貞観政要 再14(皇紀弐千六百七十八年八月九日 弐)

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 唐の太宗の政治のことが書かれた貞観政要を紹介しています。徳川家康も北条政子も読んだと言われています(2010021)。

 今日のテーマは「甚だ万全の計に非ず」です。
 貞観十四年、太宗があるところに行幸した際、朝早くから狩を催して自ら猛獣と組打ちし、夜遅くになって帰ってきました。重臣の魏徴(ぎちょう)がさっそく奏上しました。

「私はこんな話を聞いています『書経』によりますと、周の文王が狩の楽しみに溺れなかったことが美徳として称えられていますし、『左伝』には、周の時代、狩りを司った役人上書して『やたら狩にふけって身をほろぼした帝を諌めて欲しい』と述べたと記録されています。
 また、漢の文帝が急な坂の上から馬に鞭を入れて駆け下りようとしたところ、ある家臣が手綱をしっかりと押さえながら『お待ち下さい。明君ともなれば、わざわざ危険を冒さないものです。今、陛下は危険極まりない山道を六頭の駿馬で駆け下りようとなさっています。もし馬が驚いてひっくり返りでもしたら陛下の身はともかくとして、いったいこの国をどうなさるおつもりですか』こう言って諌めたと言うことです。
 漢の武帝も狩を好みましたが、やはり臣下がこう行って諌めています。
『人間にはたしかに力持ちやすばしっこい者もいます。しかし、相手の獣だって、そんな獣がいるに違いありません。だしぬけにそんな手ごわい獣に出会ったら、たちまち身の危険にさらされます。そうなるとどんな力持ちでも弓の名手でもひとたまりもありません。またそんなときは、倒木や切り株のようなものでもすべて災いのもとになるのです。万全の備えをしているから心配する必要はないとはいえ、天子たるもの、そのような場所に近づくべきではありません』

 私が思いますに今とりあげた何人かの皇帝たちも、みな同じ人間ですから、狩の楽しみを知らないわけではありません。それをぐっとこらえて臣下の諫言に従ったのは、ほかでもありません。自分のためではなく、国のためにそうしたほうがよいと思ったからです。
 ところで承るところによりますと、近ごろ、朝早くお出ましになって、猛獣狩りをされ、夜晩遅くになって帰ってこられたとか。最も尊き位についておられながら、暗闇のなか荒野に足を踏み入れて走り回るのはあまりにも無謀な振る舞いです。なにとぞ陛下におかれましては、古人の楽しみはほどほどにされ、猛獣狩りなどはおやめになって、その分、政治に身を入れて天下万民の期待に応えていただきたい」

 太宗が言いました。
「昨日の件は、ことさら取り計らったわけではなく、ついうっかりしてしまったのだ。今後はいっそう気をつけることにしよう」

 トップに立つ者は、自分の欲をコントロールする必要があるのですね。耳に痛い話です。日本の天皇陛下の素晴らしさが益々わかりますね。

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このページは、宝徳 健が2018年8月 9日 10:26に書いたブログ記事です。

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