源氏物語 再64(皇紀弐千六百七十八年八月十日 弐)

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 この時期になると、TVを觀るのが嫌になります(もともと嫌だが(笑))。さも、英霊たちが自らの命をささげて護りぬいてくれたかの大戰 を 我が國が惡のやうに云ふ番組が。そして、「戰爭の記憶」と云ひます。「敗戰の記憶」の間違ひです。「終戦記念日」と云ひます。戰爭に敗けて、記念することなど・・・・。「敗戰恥辱日」です(20170805)。

日本國憲法の三本柱
國民主權:國家と轉覆していい權利
基本的人權:人を殺していい權利
平和主義:自分さへ平和なら人のことはどうでもよい權利 だから、十四歳の女の子が攫われても、助ける氣も國民にありません。

 この愚かなる、憲法といふ名の文章でしかない 邪教日本國憲法を「改正しやう」と安倍さんが云つた瞬間から、メディアによる安倍つぶしのすさまじいこと。それに騙される國民の愚かなこと。ミサイルがバンバン飛んでくるのに、國家安全保障を議論しろと云ふ聲さへでない、國民の愚かさ。メディアの愚かさ、國會の愚かさ。 

 間違つた日本語を容認する國民の愚かさ。 占領軍(GHQ)の政策が今、實のつてきてゐます。

 さあ、氣を取り直して、源氏物語の續きです。桐壺院がおかくれになつたところまででした。この邊から、光源氏の運命が狂ひはじめます。
 さあ、みんなは大慌てです。朱雀帝は、超ボンボンです。桐壺院は譲位の後も實質的に政治を睨んでゐましたから、この死は各方面に負の影響を及ぼします。

 朱雀帝の母型の祖父(弘徽殿女御 こきでんのにょうごの父)の右大臣は、帝の後見の立場にありながら、短期で思慮が足りません。右大臣の實權が強まるにつれ、みんな

これは大變だ

と不安は一通りのものではありません。

 もちろん藤壺や光源氏にとつても逆風です。

 藤壺は、三条の實家に軆を移すことにしました。兄が迎へに來します。この兄の子が若紫(紫の上)です。

 光源氏は「俺はどうしやうかなあ」と考へます。

 ここで、ひとつ思ひ出してください。朧月夜を。彼女は、朱雀帝の寵愛を受けてゐます。次囘は、その話です。

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このページは、宝徳 健が2018年8月10日 13:59に書いたブログ記事です。

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