命の手紙 117(皇紀弐千六百七十八年八月八日 弐)

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 日本ファステム退職→支那旅行→定年後最初に勤めて喧嘩して辞めた会社の話からまた、3年前の日本ファステムに戻ってゐます。喧嘩して辞めた会社の途中からです。
 1年ばかり応援して、あとしばらくは、ボクが出した条件‐時給3千円、交通費・昼飯付きで通いました(全日勤務ではない)。

 そして第②の日本ファステム。こんな会社が「存在していける日本の国」は幸福??です。

 ボクは1年3か月間、古賀町(居住中に市となる)のマンション‐パシフィック古賀の3階に住んでいました。

 日本ファステムが九州に進出するので、西日本統括の名でボクがその役目を承りました。本社にいてもそれはできるが、ボクは現地(古賀)に乘り込みました。一美(健の姉)が「トシをとっている(70歳)から近くがいい」と言った。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年8月 8日 14:46に書いたブログ記事です。

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