福翁百話 5(皇紀弐千六百七十八年十月二十八日 弐)

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 つづきです。
 どんな詐欺師でも、自分が人に欺かれるのは好まず、人の物を盗む盗賊でも、自分の物を盗まれれれば心よく思わない。自分の身体では悪を犯しながらも、心では他人が自分に対して悪を犯すことを好まないというのならば、詐欺師や盗賊でも、すでに善悪の区別はついているのだ。まして、悪人以上の心を持つ一般の人々においては、言うまでもない。善悪の標準、基準は明白で、天下の人は全て道徳教育の師であるといっても差し支えないだろう。

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このページは、宝徳 健が2018年10月28日 14:49に書いたブログ記事です。

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