命の手紙 116(皇紀弐千六百七十八年八月七日 四)

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 親父の方が長生きしさうですね(笑)。やはり骨を削つて採取し、歯茎に移植すると痛いですね(笑)。

 でも、こんなことで痛いなんて言つてられません。私は、あの不治の病と何十年と付き合った亡くなった母から痛いといふ言葉をほとんど聞いたことがありません。毎朝、目が覺めたら、そこには一生治らない病がゐます。これから一生付き合っていくことを覺悟しながら壱日がスタートします。それでも、笑顔を絶やしたことがありません。子供たちを豐に育ててくれて、父を支へて生きました。この程度のことでグダグダ言つたら、將來天國に行ったときに母に張り倒されます。心臓の時も、事故の時も、生きてゐられたのは、母が「その程度の修行ではまだこちらに来させられないわ」と言っているからです。

 父もさうですね~。九十一歳。未だにかなひません。

 さて、つづきです。父の初めての海外旅行です。祖父がソ連の拉致によって亡くなった土地を見たかったのでせう。これに味を占めた父は、どんどん海外旅行に行くようになりました。
 この經理担当者-S(女性)は優秀でした。私は「統括事務課長」の職位を与えて、Sのところを通らなければ支出・決済ができないシステムにしました。お話した給与改定の時は、Sを最高位に位置付けました。内緒ですが、ボクは社内にスパイ(S)を放ちました。

 滞空?時間5カ月の第①の会社(日本ファステムの前に再就職して喧嘩して辞めた会社)の社長は、脱税17億円で、東京地裁は1年6か月の懲役刑を言い渡しました。ちょうど日本ファステムを辞めた時で、中国を旅行して帰ってきたら、奥さんから「・・・で、是非、支援して欲しい」の手紙がきていました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年8月 7日 09:29に書いたブログ記事です。

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