ヤマトを救った琵琶湖の女神 再2(皇紀弐千六百七十八年十月一日 九)

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 戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう(20130328)。

 古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。
 日本書紀・古事記によると、仲哀天皇・神功皇后は、九州の熊襲征伐のために筑紫(福岡市)に滞在していました。神功皇后には神がかりなところがあり、半島にある新羅を征服するように仲哀天皇にすすめます。しかし、仲哀天皇はそれを無視しました。

 すると、仲哀天皇が急死しました。替わって神功皇后が海を渡り新羅を征服し、その後、新羅はヤマトに臣従するようになりました。

 古墳時代前期ですから、四世紀後半です。

 古墳の副葬品といえば、三角縁神獣鏡などの銅鏡が有名ですが、この頃を境に、副葬品の主流は鏡から武器へと替わります。この頃の我が國は内戦状態にはありませんでした。つまり、我が國に新たな武器は必要ありませんでした。そうです、半島側に我が國の武器を渡す必要があったのです。

 左派お得意の侵略論ですか(笑)?

 その頃、高句麗が大陸の方から朝鮮半島南部諸国を圧迫してきて、我が國に救援を求めてきたのです。

 これは高句麗の広開土王碑に明記されています。「391年以降倭が渡ってきて百済や新羅を破り臣下にした」と。

 神功皇后は、朝鮮出兵から帰ってきてすぐに、応神天皇を生みます。この応神天皇が、政権をヤマトから河内に移します。 つづく

万世に その一系を 受け継ぎて 千代に八千代に すめみまの國

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このページは、宝徳 健が2018年9月30日 21:35に書いたブログ記事です。

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