2018年10月アーカイブ

 つづきです。
 息子が小さい時、彼が起きてゐるときに早く歸つたら、必ず、寢物語をしてゐました。古事記、聖書、千夜一夜物語、童話などなど。もちろんきわどい内容はカットして子供向けに。

 樂しかつたなあ。思ひ出します。

 この四十番目の話の時に、アジブが四十番目のドアを開けるところにくると「アジブあけちゃだめだ!」と息子が叫びました。

 そう、アジブは四十番目のドアをあけてしまつたのです。
???皇太子???
 こんな新聞記事が。びつくりします。腰を抜かしさうです。

 ネット社會とサイコパスリスクについてみていきませう。
 二百年といふと假に一世代を三十年とすればだいたい七世代となります。紫式部が源氏物語を書いてから、二百念が經過しところ、つまり、七世代ほど經つた頃、大きな社会現象が起きました。

 そのため、ひらすら源氏物語を耽讀た人たちから源氏物語を理解するための社會的基盤が失はれていきました。

 武士の臺頭が、宮廷政治を中心とした社會構造を一變させたのです。平清盛の日宋貿易は、大量の銅銭輸入により經濟構造を激変させました。保元の亂、平治の亂、源平合戰、鎌倉幕府の成立、承久の變・・・・。

 優雅なる王朝文明は、まさに滅亡の危機を迎へました。

 他のすべての國なら、ここで宮廷文明はすべて破壊され過去のものとなります。

 ところが、世界で唯一歴史が連續した 人間社會の奇跡の國 日本では、かういふときに必ず偉人があらはれてこの危機を救います。 この時期、世界に類を見ない古典を救つたのが、藤原定家です。かれの最大の功績は、「源氏物語」に「古典の地位」を與へたことです。

 さて、つづきです。

 光源氏は、東宮のところにも挨拶に行きます。
 日にひとつずつ扉を開けていくアジブです。
 さて、ここで藤原定家の登場です。「新古今和歌集」の1選者のひとりであり「歌聖とも呼ばれてゐます。

 大好きな正岡子規は藤原定家を「『新古今集』の選定を見れば少しはものが解っているやうに見えるが、その歌はそくなものがない」と否定しています(正岡子規著「歌よみに與ふる書」)。

 でも、こと「古典」といふ範疇を考えると、藤原定家がいなければ、源氏物語をはじめとした我が國の古典は、葬り去られていたかもしれないのです。

 次囘から、この重大なる我が國の事件をみていきます。

 さて、光源氏の出發の日が近づきます。いろいろなところへけじめをつけに行きます。


実は、人間の腦は、「信じる方が氣持ちいい」のです。これは、集團を形成・維持する機能の一つなのです。

 といふところまででした。

認知的負荷
 人間の腦は、自分で判斷することが負担で、それを苦痛に感じるといふ特徴を持っています。これを認知的負荷と云ひます。

認知的不協和
 人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼへると、その矛盾を解消して都合の良い理屈を作り出します。

 簡單に云ふと「これは正しい」と思いこんだことが後から「間違ってゐる」と証拠を突き付けられた場合、人間の腦は、「言い譯」の理屈を考え出し、何とか間違ひを認めずに済むやうにしようとします。

 組織を改革しやうとしたりするとこの場面に嫌といふほどぶつかります。

 だからサイコパスは「信じたい」といふ、にんげんの認知のセキュリティホールともいへる弱點を巧みに突く生存戦略を取ります。

 次囘は、ネット社會の恐ろしさをサイコパスの觀點から紹介します。

 さて、先日のテストはどうでしたか?
 昨夜は家にいたのですが、仕事をしてゐたので、TVを觀てゐません(普段からほとんど觀ませんが)。

 今日、IKさんの會社に來て、部長が速報に書いてあるコメントを見て知りました。

 アスリートは、絶對に自分から辞めることはしません。特に驛傳ならなおさらです。
 これを書いたら年間目標達成まで34通です。

 私はジャーナリストが書く小説以外、小説は餘り讀まないのですが、ちよつとしたきつかけから、辻原登に出遭いました。

 ものすごい知識に裏付けれた内容なので、讀んでいて面白い面白い。どんどん頁がめくれます。とまらないんです。お薦めの著者です。万城目学に出逢つたときのやうな感覺です。まだこの弐冊しか讀んでゐませんが。


 思ふやうに仕事が進まないので少し、う~ん、といふ感じですが、でも、この數日、スケジュール整理がとてもうまくいってゐます。

 私の感覺がおかしいのかなあ?沢田研二のコンサート ドタキャンを擁護する芸能人やキャスターがたくさん。

 若い政治家や官僚・マスゴミなんかもそうなんですが、どうやったらこんな發想をする人間が育つんだろう(いくら敗戰後の教育が嘘だらけで腐つていやうとも)、と不思議でなりませんが、芸能界も同じですね。

 かうやつて何もかも自分たちがやることが許されるから圖に乘るのでせうね。最も、沢田研二はアカですが。

 びっくりした事件でした。
世にも奇妙な恣意的名前

 人を騙したくてワザとつけられた名前や、恣意的に變へられた名前があります。
 時代の流れと共にその社會背景からいろいろな「症候群」が生まれています。

 世相を振り返りながら、樂しんでみませう。

 今日は、無氣力症候群です。1960年代後半ですから、六十年安保の頃ですね。私が十歳前後の頃です。
 さあ、寳德 佳男は首になるのでせうか?
 つづきです。次は「誠」は人を動かす。 

 魯の國の孟孫(もうそん)といふ重臣が狩りに行って子鹿を捕まえたときのことでした。秦西巴(しんせいは)と云ふ部下に命じて持つて歸らせました。すると、母鹿が後から追つてきて、悲しげに鳴きました。
秦西巴は、かはいさうに思つて子鹿を放してやりました。

 さて、歸宅した孟孫は、例の子鹿を持つてこいといひます。

 秦西巴が「かはいさうなので、母鹿に返してやりました」と答えたところ、孟孫は、激怒して秦西巴を追放しました。

 さて、みなさんが孟孫ならどうしますか? 秦西巴はこの後どうなったかと思ひますか?
 二つ目です。

善悪の標準は人の好惡に由て定まる
善悪の基準は人が好むか嫌がるか
 平成七年七月十日に亡くなった(享年六十二歳)が昔書いた手紙を叔母がとっておいてくれてゐましhた。先日泊まりに行った時に私に半分ぐらい貸してくれました。

 私も残りの人生を(まだまだですが)カウントする必要があります。父の「命の手紙」と同樣、母の命も遺します。

 最初の手紙は、まだ静岡県駿東郡裾野町に住んでいるころです(小學校三年生二学期から五年生まで)。昭和四十三年から四十五年ですね。ハガキの切手が七圓です(笑)。

 二つ目は私が叔母に書いた手紙です。よく遺してくれていたものです。いつのものだらう???(笑)

 切手が4圓です。これはきつと大阪に住んでいるころですね。

 
 見たこともない美しい女性たちと、めくるめく毎日を送つてゐたアジブです。

 でも、數日經つて、女たちが泣いてアジブに告げました。


 サイコパス自體だけではなく、サイコパスの餌食になる人も興味深い存在です。サイコパスの嘘や奔放な性的關係が完膚なきまでに暴露された後も、なぜかその人を信じ續け、支持し續ける人が少なく在りません。

 自分が騙されていたことがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったとしても、なぜか信者(とここでは呼びます)となり續ける・・・・。

 実は、人間の腦は、「信じる方が氣持ちいい」のです。これは、集團を形成・維持する機能の一つなのです。

 怖いですね~。これは次囘ももう少し書きます。なぜならば、これが最終的には集團を破戒する行爲になるからです。

 さて、前囘のお約束。サイコパスを判別する方法です。どの方法にも長短在りますが、紹介します。

 ちなみい、サイコパスは精神醫學では「反社會性パーソナリティ障害」です。

 今日は、ケビン・ダットンのセルフチェックリストです(中野信子先生の本から抜粋)

 以下の質問を0點から3點までつけて集計してください。

0點:全く當てはまらない
1點:當てはまらない
2點:やや當てはまる
3點:當てはまる
 源氏物語を繰り返し繰り返し讀んでいき、私の心の中で何かがはじけてきてゐます。恐らく、源氏物語にはまった人たちは同じなのではないでせうか?

 これまでの自分の生き方、價値觀・・・。あんな稀有なのに光源氏の人生と自分の人生を重ね合はせることで、「おい、お前の人生を變更しろよ」とどこからか聞えてきます。でも、それは自分の人生を否定されることではなく、なんといふかなあ・・・、自分といふそんざいの可能性を否定してきた自分に新たなる可能性をていきょうしてくれるのです。「變はる」といふ可能性を。

 私は、まだまだ(當然)ですが、源氏物語は素人です。でも、一度、この感覺を味はつたら、もう、紫式部のわなから抜けることはできません。紫式部の掌の上で踊らされてゐるのですが、それが非常に氣持ちの良い踊らされ方なのです。

 さあ、一緒に、續きを見ませう。
 これを書き終はつたら、年間目標まであと45通です。

 無手の法悦といふ本があります。たまらない名著です。 

無手の法悦

 このブログから明日のルーティンにします。これを書いたら年間目標まであと46通です。

 十月十日に佐々敦行氏が亡くなりました。初代内閣安全保障室長です。危機管理の専門家です。

 著書をたくさん面白く讀みました。紹介しておきます。瀬島龍三をソ連のスパイと論じてゐます。新聞記者は、社會部=猛獣、政治部=半猛獣、経済部=普通としてゐます。

 だから、企業不祥事などになると、企業の偉いさんの記者會見には、社會部がきます。普段経済部の記者と接している企業の偉いさんは、その違ひにびっくりします。

 等々、危機管理の視點から、いろいろ解説してくださるのでとてもためになります。

 「彼らが日本を滅ぼす」では、民主党政權がぼろクソです(笑)。菅直人は「第四列の男」です。詳しくはお調べください。まあ、卑怯な男と云ふ意味です。
 今日から、七十二候 寒露 末候 「蟋蟀在戸」です。「きりぎりすとにあり」と讀みます。

 蟋蟀が戸口で鳴く頃です。この時期の蟋蟀は、夏から冬にかけて見られ、鈴のやうな音色を響かせる、ツヅレサセコオロギだと言はれてゐます。ギーッチョンと機織りのやうに鳴く蟋蟀ではありません。


 キリギリスと云ふとイソップ童話の「アリとキリギリス」を思ひだしますね。まあ、日本人は、イソップでもグリムでも、本當にきれいなはなしになおします。でも、恐ろしい話ばかり。

 この「アリとキリギリス」も私たちが知つてゐる内容とは全く違ひます。

 まずタイトル。「アリとセミ」でしたが、北ヨーロッパにはセミがいないので、「アリとキリギリス」となりました。

 そして、結末が違ひます。
 以前は、十月十日は體育の日でした。つまらない法律によって、祝日がひんまげられて、歴史も情緒もなくなりました。

 さて、事務所の片づけをしてゐたら、懐かしい本がいつぱい目に止まります。あ~、昔はよく勉強していたんだなあ、と。 勉強再開ですね。とにかくあと二十年しか働けません。その二十年と云ふ時間資源をどう使つていくか。とての大切なテーマです。

 目に止まつた本の一冊を眺めてゐると、「アルコール・ブラックアウト」といふ言葉が飛び込んできました。三千冊近くある本の中からたまたま目に止まつた本で、開いたところで目にはいつた言葉がこれだなんて。
 これを書いたら年間目標730通まであと49通です。もう今日は書くのを辞めようと(叫び以外は)と思ったのですが、ひとつ忘れてゐまた。

 今日から二十四節氣 寒露 かんろ です。夜が長くなり 露が冷たく感じるころです。まだ昼間は暑いですが、確かに朝晩は過ごしやすくなってきました。

 七十二候は、
 くっそ~うまくいかん。

 ある会社のあることの構想を練ってゐます。う~ん。

 物ごとを考へる順番は、

探檢家→芸術家→判事→戰士

です。材料を探檢し、芸術家が組み立て、それが運用でうまくいくかを判斷し、一旦、やりはじめたら勝つまでやる。この順番が狂ったらだめですが、私は、ハーマンモデル(割愛 腦の使い方) タイプDなので、「判事」機能が極端に弱い。サラリーマンのときも、部下に判事機能が強い人間がいたら、とてもうまくいっていました。ただし、繰り返しますが、順番が狂ってはいけない。判事が先に来るとダメ。

 まあ、いいや、もう一度やり直し。インプットがたらん。
 手術しただか、交通事故にあっただか知らんばってん、ぶっ倒れるまで仕事せんか。確かに体力は落ちているばってん、その前に氣力やろうが。休むときは休んでよかけど、いつも休みみたいな日を送りやんな。あと二十年しか働けんとぞ。なんば、ふうたんぬるいことばしよるとや。

 もつと、自分自身にぐらぐらこかんや。
 このブログで連休目標達成。さあ、書いたら仕事に戻らないと。678通/年間目標730通。 52通残です。

 倉山満がまたやつてくれましたね。これはすごい。