入院中でも懲りない男 心臓篇 再6(皇紀弐千六百七十八年八月十六日 六)

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(皇紀弐千六百七十五年九月十一日)→書いているのは九月十日。書いている内容は九月七日です。三年前の心臓バイパス手術の時の闘病日誌を振り返ってゐます。

 關東では大變なことになつてゐます。被害に遭われた方々に御見舞ひ申し上げますと共に、亡くなられた方々に心から哀悼の意を表します。また、自衞隊員、警察、消防、海上保安官の自分の命も顧みない活動に敬意を表します。

 自衞隊員のリスクなどと、叫んでいる安全保守法案反對者は、なぜ、かういふときにもつと、彼らに對して敬意を拂はないのか。

 され、九月七日です。たくさんの方々がお見舞いに來てくださいました。あっ、さうだ。忘れてました。九月二日の入院の日にHYTさんも來てくださひました。申し訳ございません。この時に少彦神社の數珠をいただきました。少彦(すくなびこ)は、病氣を治す神様です。古事記にも出てきます。
九月七日(入院五日目、術後三日目)
 朝から、食事して、レントゲンを撮つて、リハビリして・・・・・。さうだ、リハビリの六分間歩きだ。結果として三周と十分の七ぐらいかな。これも合格です。

 看護婦さんは、朝と夜入れ替わります。入れ替わるとき、お氣に入りの看護婦さんだとうれしくなります。男性の看護婦だと、がつかりします。えっ?セクハラだっつて? 馬鹿な事いいなさんな。男性が女性を愛でてなにが惡い。男性は自分たち男性よりも美しく、頭の良い女性に常に憧れるものなのです。そんなことを言つたら万葉集などセクハラ集になつてしまひます。

 それより、看護師などといふ言葉のはうが惡い。看護婦です。ジェンダーフリーと云ふ發想はとにかく危險です。男女は平等ではありません。男女はその役割が違ひます。男女區別がただしい。男女平等だと、私は、美しいく賢い女性をどう愛せばいいといふのだ。

1400
 親父と妹が來院。
妹「お兄、大丈夫なん、手術したばっかりなのに、そんなにヒョコヒョコ歩いて」
父「おお、元氣さうだな~」

 親父は癌が判明したばかり(轉移はありませんでした)。そんな八十八の親父に心配かけることこそ、親不孝といふものです。

「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也」

 支那の古典 孝經の一文です。あまりにも有名です。父母からもらつた軆に傷をつけるなど、親不孝以外の何ものでもないといふ意味です。私は子供の頃から傷だらけ。そして、今囘・・・・・。言葉もありません。

 あっ、さうだ。ピアスなんかやめませうね。この孝經の言葉に反します。

 あっ、さうだ。韓國が儒敎の國だとかといつて、崇拝するメディアもゐますが、嘘です。整形大國韓國ですよ。この孝經の言葉に反します。

 話を戻します。まあ、よくしゃべるしゃべる。個室にしてよかつた。

 STさん來院。名古屋に仕事で來ることがあつたのでと寄つて下さいました。ありがたいことです。

1630
 HYTさん家族來院。下呂温泉に家族で行つてゐたのだとか。息子さんに會ふのははじめてです。1歳半。かはいいな~。

1700
親父・妹、STさん、HYTさん帰る
まあ、にぎやかです。

 夜ちよつと便美氣味になつて苦しみました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年8月15日 21:07に書いたブログ記事です。

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