つれづれなるままに(皇紀弐千六百七十八年八月十日)

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 何もないと思ったら今日も、檢診と檢査。でも、とても順調です。醫者もびっくり。15時の檢査が終はつたら仕事をします。

 こんなに軆體が樂なのは初めてです(痛いですが(笑))。神樣が休みをくれたのかなあ。

有事に自衛隊に豫算を
 さて、災害時に自衛隊が活躍します。でも國民は、「自衛隊さん、ありがとう」ともうひとつ彼らのために云はなければならないことがあります。
 軍隊は戰ふために食はなければならないのです。そして、彼らにとって災害は戰闘や戰爭と同じ有事なのです。平時ではないのです。いろいろと揃えなければなりません。

 ご存知ですか?我が國の軍事予算(防衛費)には、彼らの人件費まで入っているのですよ。先日、新聞が、アメリカや支那共産党の軍事費の記事を書いてゐました。例へばアメリカの軍費は、70兆圓です。ほぼ我が國の國家豫算です。でも、この中には、人件費は入っていません。研究開発費も入ってゐません。武器開發費も入ってゐません。正しいことを書くと、我が國の軍事費が小さすぎることが分かるからです。さすがマスゴミ。

 軍事予算とは、平時に使ふお金です。有事になったら別に豫算をとらなくてはなりません。阪神淡路大震災の時も、東北大震災の時も、その後の數々の災害の時も、一切、そのための豫算はありませんでした。政治家は何をやつてゐるのか。各軍の將軍たちは何をやってゐるのか。財務省に對して、これこれの作戰で、この災害に對処するから、いくらいくら捻出しろと云ふのが務めです。
 
 彼ら自衛隊員は災害時に、國民を優先します。自分たちの持っている食料さへ渡します。風呂にも入りません。民主等の事業仕分けで、2着に制限された制服なので、死体などを扱って腐臭が着いた制服を必死に洗濯します。當然、榮養失調になります。口内炎ができます。便秘になります。これで彼等に戰へと言ってゐるのです。私たちは。

 お願いです。有事には、

自衛隊に豫算を與へよ!

と叫んでください。せめて戰つてゐる彼らに十分な飯を食つてもらひませう。

 英国は、戰爭になると、國民にその意義と理由を納得させ、豫算を確保し、そして、戰爭に勝てる人間を総理大臣に選びます。

 そうです、総理大臣とは、有事にきちんと結果が出せる人間なのです。

 なのに、一時期でも、民主党なんかに任せた。また今囘も、人權を叫び、デフレ志向で、軍事に強いと云ひながら、F2といふ優秀な國産戰闘機の生産をやめさせた石破を支持しやうとする國民までゐます。

マスゴミが野田聖子を攻めない(責めない)理由
 はつきり言って、今囘の野田聖子の行いを、安倍さんがやつてゐたら、内閣がふっとびます。モリカケなんていふデマなんかどうでも云ひのです。野田聖子が政治生命を失ふことをなぜマスゴミが攻めないか。野党がなぜ野田聖子を責めないか。彼らは國をよくしやうなんと露ほどに思つてゐません。ただ、安倍晋三をつぶしたいだけなのです。

 野党は必要です。五十五年體制のやうに自民党と社會党がなれあふ政治はダメです。健全な野党があつて初めて緊張感がある政治が可能になります。すべて國民の責任です。あんな奴らを選ぶから。私は自民党さへ良いと思つてゐません。

またまた自衛隊
 自衛隊入隊の年齢を32歳に引き上げるやうです。人材確保が75%の充足率ださうな。日本の自衛隊は約24萬人。予備役もほとんどいません(予備役の言葉を知っている人さえ少ない)。

 さうでせうね。だって、軍事費が5兆圓なんですもの。少なくとも、10兆圓はないと。欲を言えば15兆圓。それも人件費や開発費・研究費を別にして。さうすれば、人件費配分が増えて人材確保もしやすくなるでせう。國が他國につぶされてから後悔しても遅いのです。

武装中立
 かつての社會党は、「非武装中立」といふ、およそ実現不可能な理想(?なのかな)を唱へてゐました。昨日も書きましたが、「中立」といふのは、他國がそれを尊重して決して攻めないといふ意味ではありません。「どこの國」に攻められても文句を云へないと云ふ意味ですだから、スイスは徴兵制があります。一家に一台 自動小銃があります。射撃訓練があります。道路は、いつでも戰闘機の滑走路になります。逆に攻められた時にマンホールから柱が出て相手國戰車が侵入できないようねなってゐます。空には、ダッソー社の戰闘機が飛んでゐます。

 歴史上、世界で一つだけ、古代より中立を實現した國がありました。我が國 日本です。それも非武装ではなく、武装中立を。江戸時代なぜ、カトリック教會主義を排除できたか(鎖國ではない)。秀吉はなぜスペインを入れなかったか。伴天連を追放することができたか。常に、世界に先駆けた武装中立だったからです。

 つまり、軍事力とは、戰爭をする道具ではなく、戰爭を防ぐ(相手に戰爭をさせない)手段なのです。なのにこの時期になると戰爭=武力のTV番組ばかり。勘違いをするなと云ひたい。


殿下の前では帽子をとる?
 何人かの方々が、甲子園の開会式で皇太子殿下がお話をされてゐるのに、帽子を取っているのは大阪桐蔭だけだったと書いてゐました。う~ん。これは私には判斷できない。研究してみます。學徒出陣のとき、昭和天皇が壇上に立たれても学徒は脱帽しませんでした。軍服だから?

 かつて、慶應義塾大学百五十年式典のときに、天皇陛下のご臨席を賜りました。本會場には人數が多くてとてもは入れませんから、私達は、三田校舎の教室に設営された會場で着席し、設営されたTVモニターで拝見しました。陛下がお話になられる際に、壇上まで進まれました。だれも、起立をしません。陛下が禮をされました。だれも禮をしません。目上の人が禮をするときには、こちらが先に頭を下げて、後から上げるのは當たりまえです。ひっくりかえるぐらいびつくりしました。これはいけません。

 一緒に行った仲間が云ひました「さいうふ教育を受けてゐない」と。教育のせいにするな。

 あ~ん、よい話も書きたいのですが、寫眞を手に入れるのを忘れてゐました。明日書きます。

 とにかく、異常なマジョリティを普通と云はない國にしませうね。

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2018年8月10日 13:00に書いたブログ記事です。

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