2018年10月アーカイブ

 つづきです。
 息子が小さい時、彼が起きてゐるときに早く歸つたら、必ず、寢物語をしてゐました。古事記、聖書、千夜一夜物語、童話などなど。もちろんきわどい内容はカットして子供向けに。

 樂しかつたなあ。思ひ出します。

 この四十番目の話の時に、アジブが四十番目のドアを開けるところにくると「アジブあけちゃだめだ!」と息子が叫びました。

 そう、アジブは四十番目のドアをあけてしまつたのです。
???皇太子???
 こんな新聞記事が。びつくりします。腰を抜かしさうです。

 ネット社會とサイコパスリスクについてみていきませう。
 二百年といふと假に一世代を三十年とすればだいたい七世代となります。紫式部が源氏物語を書いてから、二百念が經過しところ、つまり、七世代ほど經つた頃、大きな社会現象が起きました。

 そのため、ひらすら源氏物語を耽讀た人たちから源氏物語を理解するための社會的基盤が失はれていきました。

 武士の臺頭が、宮廷政治を中心とした社會構造を一變させたのです。平清盛の日宋貿易は、大量の銅銭輸入により經濟構造を激変させました。保元の亂、平治の亂、源平合戰、鎌倉幕府の成立、承久の變・・・・。

 優雅なる王朝文明は、まさに滅亡の危機を迎へました。

 他のすべての國なら、ここで宮廷文明はすべて破壊され過去のものとなります。

 ところが、世界で唯一歴史が連續した 人間社會の奇跡の國 日本では、かういふときに必ず偉人があらはれてこの危機を救います。 この時期、世界に類を見ない古典を救つたのが、藤原定家です。かれの最大の功績は、「源氏物語」に「古典の地位」を與へたことです。

 さて、つづきです。

 光源氏は、東宮のところにも挨拶に行きます。
 日にひとつずつ扉を開けていくアジブです。
 さて、ここで藤原定家の登場です。「新古今和歌集」の1選者のひとりであり「歌聖とも呼ばれてゐます。

 大好きな正岡子規は藤原定家を「『新古今集』の選定を見れば少しはものが解っているやうに見えるが、その歌はそくなものがない」と否定しています(正岡子規著「歌よみに與ふる書」)。

 でも、こと「古典」といふ範疇を考えると、藤原定家がいなければ、源氏物語をはじめとした我が國の古典は、葬り去られていたかもしれないのです。

 次囘から、この重大なる我が國の事件をみていきます。

 さて、光源氏の出發の日が近づきます。いろいろなところへけじめをつけに行きます。


実は、人間の腦は、「信じる方が氣持ちいい」のです。これは、集團を形成・維持する機能の一つなのです。

 といふところまででした。

認知的負荷
 人間の腦は、自分で判斷することが負担で、それを苦痛に感じるといふ特徴を持っています。これを認知的負荷と云ひます。

認知的不協和
 人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼへると、その矛盾を解消して都合の良い理屈を作り出します。

 簡單に云ふと「これは正しい」と思いこんだことが後から「間違ってゐる」と証拠を突き付けられた場合、人間の腦は、「言い譯」の理屈を考え出し、何とか間違ひを認めずに済むやうにしようとします。

 組織を改革しやうとしたりするとこの場面に嫌といふほどぶつかります。

 だからサイコパスは「信じたい」といふ、にんげんの認知のセキュリティホールともいへる弱點を巧みに突く生存戦略を取ります。

 次囘は、ネット社會の恐ろしさをサイコパスの觀點から紹介します。

 さて、先日のテストはどうでしたか?
 昨夜は家にいたのですが、仕事をしてゐたので、TVを觀てゐません(普段からほとんど觀ませんが)。

 今日、IKさんの會社に來て、部長が速報に書いてあるコメントを見て知りました。

 アスリートは、絶對に自分から辞めることはしません。特に驛傳ならなおさらです。
 これを書いたら年間目標達成まで34通です。

 私はジャーナリストが書く小説以外、小説は餘り讀まないのですが、ちよつとしたきつかけから、辻原登に出遭いました。

 ものすごい知識に裏付けれた内容なので、讀んでいて面白い面白い。どんどん頁がめくれます。とまらないんです。お薦めの著者です。万城目学に出逢つたときのやうな感覺です。まだこの弐冊しか讀んでゐませんが。


 思ふやうに仕事が進まないので少し、う~ん、といふ感じですが、でも、この數日、スケジュール整理がとてもうまくいってゐます。

 私の感覺がおかしいのかなあ?沢田研二のコンサート ドタキャンを擁護する芸能人やキャスターがたくさん。

 若い政治家や官僚・マスゴミなんかもそうなんですが、どうやったらこんな發想をする人間が育つんだろう(いくら敗戰後の教育が嘘だらけで腐つていやうとも)、と不思議でなりませんが、芸能界も同じですね。

 かうやつて何もかも自分たちがやることが許されるから圖に乘るのでせうね。最も、沢田研二はアカですが。

 びっくりした事件でした。
世にも奇妙な恣意的名前

 人を騙したくてワザとつけられた名前や、恣意的に變へられた名前があります。
 時代の流れと共にその社會背景からいろいろな「症候群」が生まれています。

 世相を振り返りながら、樂しんでみませう。

 今日は、無氣力症候群です。1960年代後半ですから、六十年安保の頃ですね。私が十歳前後の頃です。
 さあ、寳德 佳男は首になるのでせうか?
 つづきです。次は「誠」は人を動かす。 

 魯の國の孟孫(もうそん)といふ重臣が狩りに行って子鹿を捕まえたときのことでした。秦西巴(しんせいは)と云ふ部下に命じて持つて歸らせました。すると、母鹿が後から追つてきて、悲しげに鳴きました。
秦西巴は、かはいさうに思つて子鹿を放してやりました。

 さて、歸宅した孟孫は、例の子鹿を持つてこいといひます。

 秦西巴が「かはいさうなので、母鹿に返してやりました」と答えたところ、孟孫は、激怒して秦西巴を追放しました。

 さて、みなさんが孟孫ならどうしますか? 秦西巴はこの後どうなったかと思ひますか?
 二つ目です。

善悪の標準は人の好惡に由て定まる
善悪の基準は人が好むか嫌がるか
 平成七年七月十日に亡くなった(享年六十二歳)が昔書いた手紙を叔母がとっておいてくれてゐましhた。先日泊まりに行った時に私に半分ぐらい貸してくれました。

 私も残りの人生を(まだまだですが)カウントする必要があります。父の「命の手紙」と同樣、母の命も遺します。

 最初の手紙は、まだ静岡県駿東郡裾野町に住んでいるころです(小學校三年生二学期から五年生まで)。昭和四十三年から四十五年ですね。ハガキの切手が七圓です(笑)。

 二つ目は私が叔母に書いた手紙です。よく遺してくれていたものです。いつのものだらう???(笑)

 切手が4圓です。これはきつと大阪に住んでいるころですね。

 
 見たこともない美しい女性たちと、めくるめく毎日を送つてゐたアジブです。

 でも、數日經つて、女たちが泣いてアジブに告げました。


 サイコパス自體だけではなく、サイコパスの餌食になる人も興味深い存在です。サイコパスの嘘や奔放な性的關係が完膚なきまでに暴露された後も、なぜかその人を信じ續け、支持し續ける人が少なく在りません。

 自分が騙されていたことがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったとしても、なぜか信者(とここでは呼びます)となり續ける・・・・。

 実は、人間の腦は、「信じる方が氣持ちいい」のです。これは、集團を形成・維持する機能の一つなのです。

 怖いですね~。これは次囘ももう少し書きます。なぜならば、これが最終的には集團を破戒する行爲になるからです。

 さて、前囘のお約束。サイコパスを判別する方法です。どの方法にも長短在りますが、紹介します。

 ちなみい、サイコパスは精神醫學では「反社會性パーソナリティ障害」です。

 今日は、ケビン・ダットンのセルフチェックリストです(中野信子先生の本から抜粋)

 以下の質問を0點から3點までつけて集計してください。

0點:全く當てはまらない
1點:當てはまらない
2點:やや當てはまる
3點:當てはまる
 源氏物語を繰り返し繰り返し讀んでいき、私の心の中で何かがはじけてきてゐます。恐らく、源氏物語にはまった人たちは同じなのではないでせうか?

 これまでの自分の生き方、價値觀・・・。あんな稀有なのに光源氏の人生と自分の人生を重ね合はせることで、「おい、お前の人生を變更しろよ」とどこからか聞えてきます。でも、それは自分の人生を否定されることではなく、なんといふかなあ・・・、自分といふそんざいの可能性を否定してきた自分に新たなる可能性をていきょうしてくれるのです。「變はる」といふ可能性を。

 私は、まだまだ(當然)ですが、源氏物語は素人です。でも、一度、この感覺を味はつたら、もう、紫式部のわなから抜けることはできません。紫式部の掌の上で踊らされてゐるのですが、それが非常に氣持ちの良い踊らされ方なのです。

 さあ、一緒に、續きを見ませう。
 これを書き終はつたら、年間目標まであと45通です。

 無手の法悦といふ本があります。たまらない名著です。 

無手の法悦

 このブログから明日のルーティンにします。これを書いたら年間目標まであと46通です。

 十月十日に佐々敦行氏が亡くなりました。初代内閣安全保障室長です。危機管理の専門家です。

 著書をたくさん面白く讀みました。紹介しておきます。瀬島龍三をソ連のスパイと論じてゐます。新聞記者は、社會部=猛獣、政治部=半猛獣、経済部=普通としてゐます。

 だから、企業不祥事などになると、企業の偉いさんの記者會見には、社會部がきます。普段経済部の記者と接している企業の偉いさんは、その違ひにびっくりします。

 等々、危機管理の視點から、いろいろ解説してくださるのでとてもためになります。

 「彼らが日本を滅ぼす」では、民主党政權がぼろクソです(笑)。菅直人は「第四列の男」です。詳しくはお調べください。まあ、卑怯な男と云ふ意味です。
 今日から、七十二候 寒露 末候 「蟋蟀在戸」です。「きりぎりすとにあり」と讀みます。

 蟋蟀が戸口で鳴く頃です。この時期の蟋蟀は、夏から冬にかけて見られ、鈴のやうな音色を響かせる、ツヅレサセコオロギだと言はれてゐます。ギーッチョンと機織りのやうに鳴く蟋蟀ではありません。


 キリギリスと云ふとイソップ童話の「アリとキリギリス」を思ひだしますね。まあ、日本人は、イソップでもグリムでも、本當にきれいなはなしになおします。でも、恐ろしい話ばかり。

 この「アリとキリギリス」も私たちが知つてゐる内容とは全く違ひます。

 まずタイトル。「アリとセミ」でしたが、北ヨーロッパにはセミがいないので、「アリとキリギリス」となりました。

 そして、結末が違ひます。
 以前は、十月十日は體育の日でした。つまらない法律によって、祝日がひんまげられて、歴史も情緒もなくなりました。

 さて、事務所の片づけをしてゐたら、懐かしい本がいつぱい目に止まります。あ~、昔はよく勉強していたんだなあ、と。 勉強再開ですね。とにかくあと二十年しか働けません。その二十年と云ふ時間資源をどう使つていくか。とての大切なテーマです。

 目に止まつた本の一冊を眺めてゐると、「アルコール・ブラックアウト」といふ言葉が飛び込んできました。三千冊近くある本の中からたまたま目に止まつた本で、開いたところで目にはいつた言葉がこれだなんて。
 これを書いたら年間目標730通まであと49通です。もう今日は書くのを辞めようと(叫び以外は)と思ったのですが、ひとつ忘れてゐまた。

 今日から二十四節氣 寒露 かんろ です。夜が長くなり 露が冷たく感じるころです。まだ昼間は暑いですが、確かに朝晩は過ごしやすくなってきました。

 七十二候は、
 くっそ~うまくいかん。

 ある会社のあることの構想を練ってゐます。う~ん。

 物ごとを考へる順番は、

探檢家→芸術家→判事→戰士

です。材料を探檢し、芸術家が組み立て、それが運用でうまくいくかを判斷し、一旦、やりはじめたら勝つまでやる。この順番が狂ったらだめですが、私は、ハーマンモデル(割愛 腦の使い方) タイプDなので、「判事」機能が極端に弱い。サラリーマンのときも、部下に判事機能が強い人間がいたら、とてもうまくいっていました。ただし、繰り返しますが、順番が狂ってはいけない。判事が先に来るとダメ。

 まあ、いいや、もう一度やり直し。インプットがたらん。
 手術しただか、交通事故にあっただか知らんばってん、ぶっ倒れるまで仕事せんか。確かに体力は落ちているばってん、その前に氣力やろうが。休むときは休んでよかけど、いつも休みみたいな日を送りやんな。あと二十年しか働けんとぞ。なんば、ふうたんぬるいことばしよるとや。

 もつと、自分自身にぐらぐらこかんや。
 このブログで連休目標達成。さあ、書いたら仕事に戻らないと。678通/年間目標730通。 52通残です。

 倉山満がまたやつてくれましたね。これはすごい。






 すごい本が出ましたね~。

 本書は、昭和十三年に刊行され、その年の直木賞候補にまでになりながら、敗戰後、GHQ(占領軍)によって没収・廢棄処分にされました。その幻の名著が復刻しました。





 厚生労働省が作成した「労働施策基本方針案」の全容が明らかになりました。

 ここには、人手不足が指摘される中小企業や小規模企業に対しても、労働環境の改善を促しても是正しなかったり、過労死を生じさせたりするなどの惡質な長時間労働があつた場合は、書類送検などで厳正に対処することを明記してあります。

ポイントだけ列挙します。さらに調査研究を進めます。
 行きたいなあ。

 昨日(十月七日)の、奈良の興福寺で、焼失後三百年ぶりに再建された、伽藍の中核である、中金堂の落成式が行はれました。




 この三連休のブログ目標が30通、これを書いたら26通ですから、あと4通です。今年のブログ目標が730通 これを書いたら674通ですから、あと56通です。

 つづきです。久しぶりに福澤諭吉先生に触れることの幸せ。たまりませんね。


人間の安心
人生は戯(たはむ)れと知りつつ戯れよ

 この三連休のブログ目標が30通、これを書いたら25通ですから、あと5通です。今年のブログ目標が730通 これを書いたら673通ですから、あと57通です。

 つづきです。

 私が樂羊だつたら、國家のためなら息子は犠牲にするでせう。私と息子が逆の立場でも、私は、息子にそれを望みます。ただし、それは、世界で唯一歴史が連續した 人間社會の奇跡の國 日本のためです。天子樣である天皇陛下のためです。

 支那人は、なぜこんなことをするか。


 ここまで見てきた例では、サイコパスと云ふと、冷徹で猟奇的殺人鬼のイメージが強いかもしれません。でも、必ずしもかうした人間ばかりではありません。
 この三連休のブログ目標が30通、これを書いたら23通ですから、あと7通です。今年のブログ目標が730通 これを書いたら671通ですから、あと59通です。

 男たちは、アジブをお羊の皮の袋に入れて糸で縫いました。

 源氏物語は、千年以上も讀み繼がれることを通して、少しずつ「本質」を明らかにしてゐます。

 紫式部は、なんと、後の時代の讀者を巻き込み、引きずり込んで「源氏物語」を完成させるプログラムを、この源氏物語に組み込んでゐたのです。そして、そのプログラムはなんと、千年の年月を經てもまだ完成していないのです。なんと素敵な。ほんの少しでいいので、私もそこに參加したい。

  源氏物語ビッグバンは、貴族の時代から武士の時代、そして、民主主義の時代に移っても、讀まれ續づけました。紫式部が生きた京都だけではなく、全國津々浦々で。そして世界で。

 私は最初、譯がわかりませんでした。源氏物語を讀んでも、それでも諦めずに讀んでゐると、どんどん惹き込まれていくのです。

 さて、つづきです。



 つづきです。 さあ、寳德佳男は首になるのでせうか?
 この三連休のブログ目標が30通、これを書いたら20通ですから、あと10通です。今年のブログ目標が730通 これを書いたら668通ですから、あと62通です。仕事の合間にボチボチ書きます。

鳥肌が立つ

 井上尚弥はすごいですね~。今までみたどんなボクサーよりすごい。あのスポーツは大變。チャンピオンは毎試合 ウイナーズ・テイクオールです。ほんの少しの調整ミスも許されない。
 
 試合を観てゐる解説者やらファンが、井上尚弥の試合を観て「鳥肌が立つ」と表現してゐます。「????」。他にも感動するなどの場面でこの「鳥肌が立つ」が使はれていますが、これ間違つた使い方ですよね?

 「鳥肌が立つ」といふのは、「身の毛がよだつ」と一緒で寒さや恐怖のときに使う言葉です。


正論

 私はあまり正論は賈はないのですが、11月號は面白いから賈ひました。
 「中国古典の名言録」といふ本があります。守屋洋さんが著者。この人は上手に支那の古典を解説してくださいます。

 十年ぐらい前かなあ。支那の古典をむさぼるやうに讀みました。同時に安岡正篤先生も。あるとき「支那人は、人間の理想を語るが實現しやうとしない(五經は別です)」と云ふことに氣づきました。それから一氣に熱が冷めました。
 
 でも、考へてみると、その人間社會の理想を、當の支那に代わつて人間社會の奇跡として實現させてしまつたのが、天皇陛下を中心とする我が國でした。なんで、もう一囘勉強しようかなあ、と、思つてゐるところに、SWさんから、何冊かの本を紹介されました。そのひとつがこの本です。

 守屋さんのこの本に私なりの解説を加へます。

 まず「巧詐不如拙誠」。「巧詐は拙誠に如かず(こうさはせっせいにしかず)」です。韓非子といふ、非常になんといふか、人間不信の論者です。

 うまくやろうとして嘘をついたりペテンにかけたりして言葉巧みに人を騙すより、つたなくてもいいから、人を欺かなほうがいい。と云ふ意味です。
 
 一囘一囘の話は何囘かにわけて解説します。



手帳
 來年の手帳がきました。毎年樂しみな時期です。構想を練るつていいですね。今年は、例年になく生き方がうまくいってゐます。百点満點で六十點かな。あとは、もう少し仕事を計画的にやらないと。これも來年の目標ですね。

教育勅語
 共産党の誰かが(名前を覺へる氣もしない)、大臣の教育勅語發言に文句をたれてゐます。内容はどうでもいいのですが「よく教育勅語を研究もせずに」といふ發言がありました。どういう意味か分からずひつくり返りさうになりました。
 
 教育勅語の内容が素晴らしいものであることは、論を待ちませんが、ひとつだけ。教育勅語は敗戰後國會で廢止されたのどうのこうの。基本がわかつてゐません。陛下のお言葉である「勅語」「詔勅」は國會で廢止することができません。 だから、まだ、生きてゐるのです。

 こまった人間が多いものです。



 この三連休のブログ目標が30通、これを書いたら17通ですから、あと13通です。今年のブログ目標が730通 これを書いたら665通ですから、あと65通です。今月中にいけさうですね。

 讀書目標は220冊です。昨日まで178冊。これもいけそうです。

 あとは、手紙ですが、これがまだやる能力を有しません。ブログは何年も達成ベース、讀書も。來年は、手紙を年間3600通書きます(年賀状含む)。これで年間目標達成ベース人間にやつとなれます。それと、来年から 弊社月刊誌 士魂商才を復活します。八十九號から。

 さて、源氏物語がなぜ、こんなに千年間も日本人を魅了するか。

 私たちは、たつた一度の人生に縛り付けられてゐます。源氏物語は、そんな私たちに、無限の人生の入門許可をくれます(源氏物語ものがたり より)。讀者は、何にだってなれるし何だってきます。どこへでも行けます。どんなにだって生きられます。人間に許されるすべての行爲が認められ、人間が抱くすべての感情が體驗できるのです。豊饒とはこのことなのでせう。

 天皇(桐壺帝)の立場でたった一人の女性(桐壺)との純愛を貫けない苦しさも體驗できます。光源氏と云ふ義理の息子と過ちを犯し、罪の子を産んでしまったお后(藤壺)の良心の呵責も、父親のやうに慕っていた男性(光源氏)が、「男」である事実を知って愕然とする紫の上。

 讀めば讀むほど、どんどん身体にしみいってくる。それが源氏物語です。古今東西 こんな小説家が存在しただらうか???

 さて、つづきです。紫の上の心情です。
 かつてある塾生(慶応義塾大学卒業生)が、「今は、それ(學問のすすめや福翁自傳も讀まない學生がほとんど)が、普通です」と云はれました。理念なき學問です。

 異常なマジョリティを普通を云ふので世の中がおかしくなります。

 「今は、慶應義塾を卒業しても學問のすすめも福翁自傳さへも讀まない」が正解です。これがマインドフルネス(立ち位置を知る)ことです。

 しかし、久しぶりに福翁百話を讀み返すと面白い。

 さあ第一話です。二囘にわけて書きます。

 前回書きましたが、前書きが明治二十九年二月十五日です。教育勅語が明治三十年十月三十日なので、約一年前。そろそろ精神文化の破壊が起きてゐるころです。
 「こんな人はいませんか?」シリーズの答へをそろそろ出しますね。

 まずはこの2つの本の紹介です。



 一言で云ひます。「怖い!!!」


 まあ、私の髙校時代は、窮屈に生きてゐますね~(笑)。特にのころは怪我で苦しんでゐるからですね。

 こんなにしんどそうだつたかと云はれると・・・・。覺へてゐません。覺へてゐるのは、かなりのプレッシャーがあったこと。マネジメントはいろいろな同級生にも手傳つてもらへますが、リーダーシップはさうはいきません。インターハイに行くと決めました。監督もコーチもいません。でも、それは言い譯に
ならない。

リーダーとはいかなる状況でもチームを勝利に導く

 どんなに格好惡くても。髙校生では、それがかなりつらかったのでせうね。その時はつらいとかは考へることもできませんでしたが。

 人に敗けるのが嫌いであったことだけは事實です(笑)。

 では、十七歳の宝徳のしんどさを今日もみますか。今の甘い甘い自分と比較しながら。
 つづきです。さあ、父は首になるのでせうか?
ぶどう山椒

 ご存知でした?ミカンの里 和歌山縣有田川町の名産「ぶどう山椒」・・・・。


 これが山椒の粉になるさうです。

 もちろん、鰻なんかにかける山椒にも使へますし、最近では、チョコとかのスィーツも開發されているとか。食べてみたいなあ。


 九月二日の産經新聞朝刊に興味深い記事が載つてゐました。元東京大學教授の 酒井信彦先生の記事です。そのまま抜粋します。

 全く同感です。メディアは不感症集團です。
  もう七年になるのですね。平成23年(2011年)10月からの仕事のお付き合いです。帯広で仕事をしてゐるとき、個人事業主の国保があまりにも高いことに氣づいて、その削減策を作りました(もちろん合法)。すると、ネットでそれを見つけてくれた島根の方が希望されやり始めました。それが平成23年。うまくやれば、だいたい40万円~50万円/年削減できます(すべての個人事業主の方ではありませんが)。

 その削減策を利用されて、自分の事業を立ち上げて成功された方がゐます。
一身獨立して一國獨立す
國を支へて國を頼らず

 慶應機塾大學に入學したときに、學問のすすめや福翁自傳などをむさぼるやうに讀みました。

 そのときに、この二つの言葉に出逢ひました。出光興産㈱に入社する前に出逢つた、出光興産㈱第二の定款

眞に働く姿を顕現し國家社會に示唆を與へる

と同じく、我が身が震えを覺へました。

 随分と惱みました。「俺はこの偉大なる明治人たちのやうになれるのだらうか」と。

 しばらくして、半分開き直りました。「なれなくてもいいや、目指さう」と。

 福翁 つまり、 福澤諭吉先生の語りをまとめたものが福翁百話。これを少しずつ紹介してまいります。わたしの仕事人生はあと二十年です。何度も何度もこの未熟な精神を鍛へ直さないといけません。

 超譯です。現代語で。あへて、現代的假名遣ひで書きます。

 まずは、福澤先生のまえがきから。

 慶応義塾を卒業しても學問のすすめも福翁自傳も讀まない人間ばかりです。なげかはしい。
 一昨日、仲間に手傳つてもらつて、北陸事務所から運び込んだ荷物の片づけをやりました(まだ完全には終はつてゐませんが)。本を四分の一ぐらい賣る準備はできました。まだ、二千冊以上ありますが(笑)。

 この千夜一夜物語は過去の記事を參考に書いてゐますが、本の整理の時に、出てきた~。バートン判の千夜一夜物語が~。ながいシリーズになりさうです。でも、面白い。

 さて、毎晩つづく宴會は、いつも奇妙な儀式で終はります。
 オタサーの姫とサークルクラッシャー

 弘兼憲史さんの漫画に「黄昏流星群」といふものがあります。たくさんの話の中で、學生時代の星空毛研究會の面々が定期的に星空を観に行くという筋書きですが、ある日、一人だけいたマドンナから全員に手紙が舞いこみます。それぞれにマドンナとは思ひ出があるのですが・・・・・。

 (皇紀弐千六百七十五年九月十七日)→書いている内容は九月十五日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

 いよいよ最終囘です。十四日間の入院。この年で、この時期に。正直な感想です。助かった。命がではありませんよ(もちろんそれもありますが)。自分の人生がです。見つめ直す時間があつたこと、たくさんの方々が、私のために力を盡してくださつたこと。

 それらを通して、自分の人生にもつと素直になることの重要性を確認することが出來ました。それを、この年で、この時期に確認できたことは、私はまだ生かされてゐることになります。

 さあ、もう一度、燃えるやうな人生を送れよ。この1年間ぐらい、自分がどうもおかしい、何かおかしいと思つてゐました。自分のバランスが、いつもの自分と違つてゐたのです。心・技・體・生活は一體なのを思ひだしました。

 すべての方々に感謝合掌。さう、何事にも感謝する氣持ちも・・・。
 今年九十一歳の父が親戚中に手紙を送り、何かを遺そう(残そうではありません)としてゐます。引き継がなければ。

 今日から新しい手紙です。最近のですね。以前のもたくさんあるのですが、手に取ったものから書いてゐます。この情けない世の中!昭和一けたの生き方を學びます。
 あの日朝議連つて一體なんなんですか!!!
 最終囘です。最近、池上彰が彼のくだらなさの事實を暴かれはじめてゐますね(笑)。やはり私だけがそう思つてゐたのではなかつた。

 司馬遼太郎や山崎豊子もそうです。未だに騙されてゐるファンが多いので異論続續出なのでせうが、早く目覚めましょう。

 では、つづきを。
 明日から、七十二候 末候 「水始涸」です。「みずはじめてかるる」と讀みます。

 田の水を落として、稻穂の刈り入れを始めるころです。黄金に色づいた稻穂が美しいですね。

 私たちの子供のころは、かなり都會にいかないと、田がないなんてことはあませんでした。
 源氏物語の物語の中での時間の經過はなんと七十五年です。七十五年の歳が流れてゐるのです。
 
 その間、四人の天皇が即位してゐます。

 最初に源氏物語に触れたとき(讀んだとはとうてい云へない)、何、この女たらしとか、平安時代はこんなに男女關係が亂れてゐたの? とか思ひました。でも、よく考へると、西暦千年ごろなんて、歐州はまだ混亂の時期でした。

 支那は、宋當たりです。水滸傳ですね。腐敗の眞っただ中です。

 894年に菅原道真が遣唐使を廢止しました。我が國は、支那大陸から離れることが出來ました。我が國の歴史が證明してゐます。我が國は、支那大陸(含む朝鮮半島)から離れた時代がいつも平和です。いつも彼らが我が國を亂します。明治から今に至るまでもさうですね。

 源氏物語の最大の魅力は、「老若」「男女」「貴賤」「都鄙 とひ 都と田舎」「美醜」のすべての人間が登場してゐると云ふ幅廣さにあります。平安宮廷がこのやうな豐かな人間が存在したのでせう。そのため「男と女」だけではなく、「親子」「兄弟」「友と友」「師弟」などの、ありとあらゆる人間關係を描かれてゐます。熱い血の流れと共に。

 さて、つづきです。光源氏は二条院(自分の邸宅)に戻りました。
(皇紀弐千六百七十五年九月十六日)→書いている内容は九月十二日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。


 今、家で、就職で出て行つた息子の机を借りてこのブログを書いてゐます。初めて坐ります。机のビニールの下敷きのところに、「敎育勅語」が挿してあります。私は彼が小さいころから敎育勅語のことなど、敎へたこともありません(その存在すらも言つたことはない)。でも、彼は、大學の時に暗唱してゐました。うんうん(親ばか)

 安全保障法案で、目も當てられない光景が繰り広げられてゐます。國會議事堂前でデモしてゐる人たちよ。あんたたちは、「武力行使」に反對してゐるのではないのかい。なのに、國會決議を「武力行使」で變へさせようとしてゐるではないか? おい、お前たち、これをテロと呼ぶ。

 そして、腰を抜かすぐらいに驚いたことに、民主黨の岡田をはじめとした、野黨の黨主連中が、このデモの中に入つていつて、結んだ手を髙く掲げながら、テロを賛美してゐました。自分たちは何をやつてゐるかわかつてゐるんだらうか? 安全保障法制は憲法違反だと叫びながら、自分たちは憲法違反どころではない行爲をしてゐることがわからないのだらうか?

 愚かと云ふ言葉では片付けられない行爲です。國會の審議内容をテロで變へようとしている・・・・・。

 さて、闘病日誌を續けます。「医療機關に物申す」は、少しお待ちくださいね。今、樂しく編集してゐます。
 日本武尊を裏切った息長氏ですが、娘を后として送り込むことでヤマト王権の北陸進出を手助けしようとしたのでしょうか?

 ところが、息長氏は再び裏切っています。今度は、その娘とその子を・・・。
 竹生島(ちくぶじま)を説明してゐます。

 この島は、平安時代に国家に公認された「式内社」の都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と宝厳寺が鎮座します。神社に祭られてゐるのは、すべて女性です。

 さて、竹生島はどうやつてできたか。ある神話を紹介します。
 滋賀県と岐阜県の県境に伊吹山があります。私はこの山が大好きです。
 一気に再を載せますね。

 仲哀天皇は、父の日本武尊を死に追いやった息長(おきなが)氏からなぜ皇后を迎えたのでしょうか。
 
  仕事で滋賀県にはよく行きます。なぜ戦国武将がこの近江を狙ったかがよくわかります。水と陸の交通の要所です。ここを抑えないと全国を抑えられません。北へ進めば日本海、陸路では街道沿いに東へ向かって大きな壁があります。滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山です。この大きな壁を越えないと東に行くことが出来ません(20130331)。

 息長氏(神宮皇后の実家)の源泉はこの伊吹山です。

 伊吹山で思い出すのが日本武尊ですね。

 父の景行天皇の命による熊襲征伐、東国平定の重責を果たした日本武尊は、恋人がいる熱田で休息します。一方、景行天皇の御子はたくさんいました。もちろん異母兄弟も。異母兄弟の母の一人が日本武尊の功績をねたみます。このままでは自分の子が帝位につくことができません。一計を案じます。

 日本武尊は騙されて、神に祈るために伊吹山に登ります。神聖な山に登ると言うことで、日本武尊は剣を外しました。そして途中、刺客に襲われ致命傷を負います。一旦、熱田に戻りますが、寝込んでしまいます。その後、伊勢経由で都に帰ろうとしますが、途中で命を落とします。

 この刺客を放ったのが息長一族ではなかったかという話があります。

 実は、日本武尊は神宮皇后の義理の父親にあたります。仲哀天皇は、父である日本武尊を死に追いやった息長氏からなぜ后を迎えたのでしょうか。

壮大な 史実が眠る 近江の国 ひとつひとつが 今につながる

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