臺風のあと&BCP(皇紀弐千六百七十八年八月二十六日 弐)

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 すごい臺風でしたね。私の住んでゐる西宮市(南部:甲子園)は、めったに災害が起こりません。臺風なども「すごいな」と思ふ記憶が、ここに住んで二十年ですが、ありません。

 夜中のゴーゴーと云ふ音には恐怖差へ感じました。

 次の日は、朝から三重縣に行く豫定。動くかどうか心配でなりません。特に近鉄電車。朝早くからネットでチェック。
 近鉄は動いてゐます。ところが阪神電車が動いてゐません。さあ、どうするか。JR甲子園口までタクシーか。ところがJRも早い時間は運休とのこと。

 阪神電車は、西宮‐尼崎だけが運休。なんでも、武庫川驛のなんとかに物が飛んできて破損したとか。でも、ネットでは六時半には復舊見込。六時半に鳴尾驛へ行きました。すると、表示が七時復舊見込みに變はつてゐます。

 ならタクシーをと、阪神タクシーに連絡。この時間は交通量も少なく道路はすいてゐました。阪神タクシーに電話がつながりました。「無線のタワーが臺風で壊れて配車ができない」と。まあ、阪神電車が七時復旧だからいいか。と待ちました。七時になりました。復舊見込みが「現在のところ不明」に變はりました。おいおい。驛は、人であふれてゐます。

 仕方がないので甲子園驛でタクシーを拾おうと思ひ、歩き始めました。十五分ぐらいかかります。途中で個人タクシーの空車が(それまでは賃走るの標示ばかりの車が空しく通過)來たので、タクシーに乘りました。なんと、ひどい渋滞です。

 タクシーの中で、いろいろねっとで調べてみると、近鉄も普通とのこと。JRもかなり混亂して、三重県まで行くと、夕方前になりさうです。

 尼崎駅驛に付きました。なんと5,000圓。ネットでは尼崎‐難波が不通になってゐましたが、行ってみると、動いてゐます。なんじゃい。難波に行ってみると近鉄も動いてゐます。なんじゃい。結局、家から三十で行ける難波まで三時間もかかってしまひました。

 いいです。臺風なんだから。でも、これをBCPの觀點でみませう。

 繰り返し申し上げますが、BCPで一番のキーワードは、RTO(目標復舊時間)です。

 何か想定外のことが起きた時にその事業を何分何時間で復舊出来る力があるか。

 想定外のことが起きた時には、まず対策本部が緊急時対応計画を發動します。

 調査をし、各事業がRTO以内に復舊できることがわかれば、緊急時対応計画を終了して、通常勤務に戻ります。RTO以内に復舊できないと判斷された事業は、BCPを發動します。

 今囘ケースは、阪神電車も阪神タクシーもBCPが策定されてゐないことが明白です。RTOがないからです。リスクアセスメントもありません。結果として、顧客に多大なる迷惑をかけ、逸失利益も生じました。作成されてゐるのかもしれませんが、そうだとしても、それは、総務かどこかの部署が型通りに書類だけ作成してゐるのだと思ひます。

 防災訓練ではダメなんです。それを經營者が早く気付かないと。

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このページは、宝徳 健が2018年8月26日 09:28に書いたブログ記事です。

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