貞観政要 再13(皇紀弐千六百七十八年八月二日 六)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 唐の太宗が行った理想の政治とされている貞観の治が書かれた「貞観政要」を紹介しています(20091116)。

 今日は「神仙は虚妄なり」です。
 貞観二年、太宗が側近の者に語った。

「不老不死の術などというものは、もともとでたらめな作り話で、この世に実在したものではない。秦の始皇帝は、愚かにもあやしげな不老不死の術にうつつを抜かし、いかがわしい方士どもの食い物にされた。方士どもの言葉を信じ、童男童女数千人をつけて東海の島にあるという仙薬を求めさせた。だが、方士どもは秦の政治を嫌って、そのまま逃げてしまった。始皇帝は海辺をうろうろしながら帰りを待ったが、いつまで待っても帰ってこない。やむなく都へ帰還する途中、砂丘で病に倒れて死んだ。
 漢の武帝も、不老不死の術にのめりこみ、わざわざ自分の娘を方士のもとに嫁入らせた。だが、方士の道術にまるで効き目がないことがわかって誅殺した。
 この二人の例からも明らかなように、不老不死の術など、ありもしない物を求めても、仕方がないのである。


【宝徳の所見(参考文献とは関係ありません)】
 権力が手に入ると、人間はありもしないことや、あやしいものまで欲しくなるのですね。これが何の参考になるかって?
 私はこれを読みながら自分を反省しました。「もし、あのとき、こうだったら」「こうしていたら」などと、手に入らないものをよく考えてしまいませんか? そう思うなら「今、ここ」でやればいいのに、やっていなくて、そんなことを望んでしまう。これは手に入らないもの、あやしいものを求めてしまっていることに他なりません。考えさせられますね。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/7850

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年8月 1日 09:15に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「命の手紙 113(皇紀弐千六百七十八年八月二日 五)」です。

次のブログ記事は「今日から入院(皇紀弐千六百七十八年八月五日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。