命の手紙 124(皇紀弐千六百七十八年九月二十六日 四)

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KANO1931海の向こうの甲子園

のつづきです。
 エースピッチャーの呉明捷(愛称は"アキラ")は山陽堂書店の手伝いをしており、店員である静に憧れを寄せていた。しかし静はやがて台中の医師と結婚して嘉義を去る。アキラは爆竹を燃やし彼女を祝福しつつ寂しげに見送る。

 当時、台湾代表として全国中等学校優勝野球大会へ出場するのは、決まって日本人のみであった。当時は台湾全島で1校のみしか代表として甲子園に行くことが出来ず、その為に台湾大会で優勝する必要があった。

 「一度も勝ったことがない」チームの快進撃は止まらず、勢いに乗って全島優勝を果たす。台北から凱旋した選手たちは、当時アジア最大の水利事業であった嘉南大圳完成を知るや、パレードを中断して用水路へ向かう。水が満ちていることに感動すると、視察で用水路を下ってきた八田與一に会い、優勝を報告するとともに、八田から激励を受ける。

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このページは、宝徳 健が2018年9月25日 21:50に書いたブログ記事です。

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