命の手紙 128(皇紀弐千六百七十八年十月六日 五)

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 今年九十一歳の父が親戚中に手紙を送り、何かを遺そう(残そうではありません)としてゐます。引き継がなければ。

 今日から新しい手紙です。最近のですね。以前のもたくさんあるのですが、手に取ったものから書いてゐます。この情けない世の中!昭和一けたの生き方を學びます。
 ボクは60歳になったとき、「定年退職」と「引き続き現職のまま金属部長を命ず」の辞令を二つもらいました。

 定年後の職場は肩書もなくなり、年収も下がり、役職定年前並のモチベーション(物事を行う意欲)
維持できていないのが現実のようですが、ボクは続投を命ぜられ、1年ごとに辞令をもらい5年間もいました。

 何度も言いますが、ボクは小卒の学歴でここまできました。定年どころか、定年前の「勧奨退職」があってもおかしくありません。ボクには実際にその場面がありました。

 59歳のある日、開発部次長が席に来たので、机の前にある応接で話をしていたら社長秘書が来て「社長がお呼びです」。勧奨退職の話は59歳のときに宣告されるので、慌てていくことはないと次長と話を続けていると、また秘書が来て「早くおいでください。社長がお待ちです」と言う。

 "いよいよだなあ"と斜長石に進む。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年10月 6日 15:53に書いたブログ記事です。

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