2019年4月アーカイブ

 「まづその肉體を上部に成長させ、その上で精神發達を心掛けるべきだ」

 福澤諭吉先生の基本的な考へ方です。この連休、ものすごくいろいろなことを考へてゐます。世の中の變化の中で、政治も經濟も、經營も人も何もかもが劣化し、政治はポピュリズムでそこに合わせた政策を推進していく。自分自身も、心臓病の手術、交通事故による二度の手術で、心の中が言い譯だらけ。

 そんな制約条件の中で、あと二十年の經濟人としての自分をどうしていくか。

 福澤諭吉先生、故出光佐三翁、故松下幸之助翁。偉人たちの絶對的な信念による偉大なる業績の實現。しかしそれだけによらず、精神的な支柱をどうするかといふ發想。

 優秀な人材ではなく、凡夫を求めながらその凡夫(失礼な言い方をお許しください)に天才的な仕事をさせ社會に示唆を與へてきた手腕。

 しばらく、私の獨り言のやうなブログ記事も入りますがお許しください。一つだけある事實は、この制約条件の中で、今までとは手法を變へながら、己を今一度自分を叩きのめさなくてはならないといふことです。
 メディアの報道や内閣の發表が間違ってゐるので、正しい表現を。

 今上天皇陛下の退位は明日 四月三十日です。 でも、五月一日を新天皇陛下の即位とする報道や發表ばかりです。

 退位→践祚→即位です。

 践祚(せんそ) 「祚(そ)を践(ふ)む」です。祚は天子の位のことです。天子の位を踏み行ふ。

 践祚:皇嗣(こうし)が皇位を繼承すること。
 即位:君主・天皇が、その位につくこと。

 この二つは我が國 古代より區別されてゐます。

 だから、五月一日は践祚の状態となり、即位に向けた様々な儀式が行はれます。そして、十月二十二日の即位礼正殿の議 祝賀御列の議を經て皇位を繼いだことを内外に知らしめる即位となります。

 今の皇室典範(敗戰後)の条文により、これまた憲法違反の皇室典範が出來てしまひました。内閣法制局は、邪教日本國憲法「典」が大好きです。なんとまあ、かなしいことにならないよう、叫ばなくてもいいので、國民だけはこの事實を知つておきませう。
 今まで、国家関連予算の大枠をみてたのは、これに入りたかったからです。ものごとを手掛ける時に、マクロ→ミクロの流れは絶対に大切なのに、國でも企業でも、ミクロからは入って、部分最適で終わるケースが多々あります。

 先日、交通事故後通っている整体院から、「施術士の研修をやるので、患者モデルになってくれないか」いう依頼がありました。興味津々。総院長先生が私の身体を治すのを、施術士が学ぶというものです。まるでゴッドハンドのような総院長の手。すごいすごい! その中で総院長が何度も「局所の治療ではなく、全体の治療を」と仰っていました。さすがですね。おなじことです。

 これから中小企業関連予算を観ていきますが、この予算を活用する際も、絶対に、企業戦略あっての活用です。絶対に補助金ありきの動きをしないように。

 さて、我が國のGDPは、安倍政権になってから約545兆円と覚えるとよいでしょう。

 國家予算は約100兆円。その中で、中小企業関連予算はいくらで、そして、どのようなポートフォリオになっているか。明日から見ていきますね。
 昭和の日ではありません。昭和節です。この違ひについては、これまで繰り返し述べてきましたので今日は差し控えます。

 新天皇が御即位されます。令和。「令(うるは)しく平和」に生きる。まさに我が國 國體ををのままあらはした元號です。

 この機會に、私達 臣民は、我が國の在り方を見直す時でせう。それが憲法そのものであり、今の日本国憲法「典」は、憲法などではないことを。ここからスタートしないと我が國の再生はありません。

 昭和天皇、今上陛下は、昭和-平成といふこの我が憲法とかけ離れた、邪教 日本国憲法「典」のなかにありながら、その底流にある 我が國憲法(本来の)を必死になつて護ってこられました。國がつぶれなかったのは、まさに皇室が救つてくれたからです。

 「とばすがたり」といふ話をしつてゐますか?
 27日からまたバシバシブログを書きますから観てくださいね。

 連休中の郵便の予定。覚えておかないと。

 今日から、七十二候 清明 末候 「虹始見」です。「にじはじめてあらはる」と讀みます。

 春が深くなるにつれ、空気が潤つてくるので、この時期からきれいな虹を觀ることができます。虹が虫偏なのは、空にかかる虹を大きな蛇と見たてたためとされてゐます。

 痛快ですね。こんな人生があるんだ。でも、他の締めながら勉強になります。
抄録2 矛盾と不合理
 「世の中には、鬼もいるし、仏もいる。決してどちらか片方ではない。人を信ぜよ、教える。そしてまた、人を信ずるな、と教える。そこに整合性はない。そもそも人間も、世界も、整合性などないのだから、迷いながら生きていくしかない、というのが難しいが、本当のところなのだろう。」[新・風に吹かれて]
 前囘は、「影護」の言葉を紹介しました。

 四辻善成が書いた「河海抄」が「うしろめたし」といふ源氏物語の本文を解釈した時に、「和名抄」といふ、我が國志この漢和辞典を参考にして、「影護」を「大切な人を覆ふやうにして、陰ながら護つてあげたい」の意味だとしました。

 この「河海抄」の説は、その後の源氏物語の研究者たちに影響を與へました。

 さて、本文です。

 今日の毎日新聞にこんな記事が毎日新聞のネットニュースに載つてゐました。

14日午前11時10分ごろ、新大阪―新神戸駅間を走行していた、山陽新幹線東京発博多行きのぞみ17号から、乗客の男性1人が線路に飛び降りた。JR西日本によると、男性は新大阪駅を出た後に、9号車で非常用開閉コックを使ってドアを開けた。運転士は緊急停車の操作をし、新幹線が完全に止まったところで、男性は線路に飛び降りたとみられる。車掌が男性を確保し、再び新幹線に乗せ、約45分後に運転を再開した。男性は受け答えできる状況といい、兵庫県警が詳しい状況を調べている。【渡辺諒】

 申し上げたいのはこのことではありません。では、昨日、JR西日本は何をした。そつちを記事にしてくれ。




 すごい!!! かういふ科學の進化は大歓迎!!! 私がいまさら解説する必要はないので、寫眞だけ。
  「また、(エリス)が停車場にて、涙こぼしなどしたらんには、影護かるべければ」

 巨匠 森尾鴎外が代表作「舞姫」で書いた文章の一部です。「影護」の部分をどう讀むか。それが前囘の宿題でした。

 「影護(うしろめた)かるべければ」です。

 「うしろめたし」は、現代では、「良心に悖るところがあって心やあしい」の意味ですが、平安時代には「後のことが心配で不安である」といふ意味でした。
 
 鴎外は、なぜ、誰も知らないやうなこんな言葉を使つたのでせう?

 長い長い源氏物語のその中心をなすのは、なんと言っても桐壺。桐壺なしには、源氏物語は語れないし、出来なかったのです。桐壺が急逝した後、桐壺の忘れ形見 光源氏は、桐壺の母(光源氏の祖母)の家にいました。父である 桐壺帝は、一刻も早く光源氏を宮中に連れてくるように命じます。

 祖母は、娘(桐壺)をいびり殺した惡女たちがひしめく宮中に幼子の光源氏を遣はしたら、どんないじめにあるか心配でなりません。その祖母の心情を、紫式部は「うしろめたふ」と書いてゐるのです。

 森鴎外も源氏物語を追求し、そして、自作に、それを取り入れていたのです。なんとすごい!!!

 さて、本文です。

 花散里(はなちるさと)でしたね。
 今日は、昭憲皇太后の ご命日です。明治天皇の皇后さまです。知らな日本人が多いのにはびつくりします。


 そして、海外の人がたくさん知つてゐるのに、これまた日本人が知らないのがEmprss Shoken Fundです。