つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年八月十六日)

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 この記事から明日のルーティンです。

 天皇陛下最後の敗戰屈辱日でした。私たちは、平成の御代に、陛下を英霊たちのところへお連れすることが出來ませんでした(靖国參拝)。これが國民としてどれだけ恥づかしいことかを自覺してゐる國民がどれだけゐるんだらふか?

國民主權:偉そうにこの言葉を叫ぶなら、きちんと國政に責任を持つ必要があります。本來の意味は、國家を轉覆してよい權利を國民は持ってゐるといふとんでもない意味です。我が國には、本來、權利・義務發想はありませんでした。邪教 日本國憲法「典」が無茶苦茶にしてくれました。

基本的人權:本來の意味は、「人を殺してもよい權利」です。みてください。平氣で人を殺す世の中になつてしまひました。

平和主義:自分だけ傷つかなければそれでいいといふ、國家破壊思想です。十四歳の女の子が不埒な國に拉致されても、國民に助ける意志もありません。國を護ってくれた英霊たちに對する敬慕の念もありません。

 他國では、普通「國」と自國を表現します。「國家」といふ表現は日本だけです。だから何千年も續いてゐるのです。陛下を中心とした家だつたのです。なのに、英霊たちのところに陛下をお連れすることもできない國民になりさがってしまひました。

 家で例へるなら、息子が死んだのに、親に墓參りに行くなといふことと同じことです。
 韓國の文在寅(ぶんざいとらです。わざわざ韓國人を向こうの讀み方で呼ぶ必要なし。私たちは朴正熙(ぼくせいき)と呼んでゐました。向こうから難癖がついたから官僚とマスゴミが折れただけです)が、「慰安婦問題は外交では解決しない」と云ひました。びっくりしませんでしたか???

 これにびっくりしない人は、よほどノーテンキです。

 國と國との交渉は、「外交」か「戰爭」です。これをどちらでやるかを選択するのを

シビリアンコントロール

と云ひます。いちいち軍人に口出しすることをシビリアンコントロールと勘違ひしてゐる、アホな我が國です。

 つまり、ぶんざいとら、の發言「外交では解決しない」といふのは、「日本と一戰交える(戰爭)」といふ意味です。彼はこの意味がわかつてゐるのでせうか。

 昨日、息子が帰つてきてゐました。私が間違ってゐるのかなあと思ひこのことを聞いてみました。すると「そのとおりやなあ。だけど、ぶんざいとらは わかってへんのちゃうか」と。

 枝野とか、福島とか、辻元とか、共産党とかの、他國から金でももらつて我が國を轉覆しやといふアカは別として、小西とか柚木とか野田とか岡田とか・・・、ぶんざいとらと同じレベルです。アホは政治家になつてはいけません。それを選ぶ國民主權の國民は猛省する必要があります。

 國連。この呼び方は間違へてゐます。外務省がわざとかう命名したのかな? 占領軍、または連合軍です。第二次世界大戰の敗北國を徹底的に見張り糾弾する組織です。言いすぎですって? では、未だに、我が國に對する敵國条項がはずれてゐいないのはなぜでせう。常任理事國になるといふ目的の前に、この敵國条項を外し、國連改革をする必要があります。

 その國連の活動費、國連分担金の拠出立で支那共産党が第二位になるとのニュースが流れてゐました。ほつとけつて。アメリカが一位です。でもアメリカは祓つてゐない金ばかり。支那共産党もさうするつもりでせう。メディアうるさい。

 靖國問題などないのに、マスゴミがうるさい。他國がどう言つてゐるかなど奉じる必要なし。それに我が國に

戰犯はゐません

 平成26年11月3日 明治節に書いた、このブログの記事を紹介しておきます。

 サンフランシスコ講和条約第十一条に、「東京裁判を受け容れろ」と書いてあります。つまり、戰犯を認めろです。でも、同条二項に、「でも、条約締結後、一つ又は二つの國が了承したら、一項は消滅させてもいいよ」と書いてあります。

 まだまともな感覺が殘つてゐた我が國は、すぐに、サンフランシスコ講和条約締結國に通達し、これを行つてゐます。まず、この時點で戰犯と呼ばれる、リンチのような東京裁判の判決は証明してゐます。我が國は、サンフランシスコ講和条約で獨立しました。東京裁判を受け入れて獨立したのではありません。

 昭和二十六年九月八日に調印され、翌年四月二十八日に發効したのがサンフランシスコ講和条約です。我が國は沖縄と奄美と北方領土を除いて主權を囘復し、獨立しました。

 その時、戰犯を救おうといふ署名活動が始まり、瞬く間に當時の我が國臣民の有權者に相當する四千万人の署名が集まりました。

 國會でも、社會黨の堤ツルヨ議員の發義で改正遺族援護法が全會一致で可決されてゐます。社會黨ですよ。全會一致ですよ。

 さらに、昭和二十七年六月九日の参議院本會議にて「戰犯在所者の釈放等に関する決議」が可決され、十二月九日の衆議院本會議で「戰争犯罪による受刑者の赦免に關する決議」、昭和三十年七月十九日の衆議院本会議で「戰爭受刑者の即時釈放要請に關する決議」がそれぞれ、社會黨、共産黨む含めた全會一致で可決されてゐます。

 俗にいふ戰犯であつた重光葵は、國連(この呼び方も間違つてゐます。連合軍です。敗戰國を見張る機關が、我が國で俗に呼ばれてゐる國連です。United Naions:連合軍です)で、「東西の架け橋となる」と演説し、満場の拍手に包まれました。

 さて、朝日の社説です。(このときの)
「一方、かつての戰爭指導者がまつられている場所にいまの政治指導者が参拝すれば、その意味は全く変わってしまう。A級戦犯が罪を問われた東京裁判には、勝者よつ裁きといった批判がある。それでも、日本はサンフランシスコ講和条約で裁判を受け入れ、これを区切りに平和国家としての戦後の歩みを踏み出した」

 馬鹿ですね。拙劣ですね。無知ですね。不勉強ですね。

 これがみなさんが騙されてきた朝日の正體です。(ここまでが過去の記事)。

 今日の産經新聞は面白かった。讀賣は×、日經も×。朝日?毎日? 語るに價ひしません。

 長くなるからまた明日。 をはり


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このページは、宝徳 健が2018年8月15日 19:41に書いたブログ記事です。

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