命の手紙 131(皇紀弐千六百七十八年十月八日 四)

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 さあ、寳德 佳男は首になるのでせうか?
「宝徳はU社の(倒産した会社)の内情は詳しく調査している」「これ以上知るためには産業スパイでも潜り込ませなければならない」「宝徳に瑕疵(かし)はない」「だが、宝徳はどうしても責任を取るといっているから会社-7、宝徳-3の責任分担とする」の判決?が下されました。

 総務部長はじめ誰も異議を唱えなかったことを考えると、恐らく会議の前に社長と総務部長が打ち合わせをしたのでしょう。

 前年、大阪支店で3,500万円の不渡りがでたとき、大阪支店長(常務)が引責辞任したことから考えると、"明らかな宝徳びいき"の処置です。有難かった。

 実は、このとき「ウェルフェアグリーン柏」は社宅だったので、クビになっていたら「家探し」からしなければならないので苦労していたはずです。

 ある日、それまで一度も見たことがなかったPCの訃報欄を開くと横山昌隆社長の逝去が報じられていました。縁(ゆかり)です。   終わり。

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このページは、宝徳 健が2018年10月21日 20:41に書いたブログ記事です。

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