命の手紙 118(皇紀弐千六百七十八年八月九日 六)

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 今年九十一歳になる父が退職後の再就職で大暴れした時のことを書いてゐます(父から送ってくる手紙です)。父が六十二歳の時のことです。つづきです。
 ボクの居住地の選定・撤収のとき、日本ファステムの総務部長(S)が常識では考えられないほどのめいわくと不快の念をかけました。そのボケぶりを再度詫びます。Sは第一勧業銀行からの出向。一勧は"できる男"を日本ファステムに出向させません。

 西日本の開発は「お金」のほかはボクまかせでした。あとで考えたら、広島営業所・北九州営業所(八幡西区)・九州支店(大野城市 おおのじょうし)・沖縄工事事務所の場所・人員等々を70歳のボクが現地で、一人で面接などの処理をするには無理がありました。社長は本社でと言っていましたが・・・。

 九州から帰ってきて駅から自宅まで歩くとき、真っ直ぐ歩けなくて、歩行者から「気を付けてくださいよ」と、言われたり、駅のホームでフラフラする危険信号がありました。 つづく

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このページは、宝徳 健が2018年8月 9日 10:51に書いたブログ記事です。

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