」と言ったら、「いいから早く食べて。忙しいんだから(笑)」と云はれました。

 それにしても、カテーテル檢査はしんどい。足から入れるときのあの違和感。終はつた後、4時間~5時間にわたり、足を縛られ同じ姿勢を維持しながら寢るときの苦痛。その後のほぼ一日にわたる點滴。でも、しかたがないですね。病氣は必然です。自分が生きてきた結果さうなつてゐます。受け容れるしかない。

 さて、九月六日です(昨日は三日と書いてしまひました)。CCUから一般病棟に移ります。

CCU:coronary care unit:冠動脈疾患(狭心症、心筋梗塞)を管理する集中治療室のこと
HCU:
high care unit:高度治療室。ICU(集中治療室)と一般病棟の中間に位置する病棟で、ICUよりもやや重篤度の低い患者を受け入れる治療施設
 手術が終はりました。私は、全軆麻酔をうけてゐマスから、何も覺へてゐません。あとで、かみさんに聞いたら、まず、形成外科のI先生が手術の説明にいらしたさうです。かなりの美熟女。大ファンです(笑)。腕も一流。事故後のあのひどい私の顔を治したのはこの方です。性格も難波のおばちゃん(I先生、失礼)らしくサバサバしてゐます(笑)。

 手術は成功とのこと。

 後は口腔外科。
 唐の太宗が行った理想の政治とされる「貞観政要」を紹介しています。徳川家康、北条政子も読んだといわれています(20100219)。

 初心を忘れた太宗に対する魏徴の命がけの諫言が続きます。
 お願いだから

ありがとございました
おめでとございました

間違った日本語をやめませう。

 お禮を言ってゐるのが過去の出來事でも、お禮を言ってゐるのは「今」だから、「ありがとうございます」です。
 祝ってゐるのが過去のことでも、「今」祝つてゐるので「おめでとうございます」です。

 言霊の幸はふ國 日本。美しい言葉を交換するからみんなが幸せになる國です。
 また今年も來ました。この日が近づくと、「戰爭の記憶といひます」「なんか、あの戰爭が政府の責任のやうな表現が横行します」。はだしのゲンなど、まさにさうですね。メディアがまたあの漫画を持ち上げています。

 敗戰の責任は政府の責任です。戰爭の責任と敗戰の責任は全く違ひます。どうちがうか。では、みなさんの大好きな「國民主權」はどうなるのですか?あなたたちが、選んだ人が、戰爭をして負けたのでせう?だとしたら國民の責任です。なのに、あの大東亞戰爭(お願いだから太平洋戰爭といはないでください。そんな名称はありませんでした。それこそ歴史修正主義です)の敗戰に對して最も責任がある近衛文麿と山本五十六を美化してゐます。信じられません。

 元々觀ないTVをこの時期はさらに觀なくなります。

 昭和天皇は、終戰の詔勅で「敗けた」なんて仰ってゐません。アメリカに對して「このバカヤロー」と仰ってゐます。ただし、ここで一旦引いておかないと民族が滅ぶから「耐へたがきを耐へ、忍び難きを忍び」と仰ってゐます。毎年、ブログに掲載してゐます。終戰の詔勅です。

 安岡正篤先生が、この詔勅の一部は政府の人間が勝手に書き替えたとある本で仰ってゐます。でも、陛下のお言葉です。眼光紙背に徹せよ。日本人。そろそろ目を覺ませ。日本人。アカに騙されるな日本人。
 
 繰り返し繰り返し讀めば意味は分かります。日本人であれば。
 今の教育に欠けてゐるのもののひとつに「教養」があります。今の日本で俗に云はれてゐるエリートは、ただ知識と金と地位がある人のことを言つてゐるだけです。本来のエリートではありません(20170927)。

 明治時代となり、洋行がブームとなりました。ほんの少し歐米に行つただけで歸つてきたら偉さうにする奴らがいました。そいつらが作つたのが東大法學部です。そして、官僚を作り、昭和になつてから、その官僚たちが國家を破壊しました。軍もしかり。官立教育はせいぜい義務教育までで充分です。

 明治初期の男たちは、武士でした。彼らは國家を常に頭においてゐました。そしてその男たちを支える女性たちの婦道。どんな仕事についていても、どんなに収入があつても、「天下國家」を考へてゐない連中はリーダーとは呼べません。

 逆に、たとえば(表現は惡いですが)道端のごみを拾つて生計を立てていても、天下國家のためにやつてゐれば、その人はリーダーです。眞のエリートです。

 「教養」と「リーダーシップ」が今の教育で圧倒的に抜けてゐるものです。

 古典は、教養を磨くのに最適な教材です。ひさしぶりの源氏物語です。

 藤壺が突然、「出家します」と云ひだしたところまででした
 この記事から明日のルーティンです。
 
 新しい父からの手紙です。まだまだ、このブログで紹介するの手紙はたくあります。追いつきません。

 軆體(しんたい)髪膚(はつぷ)これを父母に受く、あへて毀傷(きしょう)せざあるは考の始めなり。

 支那の古典孝經の言葉です。「親からもらつた軆體だから、それを傷つけないのが親孝行のスタートである」です。

 だから、女性がピアスをしたりするのは人間の生きる道にはずれてゐます。

 なんて・・・・。私はなんでせうか。手術だらけ。親不孝にもほどがあります。妹から聞きました。交通事故に遭った時、父は、日に何度となく佛壇に向かって、母に、「健を助けてくれ」と禱つてゐたさうです。

 親だけではありません。家族にもクライアントにも・・・。遭遇したことに對して、得たことを返さなくてはなりません。

 特に、かみさんですね。私の後半戰は、彼女を幸せにすることに集中します。私は、結婚してからまだ彼女を幸せにしてゐない。

 さて、父の新しい手紙。タイムリーな話題です。 この話をわかる日本人を創る教育が必要です。日本史の中に、朝鮮・台湾が日本だった歴史がない。満洲も。おかしいですよね。


 今日は、もうひとつだけ。

 NHKが、「ノモンハン事件」の番組をやるさうです。それも我が國の敗北として。

 冗談ではありません。自虐觀歴史です。ソ連崩壊後、秘密資料が溢れるやうに出てきて、あれはソ連側の大敗といふ事實がもう何十年前に明らかになつてゐます。

 それを待たなくてもノモンハンが我が國の圧勝であつたことなど、すでに明らかでした。ソ連(ロシア)は負ける喧嘩は絶對にしません。我が國の敗戰がかなり明確になつたときでも、スターリンはビビッて我が國を責めることが出来ませんでした。
 參年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌です。

(皇紀弐千六百七十五年九月九日)

 それにしても惡意と欺瞞に満ちた報道が目立ちます(20150909)。

 自民黨総裁選行はれなかつたのが安倍陣営の責任だと云はんばかりです。冗談じゃない。総裁選を箏點にしたのは野田聖子です。総裁選を箏點にするのではなく、政策が筝點のはずです。彼女はどの政策を箏點としたのか??? それをメディアは報道しません。

 消費税輕減税率が報道されてゐます。これも本末轉倒まずは、もう消費税が上がると云ふことが前提となつてゐます。まだ、我が國に消費税増税は不必要です。メディアが財務省にパラサイトしてゐる報道です。それに、輕減税率つてなんだい。なら、間接税である消費税なんか導入するなよ。論點はここです。輕減税率を導入するような間接税は不要だと論じるべき。輕減税率の中身をうんぬん云ふやうな議論は全く無駄であると云ふことです。

 さて、九月五日の闘病日誌です。入院四日目、手術の次の日です。あっ、さうだ。昨日のお見舞いは三人の方にいらしていただきました。IWさんも久しぶりに會へました。感謝合掌。
 手術前5分の大事件からでした。

 病室から手術室に歩いていきました。看護師さんに付き添はれて。

 手術室の入り口には、手術看護婦さんが4人いました。看護婦さんは、「手術看護婦」「檢査看護婦」「病棟看護婦」「外來看護部」「ICU看護婦」などに分かれます。手術看護婦は別名「オペカン」です。

 看護婦基準と云ふのがあります。15對1とか10對1とか7對1とかです。7對1といふのは、患者七人に對して看護婦1人(平均)です。夜間、昼間があったり、ICU看護婦は、2對1ですから、7對1など本當に實現が大變です。でも、國からの報酬が格段に違ふのです。

 閑話休題。その4人のオペカンさんが「寳德さん、本日は、寳德さんは何の手術をされますか?」と聞きました。これは正しい手順で、しょっちゅう聞かれます。手術だけではなく、點滴、藥を渡すときなどなど。間違ひがないやうにと、本人が自覺してゐるかどうかを確認するためです。

 私は答へました。「はい、顎のプレートを外す手術と、腰骨を採って歯茎に移植する手術です」。

 看護婦さんたちが「えっ?」と驚きの顔をしました。
 唐の太宗が行った理想の政治といわれる貞観の治を書いた「貞観政要」を紹介しています。經營にもまったく当てはまりますね(20100216)。

 初心を忘れた太宗に対する魏徴の諫言が続きます。 
 藤壺が苦しくなったのは光源氏に對する思ひがかなへられないからです。このあたりのことは源氏物語でご確認ください。現代人からすれば「なんだい」といふやうなことが書かれてゐます(20170822)。

逢ふことの かたきを今日に かぎらずば いまいく世かを 嘆きつつ経ん
 この記事から明日のルーティンです。明日退院です。今囘の入院は本當にいろいろと考へました。無理が利くから無理矢理動いてゐた今まで。慾ばりまみれの無理があるルーティンと期日がだから設定されます。

 そして、ルーティンにしても幹のルーティンをしていれば必然として出てくる枝のルーティンがあります。運用で檢討すればいい枝のルーティンを幹のルーティンと同等にあつかっていました。無理が利いたから無理矢理。ルーティンは幹だけでいい。枝のルーティンは、スケジューリングといふ運用でやればいことです。スケジューリングの考え方もただやることを羅列するのではなく、何を目的にするかなど、わかり切ったことを・・・・。とてもよい入院でした。

 IK社長に、このことを連絡したら「必然ですね」と(上記のように詳しくは連絡していませんが)。まさに必然です。入院してよかつた。天が、このことをしらしめるために交通事故に遭はせたのですね。

 もし、心臓病がなかったら、もし、交通事故が無かったら・・・。もし心臓病の手術と入院がなかったら、私はもう生きていなかったでせう。過信し、暴飲病食をし、無茶をして・・・・。もし、交通事故が無かったら、私のこの先の人生はなかったでせう。特に今囘は、治療手術では無く、機能囘復手術です。軆體が樂な分、かうやつて考へることがたくさんできました。感謝合掌。

 論語に、「七十にして心の慾つするところに從へども矩(のり)を踰(こ)へず(でしたよね(笑))」があります。思った通りに行動しても間違へなくなる、と云ふ意味です。きちんと準備しないと。この十年で。

 「部下が動かない」「あいつの能力がないから計画を達成しなかった」などといふリーダーがゐます。違ひますね。さて、これをリーダーシップテキストして、コンセプトワークやキャリアアップに結び付けられるか。それも入り口を低くしながら奥へ奥へと導けるものへ(中小零細企業としても十分活用できるものとして)。具體的に。習慣が變はるやうに。結果として習律に結び付くやうに。出來るかどうかではないですね。

 さて、十七歳の私です。足を怪我してゐます。レーバーとはロッド・レーバーです。偉大なるオーストラリアのテニスプレイヤーです。當時のテニス王國は、オーストラリアでした。ロッド・レーバー、ケン・ローズウォール、ジョン・ニューカム・・・。枚挙に暇がありません。その中でもロッド・レーバーは、グランドスラムを2囘も成し遂げた人です。グランドスラムとは、四大大會 全豪・全佛・全米・全英タイトルを1年間ですべて獲得することです。
 參年前の心臓病の時の闘病日誌です。

(皇紀弐千六百七十五年九月八日)

  この岐阜ハートセンターと云ふのはたいした病院です。いごこちがとてもよい。昨日、ある會社でコンサルを一緒にしてゐる方がお見舞いに來てくれました。「寶德先生、ここはすごいね。まるで接客業だね」と一瞬で見ぬいてゐました。

 技術的にもすごい。六時間に及ぶ心臓バイパス手術を、輸血なしで行います。それだけではなく、手術の次の日の昼から点滴がありません。手術の麻酔から覺めて、まだ意識がもうろうとしてゐるとき、医師と看護師の會話が耳に入りました。「先生、この後、点滴にはどの薬を入れたらいいですか?」「何時まで〇〇」「それ以降、▲▲などは?」「そんな藥が必要な手術はしていない」。

 では、いよいよ九月四日の手術日の闘病日誌です。
 醫療機關(だけではないですが)は、正しい日本語を使ってほしい。一番あるのが
「宝徳さん、〇〇先生がいらしていますので、処置室まで来てください」「〇〇教授がいらっしゃっています。教授囘診です。〇〇室まで来てください」「すみません、〇〇先生が遅れていらっしゃいますので少しお待ちください」

 そのたびに注意をします。「あのね、『患者の前で先生といはないの。医師の〇〇が参っておりますので、ご足労ですが処置室までお出ましいただけますか?(サービス業では相手を動かすときには質問系で尋ねる)』といふのが正しい日本語。いくらお勉強が出来て醫者になつても、こんな基本が出来ていないとだめだよ」「『教授の〇〇が参っております。ご足労ですが〇〇室までお出ましいただけますか?』と、正しい日本語を使ってもらえますか?」「大変申し訳ございません。醫師の〇〇が遅れて到着する模様です。もう少々お待ちいただけますでしょうか?」

 それと、「全然大丈夫」と「ら」抜き言葉。「寳德さんは、大丈夫?(醫者)」「全然大丈夫です(看護婦)」。「全然」の後には否定形がきます。だから聞いていて「全然」と聞くと、「えっ、惡いのかな」と思ひ、つぎに「大丈夫」と聞くと、なんだい一體。となります。「ら」抜き言葉は論外です。「寳德さん、これ、見れます?」 答える氣にもなりません。


 さて、八月五日午前中に入院しました。前の晩、かみさんと一緒に揃へた入院手続の書類をチェックして、担當看護婦さんに渡しました。これも酷なんですね、本當は。普通なら入院手続は別の部署でしますが、この日は日曜日です。書類は入院承諾書、手術承諾書などです。

 これが後で大變な事件につながります。
 昨年から、軍事研究をしてゐます。「軍事」といふ言葉を聞くだけで嫌惡感を覺へる人がたくさんいますが、大いなる間違いです。江戸幕府が軍事政權でなかったら、明治維新はありませんでした。戰國時代が軍事政權でなかったら、我が國は歐州に征服されてゐました。問題は運用なのです。それを規定するのが、憲法です(憲法典ではない。今日は、憲法典の解説はやめます)。

 そんなところまで話さなくても、軍事研究をしてゐると、「これは、民間は甘すぎるな。今の自分も甘すぎるな」と思うことしきりです。つまり、私たちの生き方では、

戰場では確實に死ぬ
といふことです。自分だけならまだいいです。

確實に部下を殺してしまふ

のです。私達民間人には秩序がない。それでいて權利を主張するばかりでワーワー騒いでゐる。やくざの盃秩序の方が私達民間人よりまだましです。なのに、暴対法のやうにやくざばかり取り締まる法律ができます。

自衛隊ではかう云ひます。
魅力あるリーダーは安定感がある→ないリーダーは感情的になる
魅力あるリーダーは部下の話を聞く→ないリーダーは意見をかぶせる
魅力あるリーダーは部下に共感を求める→ないリーダーは同調を求める
魅力あるリーダーは意見を求める→ないリーダーは聞き流す
魅力あるリーダーは腹をくくる→ないリーダーは言い訳を考える
魅力あるリーダーは丸くおさめる→ないリーダーは自分が勝とうとする
魅力あるリーダーは部下を休ませる→ないリーダーは部下をこき使う
魅力あるリーダーは権威を振りかざさない→ないリーダーは勘違いする
魅力あるリーダーは自省する→ないリーダーは肩書を気にする
魅力あるリーダーは投資をする→ないリーダーは浪費をする
魅力あるリーダーはブレない→ないリーダーはブレる

 う~、耳に痛いですね。十七歳の私、六十二歳の父は、これらができてゐます。今の私はこれをもう一度創らないと。コンサルが企業の中でリーダーとなる難しさはありますが、いつの間にかそればなされているといふ觀點では、ほんもののリーダーになれるのかもしれません。といふか、獨立したての私はそうしてゐました。

善く戰ふ者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず、故に能(よ)く人を択びて勢に任ぜしむ(孫子)
(性格や能力に関係なく、そに人の能力を最大限に引き出し、かつ引き出せる体制を整えるのがリダーだ)

 さあ、十七歳の私です。昭和五十一年です。
 唐の太宗が行った理想の政治といわれる貞観の治のことを書いた「貞観政要」を紹介しています(20100214)。

 太宗が初心を忘れて我がままになりました。魏徴がそれを諌める上申をしています。
 入院してゐるのでいつもよりはTVをよく觀ます。でも、バラエティとかワイドショー(今でもかう云ふの?)を觀てゐると、話してゐる言葉がわかりません。彼らは日本人なのだらうか? これは、半年ぐらいずつとTVを觀ないと理解不能でせう。日本語の亂れ、これが我が國をダメにしてゐるといふことがわかっていない人が多い。「今はこれが普通なの」「言葉が進化してゐるの」と云はれますが、

異常なマジョリティを普通といふ

ことが世の中を壊してゐることを知りませう。

 昨日は、スポーツの番組が多かったですね。樂しい。

 特に水泳がすごい。私たちの若いころのことは昨日も書きましたが、タイムもそうです。男子百メートル自由形(いまではフリーと云ふ名前)は、1分の壁と云はれてゐました。それが、いまでは女子のバタフライでも1分を切ります。
 桐壺院がおかくれになつて、宮中の勢力圖がすつかりかはつてしまひました(20170817)。

 藤壺は弱い立場に陥ります。自分のことより、東宮を案じます。この件で光源氏に相談したいのですが、光源氏が思ひを寄せてくるので厄介です。
(皇紀弐千六百七十六年九月六日)

 無事生還しました。まだ肩が痛いや。このブログを畫くのがやつとです。さて、九月三日から振り返つてみます。

 九月三日は檢査は何もないと云はれてゐました。手術の日から六日までは集中治療室に居るので、本當に必要最低限のものしか持ち込めません。ああ、肩が痛い。

 なので、この日も何も持つてゐません。本もパソコンも。一般病棟へ移った後に使ふものは、ある人に賴んで、移つた日に持つて來てもらてふ手筈になつてゐます。ああ、肩が痛い。ブログを書くのもよいリハビリになります。

 なので、後で棄ててもいい、ナンプレの本を賈つて一日中やつてゐました。大分上達しました。

 ナンプレをやつてゐると、若い職員が「手術前リハビリをしませう」とやつてきました。とてもよい人なんですが、言葉の使ひ方がへたくそです。「全然大丈夫です」「ちゃんと見れます?」や時々ため口にはります。ああ~、勿体なあいなあ。常々考へてゐたのですが、醫療機關は、「優秀な技術」が必要な故に「優秀な人材」を求める傾向が強すぎます。もし醫療機關が「德のある人物」を求めたなら(技術は當たり前)、醫療の在り方は大きく變はるでせう。一部にはさういふ方もいらっしゃいますが、お醫者さんにそれを求めるには、少ししんどいかな。この言葉の使ひ方は、リハビリの人だけではありません。全體的にさうです。

 斷つておきますが、私は、岐阜ハートセンターと云ふ今囘の病院は、大いに絶賛します。素晴らしい醫療機關です。だから、「ああ、もったいないなあ」と思ふだけです。

 リハビリの説明が終はつて、再び病室へ。ナンプレをやつてゐると、16時半ガミさんが來る。いつもの通り喧嘩。

 喧嘩をしてゐると、手術看護婦さんが説明に來られました。「いよいよ、明日は手術ですね。緊張しますか?」。この質問は、病棟看護婦さんからも受けました。「????(緊張しなければいけないの?) いいえ、特に・・・」。ここまで來てジタバタしても仕方がありません。
 
 それにしても説明がうまい。

 説明が終わり、ガミさんもホテルに行きました。

 さあ、明日(九月四日)は、いよいよ手術です。つづく
 △‐1階に行きました。また、なんとかはいらしい看護婦さんの素敵な笑顔に迎えられました。少し、安心。患者は、始終接してくれる看護婦さんの笑顔に安心します。特に手術のとき、医師は手術のシミュレーションを頭でしてゐるので眞劍な顔をします。その時に、看護婦さんまでが深刻な顔をしてゐたら患者はとても不安になります。

 不満とは、今に感じること。不安とは將來に感じることです。「この手術大丈夫なのかなあ。自分はきちんと治るのかなあ」といふ將來の不安を感じさせてはいけません。麻酔から會話からなにもかもが不満になります。この時看護婦さんがニコっと笑ひかけてくれたら、どれだけ患者は安心するでせう。

 さて、入院に必要な書類をすべて渡しました。同意書も。これが次の日にえらいことになります。

 點滴。私は、これまで何度も点滴をしてゐます。なのに、今囘は、看護婦さんが私の點滴ポイントを見つけられず、3つ以上腕に穴があいてしまひました。點滴がなかなかできない。これは「不満」です。

 そして、「ゲンが惡いなあ。明日の手術は何かあるんではないだらうか」これが不安になります。

 さあ、次に日(手術日)です。 つづく
 私の短所は、まだイメージが確立されてゐないのに目標を課題に設定してしまふことと、行動目標をよくばって設定することです。よくばりなんです。良く云ふと好奇心旺盛。惡く云ふと馬鹿です。だから、昨日言った、以下のことが出来にくくなる。

足し算:同時に複数の仕事をする
引き算:不必要なことをやめる

 まだ體力があった頃ならそれでもいい(氣力は戻ってきました)。五十代前半までは、ニ、三日徹夜してもなんともありませんでした。だから、マインド・フルネスをしつかりとやつて、出来ることを確実に定め、100%やるといふパーソナル・エンパワーメントが必要です。

 逆に長所は、「まだ起こってゐない目の前の出來事には『悩まない』」です。リスクマネジメントが専門ですから、リスクは想定します。しかし、そこに必要以上に惱むと仕事が矮小になります。

「惱みは何も生み出さない。思考は次の一手を生み出す」

 これを樂觀力と云ひます。

 さて、今囘のの十七歳はどうかなあ? 矢住さんがまた來てくださってゐます。當時、矢住さんは醫學生。醫學生でインカレ選手もすごいですね。冬休みで帰省中です。
 今日から七十二候 立秋 次候 「寒蟬鳴」です。「ひぐらしなく」と讀みます。

 蟬は、六月下旬ごろから九月にかけて鳴きます。ツクツクボウシです。ツクツクボウシの泣き方は大好きです。何か哀愁がただよってゐます。秋の氣配だからですかね。

 「うつせみ」とも讀みますよね。源氏物語は五十四帖(ゴジュウシヂヤウ ゴジュウシジョウ)ありますが、その三帖が「空蟬」です。 物語が、巻物に書かれたものが「巻」、本みたいに書かれたものが「帖」です。

空蟬の 軆をかへてける 木(こ)のもとに なほ人がらの なつかしきかな
(蟬が殻を脱ぎ捨てるやうに小袖だけを遺したあなた。それでもやはり人柄を懐かしく感じる)

 光源氏はなかなか空蟬に逢ふことができません。空蟬の仕打ちを憎らしいとは思ふもののそれでも戀しい氣持ちはやみません。光源氏は、子分(確か空蟬の弟?)を介して空蟬に合ふ画策をします。旦那が紀伊の守に任ぜられ紀伊に出かけて屋敷が女ばかりのときを狙ひました。

 屋敷に忍び込んだ光源氏は、空蟬と侍女が碁を打ってゐるところをみていました。

 實は、光源氏のことを憎からず思ってゐる、空蟬は、光源氏のことを考へながら夜、寝てゐました。すると、人の氣配が。「源氏の君だ」と思つた空蟬は、その場から身を移します。そこに残ったのは一緒に寝ていた侍女です。光源氏は間違えて抱いてしまつたのです。

 空蝉が、逃げるときに残した小袖だけを光源氏は持ち帰ります(がっかりしながら)。そして、前述の和歌を送りますが、返歌はありませんでした・・・・・。
 唐の太宗が行った理想の政治とされる貞観の治をまとめた「貞観政要」を紹介しています(20100213)。

 初心を忘れてしまった太宗に対して、魏徴が命がけの上申をします。その続きです。
 この手紙(まだまだたくさんあるのでご安心を)の最終囘です。
 昭和六十年でしたよね?御巣鷹山の事件は。

 テニス驚異の上達法S.jpg
 「福井プロと阪本九のテニス驚異の上達法」といふ本があります。當時の我が國トッププロが坂本九ちゃんにテニスと教えてゐるといふストーリーの本です。世界文化社から出て、三萬部賣れました。この本、中古市場でまだ賣つてゐるのですね。三千圓ぐらいで。へ~。

 この本の製作スタッフの一人が私です。私のテニスをしてゐる写真もニ十ページぐらい載ってゐます。大學三年生二十三歳の時です。幼いころから九ちゃんの大ファンだった私は、この話が決まったときに狂喜亂舞(笑)。
 
この世をば わが世とぞ思ふ  望月の  かけたることも なしと思へば

 云はずと知れた藤原道長の歌です。源氏物語が書かれた當時、權勢を極めました。この藤原道長を皮肉ったのが源氏物語とも云はれてゐます(20170808)。

 さて、桐壺院がお隠れ遊ばしてから、宮中の勢力図ががらりと變はりました。
 水泳面白いですね~。池江璃花子のかわいいこと。もう大ファンです。おっちゃん目がハート💛(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 日本語もきれい。あの⤴、だから~⤴といふおぞましい醜い日本語も使ひません。「ら」抜き言葉も使ひません。ちゃんとした日本人です。


 それにしても日本はスゴイ。私たちの若いころ、日本の水泳は弱かつた。「昔はフルハシヒロノシンといふ人がいて、日本の水泳は世界一だったんだ」と父から聞いてもピンときませんでした。自國が強いのは云ひですね。

 SWDさんから本を紹介していただきました。
 初心を忘れた太宗に対する魏徴の上申書の続きです。この後も何回か続きます(20100212)。
 この記事を書きながら、だんだん、「數年前の自分が十七歳の寳德だったらどこまでできたのだらうか」「今の俺にかけていることが復活したら(體力面は除く)、今の俺の仕事はどこまで變化するだろうか。クライアントの不安と不満の解消が出來るだらうか」と考へるやうになりました。

 物事をやっていくと、また、人と付き合っていくと、どうしても「不満」が出てきます。それは仕方がないことです。例へば、給料。もっと欲しいといふ不満を持つことは當たりまえです。でも、社員は、そのために辞めたりすることはありません。「今の給料が續いたら、この先オレはどんな人生を歩めるんだらう?」といふ「將來の不安」を感じることになります。

 マネジメントは、「將來の不安を解消」することに努めることが大切です。これが出來れば、現在の不満が消えます(完全には無理だが)。

 コンサルタントとクライアントの間にも當然「不満」は生まれます。でも、「信頼していればここまでは出來るだらう」といふクライアントの「將來の不安」が少なくなれば、クライアントは安心します。ただ、心臓病、事故後の自分は、どうしても動きが鈍くなり、この將來の不安をクライアントに與へてしまつてゐます(現時点では)。

 この入院は良かつた。そこを熟考(cosideration)することができました。退院まであと2~3日、その後自宅療養を5日ぐらいしますので、この思考を鍛えます。


 この不安の解消に、パーソナル・インパワーメント(具體策)としての「任務分析」。いけそうでせうね。

 出光興産が(時期を忘れましたが平成2年か3年)週休二日になりました(ずいぶん遅かったですが)。その時私は考えました。つまり、月に4日~5日休日が増える。4÷30=0.1333333・・・・、5÷30=0.666666・・・。 つまり、俺たちの自分たちの生産性が20%向上させないと、會社は、損をするぢやないか! 必死になって、自分の生産性を20%(實は、20%では面白くない25%だと)向上させる方法を考へました。

 人間すぐに突飛なことはできません。何をやったか。足し算と引き算です。

足し算:同時に複数の仕事をする
引き算:不必要なことをやめる

でした。それと朝7時に會社に行くことにしました。朝の會社は、電話は鳴りません。うるさい(失礼)上司もゐません。頭はすつきりしてゐます。昼間の三倍ぐらい生産性が向上します。

朝を制する者は仕事を(事業を)制す

 それと、中間管理職の一歩手前でしたので、部下へのリーダーシップと上司へのフォロワーシップを強化しました。

 こんなことを考へて實行する力があったのですね。十七歳の自分に、六十二歳當時の親父に教えられてゐると、どんどんそんなことが蘇ってきています。クライアントのためにプログラム化していきます。できそうです。

 さて、十七歳(昭和五十一年)の私を觀ませう。OBの矢住先輩が來られて、試合をしてゐます。矢住先輩は、インターハイ、インカレにも出場した名選手です。この頃は醫大に行っていらっしゃいました。この頃から「今年の1年は強いぞ」と、OBの方々が續々と練習をつけに來てくれるやうになりました。これが私たちの實力が飛躍的に伸びた大きな要因です。柳川商業の選手よりも強い人たちと仕合ができるのです。

 矢住さんと、お名前を失念しましたが、全日本(オールジャパン)第二シードにもなったことがある先輩が、OB會で、試合をされました。「おい、矢住、ワンセット行くか」「いいですね」で。

 「こんなテニスがあるのか」と思ひました。當時は、TV放映はありません。VTRなども觀ることはできません。世界トッププレイヤーのテニスを動画で知る術がない時代でした。全日本クラスの試合でもすごいな~と思ひました。今の人たちは幸せですね。テニスマガジンやスマッシュといふ専門誌に載つてゐる、名プレイヤーに連續寫眞を切り取って、ばらばらにして、もう一度並び替えてフォームを研究したりしてゐました。

 矢住先輩とは未だに年賀状のやり取りがあります。
 桐壺院亡きあとの朧月夜の話からでしたね。帝は朱雀帝。その朱雀帝の寵愛を受けた朧月夜は、尚侍(ないしのかみ)になりました。尚侍とは、後宮の一つ尚侍司(ないしのつかさ)の長官で、帝のそばに仕へる立場です(20170807)。
 阪神淡路大震災時の賣掛金囘収の話です。
入院中でも懲りない男(皇紀弐千六百七十五年九月三日)

 今日の午後から、一切連絡が取れなくなります。豫定では六日夕方に集中治療室から一般病棟に移ります。その後はまた連絡が取れます。

 自分への戒めのためこの闘病日誌を書きます。もう、こんなことはあってはならない。いろいろな方々に迷惑をかけてしまひます。次は、七日の朝ね。
 今囘の記事は、自分の今のコンサルの仕方を猛省する意味でもあります。テーマは、

不満と不安

です。

 テニスの四魂 最期の CONは「Consideration」です。つまり熟考です。私は、四魂の中でこれが一番好きでした。

 いくら強くても、いくら強いショットを打てても、まずはきちんと自分を知らないと絶對に勝てないといふことです。心理學の論理療法で云ふところの「マインド・フルネス(自分の立ち位置を知る)」です。その上で、相手のことも知りながらまた、ゲームの流れの中で作戰を立てていく「パーソナル・インパワーメント(具体的行動)」です。どんなに具体策を講じてもマインド・フルネスに基づかない具体策は意味がありません。

 目的と目標を持って戰ふといふ任務分析でもあります。これができていないんだよなあ。最近。この入院で振り返ることがたくさんあります。これも入院中に書きますね。まさにマインドフルネスです。

 松岡修造さんが面白い本を出してゐます。


 彼らしく、輕いタッチなので文章も讀みやすいですしスケートの羽生選手、ジャンプの高梨選手など一流選手がたくさん出てきて、「弱さを出すことの重要性」を説いてゐます。まさにこれがマインド・フルネスですね。

 これも何度も書きました。私は三十歳の時にある事件から自己改造をせざるを得ませんでした。苦しくて苦しくて、いろいろなことをしました。ある時、坐禅に行きました。坐禅が終わって和尚さんの説教があります。説教が終はつたとき、生意気な私は云ひました。

 「和尚さんは、偉そうに仰ってますが、ご自分はそれが出来ていらっしゃるのですか?」

 生意気ですね~。今、こいつが目の前にいたらぶっ飛ばします(笑)。

 和尚さんは素敵な最高の笑顔で答えてくれました。

「いいえ」

「では、なぜ私たちにそのようなお話をされるのですか?」
 
 もっと素敵な笑顔で

「自分の小ささを知るためです」

 その瞬間、私の目か鱗が何百万枚も落ちました。「そうか、今まで、自分を大きく見せよう、大きく見せようとしていた。小ささを知ればいいんだ」。マインド・フルネスです。それから人に本当に優しくできるやうになりました。人と接するのが樂になりました。あまり物事が怖くなくなりました。

 さて、そんなことを知らない、えらそうな、十七歳の私はどうでせうか(笑)? 少しずつ、「間合い」が分かってきています。もちろん当時はそんな言葉を知る由もありません。
 父の六十二歳の時の話です。つづきです。今囘は平穏な内容です。次囘がまたすごい。
 指導者の理想の政治として徳川家康も北条政子も読んだといわれる、唐の太宗の政治「貞観の治」を紹介した、貞観政要を掲載しています(20100208)。

 唐の太宗の治世は二十四年とそんなに長くありません。でも、トップの座についたときは、だれでもそれなりの緊張感を覚え、やる気を出して仕事に取り組みます。でも、時を経るにしたがい、気持ちが緩んでいきます。太宗もそうだったみたいです。
 側近の魏徴がそれを戒めます。今日のテーマは「初心、忘るべからず」です。
 この時期になると、TVを觀るのが嫌になります(もともと嫌だが(笑))。さも、英霊たちが自らの命をささげて護りぬいてくれたかの大戰 を 我が國が惡のやうに云ふ番組が。そして、「戰爭の記憶」と云ひます。「敗戰の記憶」の間違ひです。「終戦記念日」と云ひます。戰爭に敗けて、記念することなど・・・・。「敗戰恥辱日」です(20170805)。

日本國憲法の三本柱
國民主權:國家と轉覆していい權利
基本的人權:人を殺していい權利
平和主義:自分さへ平和なら人のことはどうでもよい權利 だから、十四歳の女の子が攫われても、助ける氣も國民にありません。

 この愚かなる、憲法といふ名の文章でしかない 邪教日本國憲法を「改正しやう」と安倍さんが云つた瞬間から、メディアによる安倍つぶしのすさまじいこと。それに騙される國民の愚かなこと。ミサイルがバンバン飛んでくるのに、國家安全保障を議論しろと云ふ聲さへでない、國民の愚かさ。メディアの愚かさ、國會の愚かさ。 

 間違つた日本語を容認する國民の愚かさ。 占領軍(GHQ)の政策が今、實のつてきてゐます。

 さあ、氣を取り直して、源氏物語の續きです。桐壺院がおかくれになつたところまででした。この邊から、光源氏の運命が狂ひはじめます。
 何もないと思ったら今日も、檢診と檢査。でも、とても順調です。醫者もびっくり。15時の檢査が終はつたら仕事をします。

 こんなに軆體が樂なのは初めてです(痛いですが(笑))。神樣が休みをくれたのかなあ。

有事に自衛隊に豫算を
 さて、災害時に自衛隊が活躍します。でも國民は、「自衛隊さん、ありがとう」ともうひとつ彼らのために云はなければならないことがあります。
 テニスの四魂 參番目の CONは「Confidence」です。マラソンの小出監督の本を讀んだことがあります。高橋尚子選手について。人一番熱心だから自分自身に絶對の自信を持ってゐると。

 松井秀喜さんもそうですね。不動心といふ本で「努力できることが才能である」と。

 私はこの二人と比べる資格もありませんが、髙校時代は、練習をしてもしても「まだ足りない、まだ足りない」と思ってゐました。「どんなに練習で苦しくても試合で負ける辛さに比べたらました」と。

 「ずいぶん練習したなあ(努力したなあ)」といふのは、自信ではなくうぬぼれなんでせうね。本当の自信とは「まだ足りないまだ足りない」と自分を鍛えて初めて築かれるのでせう。

 そんなことにすこしずつ気づき始めた十七歳でした。これに比べると今の私の甘いこと。許されませんね。
 今年九十一歳になる父が退職後の再就職で大暴れした時のことを書いてゐます(父から送ってくる手紙です)。父が六十二歳の時のことです。つづきです。
 六条御息所は、斎宮になつた娘について伊勢へ行くことになりました(20170715)。

光「ああ、残念、しかしまたいつかお会いできるだろう」

 なんと、この時の光源氏の豫感は、後に實現します。

 さて、桐壺院の健康が惡化してゐます。朱雀帝が見舞いに訪れました。
 參年前に書いた闘病日誌を同時に振り返ります。

 じたばたせずに行ってきます(皇紀弐千六百七十五年九月二日)

 数日前、入院の目標を入れました。でも、普段から診ていただいている主治医さんからは「胸を開くといふ大手術でそれが出来るものならやってみろ」といふやうなことを言われました。仕事を大量に持ち込もうそしたら、手術をしていただく先生からも、「そんな患者はいままでいませんでした」といはれました。

 多くの友人やクライアントさんからも「素直で從順な入院生活を」とか「はりきりすぎていろんな人に迷惑をかけないやうに」とか・・・。

 私って、どんなイメージを持たれているんだらう(涙)。

 手紙書いたり、本を讀んだり、無理のない仕事をしたり・・・・、素直で從順な入院生活を送つてきます・・・・・。
 醫療といふのは素晴らしい仕事なのですが、國家資格を持った人間のプライドのぶつかり合いでもあります。だから、横の連携がとても困難です。

 トヨタはあれほどの組織あれほどの國際化でありながら、この横連携、横展開が出來てゐるのです。これは中小企業でも十分取り入れられることです。このシリーズを通してただ醫療をみていくだけではつまらないので、醫療の横展開をどう改善すればいいかを考察して自分たちの仕事の改善も檢證しませう。

 さて、平成三十年八月五日(日)
 六日に手術なので前の日からきてくれと云はれてゐました。
 唐の太宗の政治のことが書かれた貞観政要を紹介しています。徳川家康も北条政子も読んだと言われています(2010021)。

 今日のテーマは「甚だ万全の計に非ず」です。
 八月六日が広島に非道の原爆をアメリカに落とされた日。長崎が本日 八月九日。そして、國際法を無視した民間人を大量虐殺されて陛下が苦渋の決断を下されたのが、八月十五日 敗戰屈辱日です。戰爭に敗けた日を記念日にするな。

 終戰の詔勅はまた敗戰屈辱日に書きますが、陛下はその中でかう述べられてゐます。

敵は新(あらた)に残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷(さっしょう)し、惨害(さんがい)の及ぶ所、真に測(はか)るべからざるに至る。

 廣島の原爆施設に以下の碑があります。


 誰が過ちを犯さないのですか? アメリカでしょ?

 小野田さんは、これをみたときに、「これはアメリカ人が書いたのか」と云ひました。

 この時期になると、核兵器廃絶だとか(それができれば苦勞はしない)、戰爭の記憶だとか(間違ひです、敗戰の記憶です)、TVでもやたら、戰爭反對だとか(當たりまえ)、ドラマでも我が國が惡いだとか・・・。では、今、他國が攻めてきたら、この言葉をかけて見逃がしてもらふのか。冗談ではありません。

 スイスは永世中立國だから、戰爭が起きないといふ驚くべき誤解もあります。中立國といふのは、誰からも攻められないのではなく、どの國に攻められても文句を云はないと云ふ意味です。だから、今でも數少ない徴兵制度の國です。

 さあ、正しく理解しませう。誰が、何が廣島と長崎を破戒したのか。平成二十三年八月六日と平成二十四年八月九日にこのブログに書いた記事を再掲しておきます。
 日本ファステム退職→支那旅行→定年後最初に勤めて喧嘩して辞めた会社の話からまた、3年前の日本ファステムに戻ってゐます。喧嘩して辞めた会社の途中からです。
  物語は第十帖に入ります。タイトルは「賢木(さかき)」です(20170522)。

 まずはもうおなじみの六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)です。くれも繰り返しますが、六条御息所は、桐壺帝の弟がまだ東宮であつたころ入内して娘をまうけ、皇后になつたかもしれない人なのです。

 出自は申し分ありません。教養も、器量も、たしなみも。どれも優れていて文句のつけようがありません。

 でも、東宮が早世して寡婦となりました。
 四魂の弐番目の 「CON」は 「Control」です。

 テニスは速いサービス、強いストローク、切れのあるスマッシュやボレーを持っているだけでは勝てません(どの武道やスポーツでもそうですが)。

 「自分をコントロールする」ことと「そのコントロールを元に相手との間合いを詰める」ことです。

 これが言葉では簡單ですが・・・。まあ、極意です。宮本武蔵の五輪の書でも、このことが中心ですね。

 おつと、医師に呼ばれました。今日のブログはこれで打ち止め。生意気な十七歳の私の言葉で締めます。少しビビってますね(笑)。
 唐の太宗の理想の政治とされている「貞観の治」を紹介しています(200912021)。

 今日のテーマは「言語は君子の枢機なり」です。
 今日から二十四節氣 立秋です。この暑さ。立秋。笑つてしまひます。七十二候 が 立秋 初候 涼風至です。「すずかぜいたる」と讀みます。

 立秋は、毎日暑い日が續きますが、お盆明けには秋の氣配が感じられるやうになります。

 けふから、挨拶が暑中お見舞いから残暑お見舞いになります。
 親父の方が長生きしさうですね(笑)。やはり骨を削つて採取し、歯茎に移植すると痛いですね(笑)。

 でも、こんなことで痛いなんて言つてられません。私は、あの不治の病と何十年と付き合った亡くなった母から痛いといふ言葉をほとんど聞いたことがありません。毎朝、目が覺めたら、そこには一生治らない病がゐます。これから一生付き合っていくことを覺悟しながら壱日がスタートします。それでも、笑顔を絶やしたことがありません。子供たちを豐に育ててくれて、父を支へて生きました。この程度のことでグダグダ言つたら、將來天國に行ったときに母に張り倒されます。心臓の時も、事故の時も、生きてゐられたのは、母が「その程度の修行ではまだこちらに来させられないわ」と言っているからです。

 父もさうですね~。九十一歳。未だにかなひません。

 さて、つづきです。父の初めての海外旅行です。祖父がソ連の拉致によって亡くなった土地を見たかったのでせう。これに味を占めた父は、どんどん海外旅行に行くようになりました。
 若紫に夜の營みを拒絶された光源氏です。そんな時でもプレイボーイぶりはかはりません。朧月夜(おぼろづきよ)と六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)のことが氣にかかつてしかたがありません(20150515)。

 朧月夜は、右大臣の娘です。光源氏の勢力のライバルです。怖い怖い弘徽殿大后(こきでんのおおきさき)の妹です。朱雀帝っへの入内(じゅだい)がうわさされてゐます。
 參年前なのに懐かしいなあ。せっかくですから再度書きます。目的は、私の反省です。あれだけの手術をしたのにまだわかっていないから神樣がまた罰を與へました。

(20150901)
 關係者のみなさまにはご迷惑をおかけします。明日10時半から入院です。なんとまあ、午後、もう檢査するのだとか。3日も檢査なのかなあ???

 4日が手術です。5日~6日がICU(集中資料室)です。7日からまたブログを再開しますね。士魂商才九十號(八月號)は、來週になりさうです。すみません。

 元氣に戻つてきますから、また遊んでくださいね~。

 おっと、明朝もブログを書きます。それと、できれば7日からブログ書きます。「病院の中の懲りない奴」なんていふタイトルはどうかしら???
 平成二十七年九月に心臓バイパス手術で入院した時、あの素晴らしい 岐阜ハートセンターという循環器系専門病院での闘病日誌を書きました。このブログに。あれから約三年。タイトルが「入院中でも懲りない男」でした。事故入院&手術の時にはと闘病日誌を書く餘裕が私にありませんでした。

 さて、今囘は書こうかなあ。

 交通事故でとんでしまった歯茎の骨(歯10本分)を腰骨を取って移植する手術です(昨日)。1週間ぐらい。

 自分の反省が書く一番の目的。二番目が醫療機關へのアドバイス。三番目が、この入院を通して感じた仕事を改革・改善していく際のポイントです。

  理想の政治とされている唐の国の太宗の貞観の治を書いた貞観政要を掲載しています。今日のテーマは「兵は凶器なり」です(20091130)。
 テニスには四魂といふ考え方があります。英語でCONで始まる四つの言葉を日本語の四つの魂にしたものです。髙校時代、この言葉が大好きでした。

 第一は、何と言つても「Concentration」です。集中です。

 この能力が、年を重ねるにつれて落ちてきます。ケン・ローズウォールといふかつての名選手がいます。なんと四十歳までグランドスラムの決勝まで進出する實力でした。パワーテニスではありません。デカラケではない時代、テニスはテクニックがとても大切でした。ケン・ローズウォールは集中力にとてもすぐれてゐました。

 日本テニス界に多大なる貢献をされた福田雅之助先生の言葉です。

この一球は絶対無二の一球なり
されば心身を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心といふ

 この言葉だ好きで好きで大好きで。毎日、この言葉を唱えてから練習に入っていました。まさに集中力です。

 今の私はまだ生きなくてはなりません。漫然とではなく。そのために、十七歳の自分と九十一歳の親父に鍛へてもらっています。

 さて、今囘の十七歳の私は、どんな生意気なことを書いてゐるかな。
 明日は、檢査つづきで、一日中、ブログが書けません。今日も21時から食事×(明日の夕飯まで)、水は、24時から×。手術が終はるまで。ひえ~。

 さて、光源氏と若紫です。

 「なんと藤壺に似てゐることか」(20170512)

 こととき、光源氏二十二歳、若紫十四歳です。今なら、児童福祉法違反でお縄です。

 ある夜、光源氏と若紫(紫の上)に何か決定的な誘いが示されました。
 今年九十一歳の父が、自分の人生を遺すために私たちに手紙を次々と送ってきます。今は、父が六十二歳の時に再就職した日本ファステムと云ふことについてです。さて、日本ファステムの話もクロージングに入ってます。
 何か災害が起きるとします。
 杉田水脈(みお)議員が叩かれまくってゐますね。彼女はなかなか素晴らしい政治家です。

 なんだつけ?覺へたくもないことばLGBTでしたっけ。レズ・ゲイ・・・・まあいいや。

 誰が誰を好きになろうと、そんなこと私には興味がありませんし、どうぞご自由に。人に迷惑さえかけなければ。ただし、ひと言。覺悟をもつてさうやつて生きるならマイナーな世界で生きてください。マイナーがメジャーになると世の中は崩壊します。それだけ。杉田さんもそれが言ひたいだけ。ほつとけほつとけ。

 上川法相にも非難が。
 今、国姓爺合戦を読んでいます。近松門左衛門の人形浄瑠璃の話です。鄭成功という明時代に活躍した海軍の将軍の話です。作者は忘れましたが、「琉球の風」もそうですね。琉球の風はNHKの大河ドラマで放映されましたが、本はすばらしいのに、ドラマの脚本がめちゃくちゃで、すぐに放映中止になりました(20091123)。

 では、唐の太宗の理想の政治とされている貞観の治を書いた貞観政要です。今日のテーマは「君多欲なれば則ち人苦しむ」です。
 やはり入りたての1年生の日誌は甘いですね~。その甘さも樂しみませう。今囘は、谷口君。
 このシリーズは、本來の源氏物語の登場人物を絞りに絞って紹介してゐます。源氏物語を讀んで、一番しんどい思ひをするのは、登場人物の相關關係がわからなくなることです(20170504)。

 軸となつてゐるのは、もう、亡くなつてゐるのに、常に、桐壺です。桐壺を愛した帝はなんと、桐壺帝と呼ばれてゐます。桐壺と瓜二つの美しさで、光源氏を虜にし、そして、光源氏と禁断の愛を育み、光源氏の子まで産む(誰も知らない)、藤壺。自分の理想の女にしようと小さいころから面倒をみてゐる藤壺の姪 紫の上(若紫)。この軸に、いろいろな女性がからんできます。この軸をしっかり押さえ、この軸に女性たちがどうからんでいるかを讀み解くことが源氏物語を讀むこつです。

 さあ、その若紫(當分この呼び方をします)と光源氏がいよいよ男女の仲になります。
 前囘から、私の新しい日誌です。昭和五十一年元日から始まります。高校一年生から二年生になる年です。以前、間違えたことを書きました。
 
 私のテニスが一番伸びたのは髙校二年生の秋からです。三年の春には、當時全國大會を13連覇していた柳川商業のレギュラーに勝つまで力をつけました。そして、三年春の西日本選抜ではベスト8(これは本當にくやしい。決勝まで行けました。これも私のリーダーシップとマネジメントミスです)。監督もコーチもいないチームだと、リーダーシップやマネジメントミスが發生したときに、修正することが至難の業です。でも、これはただの言いわけ。サイレント・リーダー(リーダーは言い譯をしない)。如何なる状況でもチームを勝利に導く人間がリーダーです。軍隊では、状況が變はつたから負けましたと云ふ言いわけはできません。

 さて、生意気な若造(笑)の日誌でもみますか。
 當時六十二歳の父が、天下の惡法労働基準法と戰ひます。
 今日から1週間ばかり兵庫医大病院に入院してきます。治療手術では無く機能囘復手術です。

 昨年11月の交通事故の時に、歯が10本以上とんでしまひました。顔の骨もたくさん折れましたが、兵庫医大病院の形成外科と口腔外科はとても上手で、事故前よりもよい男になりました(笑)。

 でも、抜けた歯を將來インプラントにするために、歯と一緒にとんでしまった歯茎の骨を腰骨から移植する必要があります。それも歯10本分の骨をなので、両腰骨を移植することになりそうです。
 唐の太宗が行った理想の政治とされている貞観の治が書かれた「貞観政要」を紹介しています(20091116)。

 今日は「神仙は虚妄なり」です。
 今年九十一歳の親父が六十二歳の時、定年後再就職をしました。そのの活躍がつづきます。
  源氏物語は、1008年に初版が發行されてゐます。なんと1011年前。このころ歐州や支那で女性が小説を書こうとすると殺されてゐました。その意味はお分かりですね(20170501)。

 滋賀県に石山寺があります。紫式部がここで源氏物語の構想を練りました。大好きな寺の一つです。しじみごはんがうまい。

(滋賀県石山觀光協會HP)
「石山寺 写真」の画像検索結果

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 さてさて、久しぶりに頭中將(とうのちゅうじょう)が登場します。位が上がつて、今は、三位中將(さんみのちゅうじょう)です。
 今日から、七十二候 大暑 末候 大雨時行です。「たいうときどきふる」と讀みます。

 夕立ちや臺風などの夏の雨が激しく降る頃です。きれいな青空に湧き上がる入道雲は、夕立の兆候です。


 素敵なクライアントさん 出水のお肉屋さんです。肉のまるかつ。新聞に掲載されました。
 最終囘とか云ひながら、Tennis Diaryがまだありました。私は高校三年間、ずつと日記をつけてゐたのですね。書いてゐる内容がどんどん高度になつてゐます。もう少し十六歳から十九歳の私に鍛へてもらひますか(笑)。

 昭和五十一年一月一日~八月三十一日です。一年生から二年生になるころです。内容は次囘からにして、日誌の風貌を(笑)。

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