貞観政要 再26(紀弐千六百七十八年九月二十八日 參)

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 「貞観政要(じょうがんせいよう)」も最終回になりました。勉強になりましたね。ためになりましたね。

 さて、太宗の後継者問題に話の内容がうつっています。最初太子(皇太子)には、承乾(しょうけん)という長男がなっていました。太子は、すぐれた教育係をたくさんの息子につけ、後継者教育にはとても力を入れていました。でも、承乾は、日がたつに連れて横柄になっていきます。太宗は承乾に対する愛情が失われていきます。それを知った承乾は、太宗暗殺を企てます。これでは仕方がありません。太宗は、承乾の身分を剥奪して庶民に落としました。苦悩の決断です。

 次男はかなりの策謀家でした。混乱時ならいいのですが、守成時には向いていません。しかたがなく、皇后の父親などの意見を取り入れて、三男の治(ち)を太子に立てることにしました。この時、魏徴が生きていたらまた違った決断になったかもしれません。
 貞観十八年、太宗が側近の者に語りました。

「昔、世継ぎの子に胎教までほどこした親がいたが、わたしは忙しくてそこまでしてやれなかった。しかし、近ごろあらためて太子を立ててからは、折にふれて教えを諭すようにしている。例えば、こんな具合である。まずは、食事に際しては、食べる前にこう言ってきかせる。

「そなた、今、食べようとしているものがどのようにして作られたか知っているか」
「知りませぬ」
「これはすべて人民が額に汗して作ったものじゃ。だから、農繁期には人民を使役に借り出してはならぬ。さもないと、いずれは食事にも事欠く始末になるぞ」

 また、馬に乗っているところを見ると、こう言ってきかせる。

「そなた、馬とはどういうものか知っているか」
「知りませぬ」
「馬というのは人間の代わりに働いてくれるものじゃ。だから、いつも痛めつけてばかりいないで、時には休ませてやらなければならない。そうすれば、いつまでも人間のために働いてくれる」

 また、舟に乗ったときには、こう言って聞かせる。

「舟とはいかなるものか知っておるか」
「知りませぬ」
「よいか、例えて言えば、舟とは君主のようなもの、舟を浮かべる水は人民のようなものだ。水はよく舟を浮かべるが、時には転覆させもする。そなたもいずれは君主となる身じゃ。かりそめにも人民を侮るようなことがあってはならんぞ」

 さらに曲がりくねった木下で休んでいるところを見かけたときには、こう言い聞かせてやる。

「そなた、この木を知っているか」
「知りませぬ」
「見ての通り曲がりくねっているが、こんな木でもきちんと墨縄を当てさえすれば、まっすぐな木材となる。それと同じように、もともと無道な君主でも、臣下の諫言を聞き入れれば、立派な君主になることができる。これは殷の名宰相 傳説(ふえつ)のことばだが、そなたもよくかみしめてみるがよいぞ」

 こんな具合に太子を諌めているのである。

 太宗は、孟子を呼んでいなかったのかなぁ。父親の息子に対する教育は極力最小限がいいのですが。

 まあ、それはよいとして、太宗の後は十七歳の「治」が治めました(高宗)。非常に凡庸な皇帝で、治めてスグに、皇后武氏に実験を握られてしまいます。中国の王朝が滅びる理由はいつも二つしかありません。外戚(皇后側の親戚)が実権を握るか、宦官(男性のシンボルを切り落とされて宮廷に使える男達)が実権を握るかです。

 皇后武は、かの有名な中国唯一の武則天(則天武皇)です。中国では女性は皇帝になれないのですが、敵をバンバン排除して皇帝の座につきます。漢の高祖 劉邦の正室 呂公、清の時代の西太后とともに中国3代悪女と呼ばれています。ブログに書けないぐらい残酷なことをしています。
いずれまた。

 長い間のご愛読心から感謝合掌。

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このページは、宝徳 健が2018年9月27日 20:00に書いたブログ記事です。

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