日本占領と「敗戦革命」の危機(皇紀弐千六百七十八年九月三十日 十三)

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 江崎先生、よくぞ書いてくださいました。江崎道朗先生の本はどれもすごいなあ。これまで國民が知るすべもなかったことをどんどん本にしてくださいます。

 

 これは必読の書です。

 昭和二十年の終戦とその後の占領時代に共産革命が起きる寸前であり、それを昭和天皇や少數の保守自由主義者らが占領軍の反共勢力と手を組んで、ギリギリのところで防いだ、まあ、ドラマと言っては失礼ですが、書いてあります。

 よかった。下手をすれば、私たちは、支那や北朝鮮のやうな國で生活しなければならなかつたのです。




 しかし、この事實をほとんどの國民が知りません。私もこの本を讀んで初めて知りました。

 スターリンは世界各國の重要ポジション、重要分野に工作員を送り込んでゐました。我が國でも、近衛文麿の側近はほとんどが、モスクワ・コミンテルンのスパイでした。

 そうすることで、資本主義社會を互いに戰爭させ、敗戰した國で意図的に經濟的窮乏を創り出し、社會を混亂させ、それを利用して共産党政權を樹立するといふ「敗戦革命」戦略を立ててゐました。

 大きく分けて、我が國の終戰時には、①右翼全體主義勢力、②保守自由主義勢力、③共産革命勢力が併存してゐました。

 マッカーサーの占領軍にさえその勢力がありました。オツムテンテンのマッカーサーは、最初③を一番信頼してゐました。①だけではなく、②まで、日本民主化の弊害とみていたのです。

 昭和天皇が昭和二十一年一月に、新日本建設の詔を出されていたのはご存知ですか?
「朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、(中略) 日本國民ヲ以て他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有スルトノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ」

 當時、陛下は、戰犯として裁かれる危険性までありました。その中でのこの詔です。軆も心も震えてきます。我が國が世界征服をするなどというポツダム宣言など信じるな、といふ内容です。

 あ~、よかった。
 
 その後岸信介が安全保障を、池田勇人が經濟を立て直し、我が國は、共産主義にならなくなりました。

 みなさん、お願いです。目を覺ましませう。共産党や立憲民主党などの共産主義と組みしないでください。私達の祖先はこんなにかしこかつたのです。

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このページは、宝徳 健が2018年9月30日 11:03に書いたブログ記事です。

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